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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

人とは何者なのでしょう

2012-06-08 09:50:57 | その他
今月は病院通いで忙しいです。
内科と外科と婦人科にかかっていて、先日の婦人科では6時間も待たされてしまいました。ある程度元気じゃないと病院へは行けませんね。
今日は午後から久しぶりの外科に行きます。乳がんの手術後8年半たったので、検査の日にちを決めるため、受診予約しました。予約していてもいつも3時間ぐらい待たされます。バッグには分厚い本を2冊入れました。

一昨日は太陽を金星が通過するのが見えるという稀な日だったのに、あいにくのお天気で見ることができませんでした。
惑星が地球と太陽の間を通過するという稀な配置になる可能性があるのは、地球よりも太陽に近い水星と金星だけだとか。金星のトランジットは、400年以上前に天体望遠鏡が発明されて以降、わずか6回しか起きていないと聞いて驚きました。
 次に金星が太陽表面を移動するのが観測されるのは、105年後だそうです。


宇宙のことを考えるとワクワクします。こんなに科学が発達している現在でも謎がたくさんあります。謎があるということは、空想の余地があるということです。宇宙人がいないという証拠はありません。人類と遭遇していないだけかもしれません。
CSルイスの本にこんなことが書かれていました。



「懐疑的な人は、神がこのちっぽけな惑星にだけ【下ってきた】というようなことをどうして信じられるのか、と問う。(中略)

宇宙は全然救いを必要としない幸福な生物で満ちているかもしれない。あるいはまた、われわれには想像もできないような、彼らの状態にふさわしい方法で救われた生物が、宇宙を満たしているかもしれない。

いや、われわれと全く同じ方法で救われた生物が宇宙を占めているのかもしれない。それとも、われわれには関心がないが、神には関心のある、生命とはまったく違ったものが宇宙に満ちあふれているのかもしれない。

ともあれ、地球のようなちっぽけで無価値なものが創造者の愛を受けるに値するとは思えない。キリストが人間のために死んだのは、人間が本質的にそれに価したからではなく、キリストが本質的に愛であり、従って、無限に愛する者であるからである。」
『奇跡…信仰の論理』 CSルイス著 柳生直行訳(みくに書店)



わたしはこのページに「この考え方素敵!」と鉛筆で書きこんでいました。
英国の神学者、英文学者で「ナルニア」の作者であるルイスだからこその発想です。

『われわれには関心がないが、神には関心のある、生命とはまったく違ったものが宇宙にはあふれている』かもしれないと考えると、なんだか嬉しくなりますね。

広大な宇宙を想うとき、「人とは何者なのでしょう……」と書いたダビデに共感します。宇宙を想ったら、地球、そしてその中で暮らしている人間などはちっぽけな存在です。神の愛に値するものだとは思えません。

それなのに神様は惜しみなく愛を注いで下さいました。
広大な宇宙を創造された神が、罪を犯して、魂が滅びるしかないわたしたち人間を顧みてくださって、救うためにひとり子イエスさまのいのちを与えてくださったことがどれだけ素晴らしいことか……。雄大な自然、宇宙の神秘にふれるといつも思います。



あなたの指の業である天を見、
あなたが整えられた月や星を見ますのに、
人とは何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは。(詩編8:3、4)





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