昨日は高齢者顕彰礼拝で、「家族を顧みる」という題でメッセージがありました。聖書箇所はⅠテモテ5:1-16です。
「しかし、もし、やもめに子どもか孫がいるなら、まずこれらの者に、自分の家の者に敬愛を示し、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい。それが神に喜ばれることです(Ⅰテモテ5:4)」
と書かれています。この箇所での“やもめ”というのは高齢者という意味です。
家族が高齢者を配慮して高齢者ケアーをすることを勧めています。このことはあらゆる文化圏で当たり前のことです。
動物はあっという間に大人になりますが、人間は成人するまで長い時間がかかります。その間、親の世話になります。親が高齢になったときは、その恩に報いて親を顧みなければなければなりません。
「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。(Ⅰテモテ5:8)」
わたしは、この箇所を読んで、主人の両親、私の母になすべきことをしていないのではないかと心が痛みました。
「顧みるとは親と同居して親の面倒の一切を背負うことではありません。高齢者の不安、寂しい思いを理解を大切にし、最高最善の配慮をすることです」と、牧師先生が言われました。
「もし、信者である婦人の身内にやもめがいたら、その人がやもめを助け、教会に負担をかけないようにしなさい。そうすれば、教会は本当のやもめを助けることができます。(Ⅰテモテ5:16)」
この箇所での“本当のやもめ”とは、身寄りのない高齢者のことです。
身内のいない人や、身内だけでは助けることができない場合、教会が高齢者を助けられたら、どんなに素晴らしいでしょう。わたしの通う土浦めぐみ教会では。介護保険指定事業所の喜楽希楽(きらきら)サービスを行ってそれを実践しています。
原作者不詳で樋口了一さんが歌ってブームになっている詩、「手紙~親愛なる子どもたちへ~」と、もうひとつの詩が紹介されました。
「手紙~親愛なる子どもたちへ~」は高齢者から息子、娘たちへお願いするような形で書かれています。高齢者の気持ちが良く表わされていて、ジーンとくる詩です。
「手紙~親愛なる子どもたちへ~」は樋口了一さんのHPから読むことができます。
主人を育んでくれた大切な両親、そしてわたしの母に寂しい思いをさせないように自分ができる最善なことをしたいと思いました。
つづく