生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

昨日の礼拝で

2007-03-26 13:18:04 | 教会

昨日は教会学校教師任命式でした。
任命式は毎年春に礼拝の中で行われます。わたしは13回目になりました。
去年の任命式の時、ブログに次のように書いていました。


牧師先生から祈っていただいている間、足が震えていました。子供に教えるのにふさわしい者なのだろうか?と考えると、とてもそのような者でないことに気づきます。
また、この1年間健康でいられるのかと心配になります。具合が悪くなって教会学校の奉仕ができなくなるのではないかとおそれます。
そのとき、礼拝堂にいる人がみんな心を合わせて教師達のために祈って下さっていることを感じ、胸が熱くなりました。弱い者であるからこそ祈っていただく必要があるのです。
私自身も祈っているうちに、神さまはふさわしくない者をふさわしくして下さる。必要な体力を与えて下さるのだという確信が持てるようになりました。


今年も同じ気持ちです。去年と違うことは1年間健康が守られたのだという感謝の気持ちが沸き上がったことです。この1年は、1度も体調を崩して欠席することがなかったのです。やむおえない用事で休んだのも2回だけです。これからの1年もお守り下さい。今年は夏期学校にも行かせて下さいと祈りました。


昨日のメッセージは慰めに満ちたものでした。聖書に不信者とつり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません(Ⅱコリント6:14)と書かれていますが、それは、クリスチャンがクリスチャンでない人と結婚することを禁じているという意味に受け止めていました。わたしは長い間うしろめたいという思いをひきずっていました。


しかし、そこには未信者ではなく、不信者と書かれています。未信者と不信者は違うのだと教えていただきました。

「クリスチャンでない人との結婚は罪ではない。神のご計画の中で未信者の配偶者は聖別されている」
というメッセージを嬉しく聞きました。
聖書の別の箇所には次のように書かれています。
信者でない夫は妻によってきよめられており、また、信者でない妻も信者の夫のよってきよめられているからです。(Ⅰコリント7:14)



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4 コメント

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Unknown (マーサ)
2007-03-26 14:14:53
友達はクリスチャンですが、好きな人がノンクリチャンで、そのことでずっと悩んでいるし、クリスチャンはノンクリスチャンと結婚できないと、教会でもはっきり言われています。未信者と不信者は違うというメッセージを伝えれみようと思います。
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Unknown (マーサ2)
2007-03-26 15:46:25
たびたびすみません。未信者と不信者の違いを教えていただけますでしょうか?
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マーサさんへ (文香)
2007-03-26 21:36:32
マーサさん、コメント感謝します。礼拝で語られたことの中から質問にお答えしますね。

日本の多くの教会ではⅡコリント6:14の箇所が、信者が未信者と結婚するのは罪だと適応されてきましたが、それは文化的影響を大きく受けています。不信者と未信者を混同してしまったのは、宣教師たちが日本の文化的背景を充分理解していなかったからです。

不信者というのは敵対する者という意味で、未信者とはキリストを知らない者、まだ信じていない者を意味します。パウロは、未信者との結婚を薦めているのではなく、未信者との結婚も可能であり、それは罪ではないと言っているのです。

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Unknown (マーサ)
2007-03-27 12:14:18
お返事ありがとうございました。
未婚のクリスチャン女性にとって、日本でクリスチャンの男性と結婚するのは、ほんとに難しいことだと、友人達を見て思いました。
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