昨日は、「めぐみの階段」がお休みだったので、水曜礼拝に出席しました。
めぐみの階段と水曜礼拝が同じ時間に教会の別の場所で行われているので、しばらく水曜礼拝には出ていませんでした。
水曜礼拝では、ハイデルベルグ信仰問答の「主の祈り」の最後の部分についてのメッセージがありました。
「主の祈り」とは、イエス・キリストが弟子たちに教えた「祈り」のお手本です。たいていどの教会でも日曜礼拝で毎週祈られています。教会学校の子どもたちも暗唱しています。ご存じない方のために聖書に書かれている主の祈りを紹介します
天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン
マタイ6:9~13
主の祈りでは6つの願いをしていますが、最後の願い『私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください』についての説明を聞きました。
私たちはあまりに弱く、ほんのひと時立っていることもできません。そのうえ、私たちの敵である悪魔やこの世、自分自身の肉(罪)が攻撃を仕掛けてきます。それらに激しく抵抗し戦っていかなくてはならないのです。それらの戦いに完全に勝利することができるようにという祈りです。
悪い誘惑にあったり、攻撃されることがないようにという意味だと思っていたのですが、そうではなく、それらに戦って勝利するようにという意味なのですね。
確かに誘惑は絶え間なく襲ってきます。いちばん怖いのは、自分の中にあるものです。内側から攻撃してくるもの……神様に逆らおうとする気持ちが起きてくるのを認めざるをえません。
それに勝利するには祈りしかないと牧師先生が言われました。
自分の力ではとても勝てません。でも、祈ることによって主の助けが与えられ、勝利できるのですからありがたいです。
イエス様にも誘惑がありました。荒野で悪魔の試みにあっています。ゲッセマネでは、苦しみもだえて祈っておられます。
ゲッセマネでイエス様は十字架の苦しみからのがれたいという思いから勝利されました。イエス様は「わたしはすでに世に勝ったのです(ヨハネ16:33)」と宣言されました。
そして、主の祈りの最後には「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。」と祈ります。あなたというのは神様のことです。
祈るのは、自分の欲を満足させるためではなく、すべてが神様の栄光のためにという意味です。
バッハは自分が作曲した楽譜にSDGとサインしたそうです。Soli Deo Gloriaのことで、「ただ神の栄光のために」という意味です。
わたしも、エッセイや小説、童話を書いたらSDGとサインしたいです。そしてこのブログにも……。