生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

言葉で人を傷つけたとき

2009-12-19 17:54:01 | エッセイ

今日はCS小学科クリスマス会でした。
わたしの担当したドラマは、自分で言うのは何ですが・・・なかなかの出来栄えでした。監督、撮影、編集のすべてをして下さったK先生に感謝です。

家庭集会クリスマス会での証しの原稿を掲載させていただきます。


言葉で人を傷つけたとき  

家庭集会18年続けて嬉しかったことは、KさんとOさんが洗礼を受けたことです。
「辛かったことはありません」と言いたいところですが……実は家庭集会をやめようと思ったことがこれまでに2回ありました。1回は乳癌になったときですが、もう1回はその数年前のできごとです。

家庭集会のあとの会話の中でわたしはひとりの人の心を傷つけてしまいました。傷ついたと言って下さったのでわかったわけですが……。

出席した人が満たされて喜んで帰って行く家庭集会になるようにと備えてきました。その家庭集会の場で傷つけるようなことを言ってしまうなんて……とショックで3日間、ほとんど食事がとれないほどに落ち込んでしまいました。

もう家庭集会を開く資格がないと思いました。伝道師のM先生に相談すると、「あなたが言った言葉は傷つけるような言葉ではない。誤解して受け止められたのだから、そんなことで家庭集会をやめることはない」と言われて、なんとか立ち直れ、家庭集会を続けることができました。でも釈然としない思いが残りました。

最初は悪かったと思っていたのに、月日がたつうちに自分は悪くないのだという気持ちに変わっていったのです。

そして今から6年前に乳癌になりました。
乳癌になって、辛いところを通らされたとき、わたしは今までの自分がとても高慢だったということに気がついたのです。

誰かが悩みを語ったり、苦しみを訴えたりしたとき、何かアドバイスをしなければと思っていました。その人より一段高い所に立って、教えようとしていました。今どきの言葉で言うと「上から目線」で話していたのです。

あのときもそうでした。一緒に苦しむのではなく、相手には十分わかりきっていたこと……正論を唱えていたのです。

乳癌の手術後、リンパ転移があるので再発転移のリスクが非常に高いことがわかったとき、辛くてたまりませんでした。

葛藤の末、最終的には神様にすべてをお委ねして平安をいただいたのですが、葛藤の最中に誰かに「神様はすべてを働かせて益としてくださると聖書に書いてあるでしょう」と言われたら深く傷ついてしまうことに気づきました。

神様に委ねたあとでも、血液検査で腫瘍マーカー値が上がっただけで、心は大嵐のように波立ち感情が不安定になってしまいました。そんな自分の弱さをとことん知らされました。

正しい言葉が人の心を傷つけることがあるのです。言葉は悪くなくても、あのとき話したわたしの態度はなんと高慢だったのでしょう……。わたしが悪かったのだとようやく気づきました。

わたしはほかにも色々な人の心を傷つけていたかもしれません。今もわたしの言った言葉で心の傷が痛んでいる人がいるかもしれません。この罪がいつまでも残るのなら、生きていることができません。

でも、ルカの福音書を読んだとき、罪深い女に対してイエス様の言われた、「あなたの罪は赦されています。」 (ルカ 7:48)という聖書の言葉が迫ってきました。

わたしの罪は神様からすでに赦していただいているのです。そのためにイエス様が十字架にかかってくださいました。十字架にかかるために人となって生まれてきてくださったのですから……。

 過ちを犯し、乳がんにならなければ人の心の痛みに気づくことのなかった欠けのあるわたしが家庭集会を開かせていただいています。このことは、神様の憐れみです。また、背後で祈ってくださる多くの人たちに支えられているからです。

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣けるような者になれるよう願っています。

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