goo blog サービス終了のお知らせ 

生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

仙台から秋田へ(その2)

2015-12-13 16:31:51 | その他
翌日は秋田です。納骨は14時半からなので、午前中に教会へ行けると思っていました。最初は仙台福音自由教会のいちばん早い時間の礼拝に出るつもりでした。ところが、仙台から秋田に向かう新幹線が1時間半に1本ぐらいしかなく、しかも仙台の教会は、駅からかなり遠い場所にあるので間に合わないことがわかりました。


それで、8時6分の新幹線に乗って、秋田中央キリスト教会へ行くことにしました。中央教会は駅から車で5分ほどだと聞いていました。駅に着くと時計は礼拝が始まる10時半になろうとしていたので、急いで階段を降りました。秋田はうっすらと雪が積もっていて、階段の一部は凍っていました。
駅の階段で2回ほどすべり落ちそうになり、ドキッとしました。「あわてないで、あせらないで」と自分に言い聞かせながら手すりをしっかりつかんで階段を降り、タクシー乗り場へ行きました。

タクシーに乗ったら、秋田中央教会は知らないと言われ、驚きました。電話番号と住所を書いた紙が見当たらなくなってしまい、わたしはあせりながらバッグを書き回し、運転手さんは無線で尋ねながら市内をぐるぐる回って……永久に行きつかないのではないかと思ったとき、レンガ色の建物と十字架がみえました。思わず「そこです!」と叫んで、主に感謝しました。運転手さんは「時間がかかって申し訳なかった。場所を知らなかったのはわたしだけだったかもしれない」と言って、おつりを多めにくださいました。
何と誠実な運転手さんでしょう。秋田のタクシーはみんなそうなのでしょうか……。感動しました。

礼拝堂に入ると、聖書を朗読する声が聞こえてきました。
マタイの福音書1章に書かれている系図が読み上げられているのを聞いて、ほっとしました。

この教会は、9年前、父の納骨の翌日に訪れたことがあります。かつてクリスチャンの大叔母が通っていた教会と聞いて、礼拝に出させていただこうと大叔母の娘さんに案内していただいたのですが、それが別の教会だったのでした。礼拝が始まる直前にわかったので、その教会で礼拝を守り、礼拝後に大叔母の秋田中央キリスト教会へ向かいました。礼拝は終わっていたので、礼拝堂や部屋などを見学させていただきました。それなので、タクシーで外観を見たとき、すぐわかったのです。
そのとき、母も一緒だったな……と思い出しました。

マタイの福音書には、イエス・キリストの系図が書かれています。新約聖書の冒頭にわけのわからない名が羅列されていて、それを最初に読んでつまずいてしまう人がいると聞きました。

でも、マタイの福音書は系図を大切にするユダヤ人向けに書かれているのです。系図の中に次の女性の名が書かれています。タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻です。この人たちは異邦人であったり、罪を犯した者であったりです。聖書記者はこの人たちの名をなぜ省かなかったのでしょうか。
神に見捨てられたような人たちが系図の中に入っています。

それにもかかわらず、神様の約束が着々となされました。見捨てられたようなところに救い主が誕生したのは、血筋や一族が評価されるのではないことが示されているのですね。

先祖に犯罪者がいたり、また自分自身が罪を犯した者であっても、キリストの血によって罪赦されるということのあかしなのだなあと思いました。
聖餐式にも与ることが出来て感謝しました。
大叔母が召されてから10年以上がたっているのに、大叔母の名を言うと知っている方が何人かおられ、お話できてうれしかったです。
帰りは、車で駅まで送っていただきました。

あわてていて写真を撮れませんでした。この写真は9年前、ブログにアップした秋田中央キリスト教会の写真です。

                    つづく



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


拍手ボタンです

web拍手