生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

祈れないとき(その1)

2010-02-20 17:42:55 | 聖書から

今日は教会で教育講演会があって、託児の奉仕に出かけました。

昨日はOさん宅での家庭集会でした。
百万人の福音(いのちのことば社)の記事から、祈れないときどのようにしたらよいか教えていただきました。
(【】で囲んでいる文章が百万人の福音に掲載されたものです)


悩みがあまりにも深くて祈れないときがあります。
「神様、助けてください」と祈るのが精いっぱいなときがあります。

不安に押しつぶされそうになったとき、怒りと憎しみが湧き上がり、どうすることもできないとき・・・。

そんなとき、以前は祈れませんでした。憎しみを抑え、心を整えてからでないと神様の前に出られないと思っていたからです。

ところが、心に湧き上がった感情を自分で抑えようとすると、かえって混乱することがあるそうです。

【不安や怒りを押し殺してばかりいると、不機嫌を撒き散らしたり、自分を責めて鬱状態になったりする。】


詩篇55編を読むと、ダビデ(作者)が不安と恐れの真っただ中にいることがわかります。


神よ。私の祈りを耳に入れ、
私の切なる願いから身を隠さないでください。(1節)
私に御心を留め、私に答えてください。
私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。(2節)
  ……
私の心はうちにもだえ、
死の恐怖が私を襲っています。(4節)
恐れとおののきが私に臨み、
戦慄が私を包みました。(5節)


ダビデは心の内にあるすべての思いを吐露し、不安をそのまま訴えています。
ダビデは、同輩や友に裏切られました。その憎しみを神様に訴えています。

死が彼らをつかめばよい。
彼らが生きたまま、よみにくだるがよい。
悪が彼らの住まいの中、彼らのただ中にあるから。(15節)


「あなたの敵を愛しなさい」とイエス様は言われるのに、なぜこんなことが聖書に書かれているの? と疑問に思ったこともありました。
詩篇には他にもたくさん敵をのろう言葉が出てきます。


【詩編は学ぶ対象としてよりは、声に出して読むべき祈りの書ではないかと思わされています。そこに理屈を超えた変化が生まれるからです。】


詩篇を教えではなく、祈りだと考えると、読んでいるうちに自分のかかえている問題が小さくなっていくような気がします。涙を流して読みながら癒されていくのです。

これからは、祈れないときは詩篇を読もうと思いました。

            つづく

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