ラッセル・ケルファーについて調べていて、わたしのブログにたどりついたという方からコメントをいただきました。
2006年3月に書いた「だいじょうぶだよ」という詩に慰め励まされましたとコメント下さって、感謝しています。その詩を自分では忘れかけていました。
「だいじょうぶ」という言葉を聞くと、思い出すことがあります。
友人の娘さんが高校受験の前、ストレスで胃に穴があきそうになっていたときのこと、クリスチャンであるお母さんは心配して娘さんを励まそうとしたそうです。
そのとき、娘さんは「心配しないで」と言って、学校で書いた作文を見せたそうです。
作文のテーマは「私の好きな言葉」でした。
娘さんが選んだ言葉は「だいじょうぶ」でした。お母さんは、それが聖書のみ言葉でないので最初はがっかりしたそうです。でも、その作文を読んで感動し、主に感謝したといいました。
娘さんの作文には、『胃が痛くなるほど緊張しても、だいじょうぶだよという声が聞こえてきます。それは、志望校に合格するからだいじょうぶなのではなく、どんな結果になってもだいじょうぶだよという意味です』というようなことが書かれていたそうです。
作文には聖書の言葉も神様という言葉も出てきませんが、信仰がなければ書けない文章です。神様によって守られていること。主権が神様であることを認め、どの学校に入ってもそれが主にあって最善なのだと娘さんは告白しています。
ラッセル・ケルファーは、一日を始める時、このように告白したそうです。
「私の人生は主のものであり、私は主だけに仕えます。」
わたしもそのように祈って一日を始めたいです。
ラッセル・ケルファーの詩を紹介した記事はこちらです。
「だいじょうぶだよ」の詩を掲載した記事はこちらです