生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

明日の自分より若い今日に

2012-09-03 16:12:47 | 教会
20年ぐらい前のことです。母が頻繁に孫に色々なものを買ってくるので、「そんなにお金使わないで。老後に蓄えておいて」と言うと母はものすごく怒って「老後ですって! わたしには老後はありません」と言ったことを思い出します。

母は自分が年老いることを想像するのがいやなようでした。それでいて、先々のことを考え、何でも早々と準備していました。たとえば半年後に旅行するのに、そのとき着ていく服や持っていく物などをすでに考えているのです。

そんな母が先日83歳の誕生日を迎えました。おめでとうメールを送ると(母は80歳から携帯メールの使い方を覚え、絵文字も入れてときどきメールをくれます)「83歳になりました。嬉しくもあり、寂しくもあり」と返信がありました。

「寂しい」という文字を読んで、はっと胸を突かれました。勝気の母から「寂しい」という言葉が出たのは初めてです。
先月実家に帰ったとき、母は「このごろ、先のことを考えて眠れないことが多くて……」と言っていました。
母にとって年を重ねるのは不安であり、また寂しいことなのでしょう。いえ、母だけでなく、多くの高齢者が不安や寂しさを感じていると思います。


昨日は高齢者顕彰礼拝でした。礼拝メッセージで「すべての人が恐れるものは、病気、死です。昨日の自分より老いた今日の自分を受け入れていくことが大切です。」と語られました。

(青字が牧師先生の言葉、緑字聖書の言葉、茶色字わたしの文章です)


でも、母のように受容できない人は、どうしたらいいのでしょう……。

人間は生涯かけて生きる意味を問うものだそうです。

わたしが思うには、人生が死によって終わるものであるなら、人の一生はなんとむなしいことでしょう。
若い時、どんなに成功しても、どんな栄誉を受けても、年をとると色んなものを失っていきます。生涯を終えるとき無になるのなら、人はなんのために生きているのでしょう……。

伝道者の書12:1には「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」とあります。
若い日とは、明日の自分より若い今日ということです。死を迎える前に神を信じ、永遠のための備えをするように
と牧師先生が言われました。

永遠のための備えとはどういうことでしょうか……。人の魂は、肉体が死を迎えても永遠に生きるのです。死が終わりではありません。人間は、イエス・キリストを受け入れたとき、永遠のいのちが与えられます。

永遠に生きられるのなら、意味が変わってきますね。人生は、むなしくはないのです。たとえ志半ばで地上の生涯が突然終わったとしても、神様の御手の中にあるので、理不尽なことではないのですね。


詩編119:156 「主よ。あなたが決めておられるように、私を生かしてください」とあります。
わたしたちのいのちは神の御手の中に置かれているのです。
自分の願いを押し通すのではなく、神の決めておられることを受け入れていくことが大切です。


先月、弟さんを交通事故で突然亡くされたI先生の言葉が心に染み入りました。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


拍手ボタンです

web拍手