生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

信じたら起こる変化

2018-03-13 16:24:32 | 教会
日曜日は礼拝で3・11の祈りを捧げました。ここ土浦では人的被害は少なかったものの、震災後、屋根にブルーシートがかけられている家が何軒もあったことを思い出しました。
バッハのG線上のアリアが演奏され、黙とうしているうちに涙が流れてきました。

新約聖書ピリピ人への手紙3:10、11からメッセージをいただきました。
「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして死者の中からの復活に達したいのです。(ピリピ3:10-11)」


キリストを信じたら、新しいいのちが与えられます。そして内側に変化が起こります。その変化は、修練によるのではなく、また人の努力によるのでもありません。神様が新しいいのちを植え付けてくださることによるのです。
キリストを信じることによって起きる変化はどういうものでしょう……。

私の場合を書いてみます。メッセージの中で挙げられたものと似たものが多いです。

①罪からの解放 赦された喜び

罪に気づく前は、いつも自分が正しいと思っていました。神様からの光に照らされて、罪を自覚したとき、あまりにも多くの罪があることに気づき愕然としました。そして、このままではいけないと思って、教会へ足を運んだのです。
このような者でも罪が赦されると知って嬉しかったです。

②空しさからの解放

中学生の時は空しさを感じ、何のために生きているのかわかりませんでした。生きる意味なんかないじゃないかと考え、死を望んでいました。でも、キリストに出会って生きる意味が与えられて、心の隙間が埋められました。

③漠然とした不安からの解放

人はどこから来て、どこへ行くのでしょう。神仏には頼れないと思い、確固たる真の頼れるお方に出会いたいと思っていました。イエス様に出会ったとき、この方こそ、わたしの主だと思いました。

④死後どうなるのかについての解決。死の不安からの解放
 
どんな人でも、必ず老いと死はやってきます。死は終わりではないのです。天国に行けることを信じたら、平安が訪れました。

⑤生きる目的がわかった

この世界の始まりも、自分が生まれたことも、すべて偶然によるものだと教えられていたので、何のために生まれてきたかわからなかったのです。劣等感が強くて、自分は人間失格だと思っていました。
神様のために生きるという目的が与えられていることを知り、感謝しました。

⑥自分がどれだけ愛されているかわかった。

神様は、わたしの罪を赦すため、ひとり子イエスを十字架につけてくださいました。それほどわたしを愛してくださっているのです。こんなに感動することはありません。

ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」

世の代わりに自分の名を入れてみると神様の愛がよくわかります。いつもこのことを思っていたいです。

⑦将来の希望が与えられた

キリストを信じた者には永遠のいのちが与えられることが約束されています。イエス様が天国でわたしの場所をあらかじめ備えてくださっています。だから、何の心配もありません。

⑧洗礼を受けても罪を犯すことはあるが、罪の中にとどまることがないようにされた。

わたしの場合、これらの変化は洗礼を受けたときに一度に起こったのではありません。
洗礼を受けた時点では、①だけでした。その後、聖書を読み、教会生活をおくる中で、少しずつわかってきました。
キリストを知る絶大なる恵みを知ってうれしいです。


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2 コメント

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Unknown (サムサム)
2018-03-13 20:38:01
「死は終わりではないのです。天国に行けることを信じたら、平安が訪れました。」とありましたが、全く同感です。
わたしは、内村鑑三の「死は死ではない。新生である。死をもって新生命は始まるのである」という言葉に出会い、平安が与えられました。
返信する
サムサムさんへ (文香)
2018-03-14 15:31:12
サムサムさん、内村鑑三の言葉、ありがとうございました。
その通りですね。アーメンです。
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