ファンティーヌを看取ったジャンは、テナルディの宿屋から8歳のコゼットを助け出します。そしてコゼットをわが娘のように愛します。
ジャヴェルに追われ、コゼットを連れて逃げるところ、棺桶に入って修道院から出るところなどはハラハラドキドキしました。
コゼットに恋する青年、マリユスが現れたときは、ジャンが娘を取られる父親のような心境になるところに思わず微笑んでしまいました。
しかし、ジャンはコゼットを奪う憎き(?)マリユスを助けるのです。
瀕死のマリユスを背負ってパリの下水道を歩き、命がけで助けたのですが、ジャンはそのことを誰にも言いません。
「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。(マタイ 6:3)」という聖書のみ言葉を思い出しました。
ミリエル司祭に出会った後のジャンの生き方はキリストの生き方そのものです。
面白いのは何度も登場するテナルディです。彼は悪人なのですが、結果的にジャンを助けることになります。
また、テナルディがマリユスに下水道での恩人がジャンであると知らせることによって、ジャンの最期の願いが叶うことになります。
ジャンは死の床でもういちどコゼットに会いたいと切望していました。マリユスは自分を助けたのがジャンであることを知ってコゼットと共にジャンのところに駆けつけるのです。
神様は悪人をも用いられる。それどころか、神はあらゆる出来事を働かせて、誠実に生きる信仰者を助け、恵みを与えることを作者は書きたかったのではないかと思いました。
最後にコゼットが幸せになったところが読者として嬉しかったです。
臨終のとき、ジャンはコゼットに母親の名をあかし、母親について次のように言いました。
「あの人は非常に難儀をした。お前を大変かわいがっていた。お前が幸福な目にあったのとちょうど同じぐらい不幸な目にあった。これが神の配剤である。神は天にあって、われわれ皆の者を見られ、大きな星の間にあって自分の仕業を知っていられる。」
ジャンは天国でイエス様に義の栄冠を受けたことでしょう。
この小説のタイトルは、「レ・ミゼラブル(悲惨な人々)」ですが、わたしは悲惨な人々への神様の憐れみを感じました。
おわり