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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

あらかじめ備えられて・・・・・・

2015-04-27 17:00:36 | 日記

母の引っ越しまで一週間となりました。
実家の片付けも毎日ゴミと格闘して、8割ぐらいできました。今週半ばにまた実家に行きますが、そのときが最終になります。実家は間もなく取り壊されます。実家がなくなるのは寂しいです。

実家のリビングに皮細工で作った「最後の晩餐」の額があります。(上の写真)
40年ぐらい前、神戸に住んでいたころ、母が作ったものです。わたしがまだ教会へ行く前で、母も教会へ行ったことがありませんでした。なぜ母が「最後の晩餐」の絵を描こうと思ったのかわかりませんが、とても不思議です。
この額は、神戸の家でも、神戸から戻ってきたときもずっとリビングにかけられていました。
後にわたしが信じ、きっと母もイエス様を信じるようになるというしるしのような気がします。

先日は、母が入所する老人ホームの重要事項説明を受けに行きました。4年前に介護棟ができたので、寝たきりになっても介護してもらえる態勢が整えられていること。介護士が夜も常駐し、何かあれば医師や看護師が夜中でも来てくださることなどを確認させていただきました。
わたしは車の運転ができないので、何かと不便なことがあるのですが、その老人ホームは我が家から歩いて5分のところにあります。母の部屋からうちのマンションが見えます。
マンションを購入するとき、老人ホームのことなどまったく考えずに決めましたが、あらかじめ神様が備えてくださっていたのだと思いました。

母は引っ越し準備で疲れが出たのか、先週38℃の熱を出してしまいました。今まで、ほとんど熱を出したことがなかったので、すごく心配しました。でも、翌朝は7℃台に下がり、夜には平熱になったのでほっとしました。
引っ越しが順調にいき、母の体調が整えられるようにと祈りつつ。



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目には見えないもの

2015-04-13 16:49:46 | 日記
実家を処分することになったので、来月の母の引っ越しまでに全部整理することになりました。そのため、今月は自宅より実家にいる時間のほうが多くなるかもしれません。

今年に入ってから、わたしが実家に行くたびに母と少しずつ整理していましたが、物が多くてなかなか片付きません。いる物といらない物を分けるのも大変な作業です。大正時代の食器セットまで出てきて、リサイクルショップに売りに出そうとしたら、断られてしまいました。
かつて母が作った皮細工のバッグ、更紗の作品の数々、つぼや花瓶、いただいた引き出物、亡き父と祖母の着物まで出てきました。最初のうちは、思い出に浸りながらゆっくりやっていましたが、このペースではとうてい間に合わないことがわかって、少し焦っています。
わたしより決断力のある母は、どんどん捨てる物のところに分けて行きます。アルバムまで捨てようとしたので、わたしは写真をはがして持って帰ることにしました。あとでスキャンしてデータ化しようと思います。

そのときはとても大切な品だったものがいらなくなり、価値ある物だったものがゴミになる……。なんだか悲しいです。写真だって、写っている人を知っている人がみんないなくなってしまったら、だれが見るのでしょう……。

こんなに多くの物に囲まれて暮らしていても、ほとんどがいらない物だったと気づくのです。でも、それは仕方のないことでしょう。死ぬときは何一つ持っていけないのですからね。

目に見える物だけが価値ある物だと思っていると、むなしいです。
でも、目には見えない物があり、朽ちない物があるのですから、そこに希望があるのです。
このようにして、母と一緒に片付けをしている時間も、神様から与えられた価値ある物だと思いました。

土曜日に引っ越しの見積もりをしていただきました。何社か頼んだ方がよかったのかもしれませんが、時間がなくて一社で決めました。翌日は日曜なので、見積もりが終わったら土浦の自宅に帰る予定でした。見積もりの時間が予定より遅くなってしまったのであせりましたが、夜8時過ぎには家にたどり着けてほっとしました。
疲れましたが、一晩でかなり回復し、日曜には教会へ行き、CS奉仕も休まずできました。

今日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のホームページを更新しました。だいたいはページを作っていたのですが、
リンクがうまくいかなくて、1時間ほど格闘してから、娘にSOSを出して教えてもらいました。娘にいつまでも頼っていてはいけないと思っても、毎回のようにうまくいかない箇所があるので困ってしまいます。とにかく、今月の更新ができたことを感謝します。

JCPのHPは、ここクリックしてぜひごらんください。


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新しい月に

2015-04-02 16:18:41 | 日記
ブログ更新しなくちゃ……と思いながらどんどん日が過ぎていき、4月になってしまいました。
桜川の土手の桜は満開です。
わたしは相変わらず都内の実家と土浦の往復の日々です。

以前、母の老人ホームへの引っ越しは4月と書きましたが、5月の連休中になりました。
家の処分にあたって土地の問題が起こり、なかなか進展がありませんでした。
母は決着がつくまで引っ越さないと言い張るので、入所はいつになるのだろうか……。入所できないのではないか……と気をもんでいました。

ところが、問題が解決する前に母が入所を決意し、その後で問題が解決したのです。
順番が違うことが不思議でなりません。神様が介入してくださったのです。いえ、これまでも主の導きによっていたのですが、そのことがはっきりわかるために順番が逆になったような気がします。
母の心にも地主さんの心にも神様が働いてくださったのだと思います。

先週は28日まで実家にいて、お茶の水で行われた日本クリスチャン・ペンクラブの例会に出席しました。夕方土浦の家に帰ると、ヒックンが来ていました。

ヒックンは、まだ自転車の補助輪がはずれません。家の近くは危なくて練習が十分できなかったからです。それで、この春休み中に土浦で練習しようということになって、主人が自転車を車に積んで持ってきました。

我が家の近くには桜川があるので、土手で思い切り練習できます。
ペダルをはずして、バランスをとる練習を少ししたら、その日のうちに乗れるようになりました。
わたしが家に戻ると、ヒックンは「重大ニュースがあるよ。ぼく、自転車に乗れるようになったんだ!」と嬉しそうに言いました。

月曜日にはパパも来て、みてもらって合格と言われました。8歳の誕生日の前に自転車に乗れてよかったね、ヒックン。

30日はヒックンとナルクンの誕生会をしました。ヒックンは3月31日生まれ。ナルクンは3月28日生まれなので、一緒にしました。ナルクンはもうすぐ歩きそうです。
4月からママが働き始めたので、ナルクンは保育園デビュー。ヒックンは1年ぶりに児童クラブへ通います。



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眠っている間に

2015-03-14 20:36:55 | 日記
今日は子ども家庭集会のピクニックで霞ヶ浦ふれあいランドに行ってきました。風が冷たかったのですが、ほとんど建物の中にいたので大丈夫でした。子どもたちは外で元気にバトミントンをしていました。
震災で3年間登れなかった虹の塔が修復を終え、登れるようになっていました。

先日胃の検査を受けてきました。昨年の暮れに受けた健康診断で「タコイボ胃炎」と診断されたことと、ピロリ菌の検査をしてもらいたかったからです。
ピロリ菌がいたら簡単に除去できると聞いて、病院に電話すると、まず胃カメラを飲んでもらいますといわれました。

胃カメラにはトラウマがあって、どうも気が進みません。入院中、乳がんの手術前検査で胃カメラを飲みました。午前中に受ける予定で朝から飲まず食わずで待っていました。ところがお昼になっても呼びに来ません。緊急手術が入ってしまったとのこと。受けられたのは午後4時でした。何度も嘔吐しかけたのでひどく叱られました。胃液がたまっているのでやりにくいとも言われました。

それ以来胃カメラを飲むことに恐怖を感じて、受けていませんでした。
とても苦手だと言うと、点滴で鎮静剤を用いて眠っている間に受けるやり方がありますよと言われ、お願いしました。

眠っていても、カメラを入れられるときは気づくのではないかと心配でした。

検査の日の朝、聖書を読んでいたら次のみ言葉が目に飛び込んできました。
「主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。(詩編127:2)」

『このように』というのは、『なくてはならぬもの』とメモ書きされていました。
(安心して眠っていいんだ。眠っている間に必要なことを神様が備えてくださるんだ。)
そう思って病院に出かけました。

簡単な問診と検査の説明があって、ベッドに横になりました。点滴が始まって医師が来られ、口にマウスピースのようなものを取り付けられたところまでは覚えています。そのあと、ぐっすり眠ってしまい、気づいたら別の部屋で横になっていました。

「いつから検査ですか」と看護師さんに聞くと、もう終わったというのでびっくりしました。意識のなかった時間は40分ぐらいでした。眠っている間にすべてが済んでいたのです。

「胃カメラを入れられていること、全然わかりませんでした」と言うと「よかったですね」と看護師さん。
そのあとピロリ菌検査(紙袋のようなものに息を吐くだけ)を受けて、すぐ結果が出ました。ピロリ菌はなかったそうです。



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わたしの思いではなく

2015-01-20 16:22:39 | 日記
先日の家庭集会の学びで考えさせられたことがまだありました。
『祈りの中で「わたしの願い」と「父のみこころ」が占める割合は、どの程度でしょうか』という質問がありました。
かつては、何が何でも自分の願いどおりになることを神様に望み、祈っていました。
今は、神様に委ねられるようになってきたと思っていたのですが、そうでもないことに気づかされました。

昨年の暮れ、母と衝突してしまいました。
母は土浦の老人ホームへの入所を決意し、3月には入所すると言ったので、ホームへ足を運んで説明を受けたり、提携病院を調べたりしていました。

実家へ泊ったときは、押し入れや物置など少しずつ片づけていました。ところが、母が急に5月の連休が明けてから入所すると言い出したのです。
理由を尋ねると、「4月末に友人たちと旅行に行くから」というのです。

「旅行ならホームに入ってからも行けるでしょう。せっかくいい部屋が空いているのに……なくなっちゃうよ」と言うと、「そのときに空いている部屋ならどこでもいいから。空いてなかったら空くまで延ばせばいい」と答え、譲りません。

実家との往復で疲れがピークに達していました。3月までなら持ちこたえられると思っていたのに、2か月も延びてしまうなんて……。
悲しくなって二階に駆け上がって泣きました。

「母が考え直してくれるように」と一生懸命祈りました。
祈っているうちに自己中心の祈りだと気づきました。自分の都合で3月にと思っていたのでした。

50年近く住んでいた家を離れ、遠い土地の老人ホームに入る決心をすることだけでも大変なことです。何よりも親しい友人たちと離れ、慣れ親しんだ土地を離れるのは辛いことでしょう。一大決心をして土浦へ行くと言ったけれど、時期はもうすこし後でもいいと思うのも無理のないこと。
そう思えてきたのですが、母の病気のことが心配になってきました。母は手術をしたのですが、癌が広がっていて、とりきれなかったのです。すでに転移もしているのです。

今は調子が良いのですが、いつまた具合悪くなるかわかりません。
そう思うと、体調の良い時に入所してほしいと思います。

でも、それはわたしの思いです。この先に起こることが何一つわかっていない浅はかなわたしの願いです。

神様は、母の体の状態、わたしの体調、母のイエス様を求める気持ちなど、すべてをご存知です。神様が最善を成してくださるのだから、いちばんよい時期に入所することになるでしょう。

そのように思えたら、絶対3月でなくてはならないという思いが消え、肩の力が抜けました。
気が付くと「わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」と祈っていました。

その後、妹も交えて入所時期を話し合って、4月半ばにということで母は納得しました。
でも、母が引っ越す前にまだ困難なことがあります。

たといこの決定が覆っても、平安でいられるように
わたしの思いではなく……と改めて祈ったのです。



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虹の約束

2015-01-10 16:20:11 | 日記
6日から母と共に2泊3日で熱海旅行に行ってきました。
妹一家と主人と娘、母を入れて7人で出かけるのは久しぶりです。

出かけるときは、旅の途中で母の具合が悪くならないだろうか…と、不安でした。
新宿で11時ごろ妹一家と待ち合わせたのですが、車が走り出してすぐ雲行きが怪しくなり、雨が降り出しました。風も強くて、銀杏の葉がバラバラと音を立ててフロントガラスにぶつかってきました。

海老名サービスエリアで虹がかかっているのをみました。こんなにはっきりとしたアーチ型の虹を見たのは何年ぶりでしょう。
神様が旅の祝福を約束してくださっているようで、嬉しくなりました。

ホテルに着くと温泉に入って、食事をいただきました。母の隣に座ると、「お祈りするんでしょう」と言って、手を合わせてわたしが祈るのを待っているので驚きました。
 


実家でわたしがいつも食前の祈りをすると、母は手を合わせて目を閉じています。アーメンと言うと、「ありがとうございます」と言って食べ始めていました。

家にいるときと同じようにしているので、感動しました。大きな声では祈れなかったので、耳の遠い母はよく聞こえなかったかもしれませんが、祈りはじめるときと終わるときを体の動きで察知していたようでした。

刺身と生野菜は避けましたが、それ以外は何でも食べらます。母は「おいしい、おいしい」と言ってたくさん食べていました。

母はわたしより体力があります。1日に2回お風呂に入り、夕方はカラオケ、夜は皆でトランプをして11時ごろ寝ていました。

わたしは、長時間車に乗って腰を痛め、温泉は1日1回入っただけで疲れ、ホテルではずっと横になり、夜は9時半に寝てしまいました。



2日目に沼津港深海水族館に行ってきました。珍しい深海の生物を見て、嬉しくなりました。神様は、光の届かない深海をも見ておられるのだなあと思いました。



冷凍保存のシーラカンスは、ここでしか見ることができないそうです。

自動車の安全も守られて8日に無事戻ってきました。

神様が天の窓を開いて、あふれるばかりの祝福を注いでくださったように思いました。


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「激」から「静」へ

2014-12-27 17:30:51 | 日記
今年もあとわずかになりました。
昨年のブログを見ると、「覆」という字を今年の一字としています。

2014年は「激」。激動の「激」です。

9月までは穏やかに日が過ぎていました。ところが9月に入って母の具合が悪くなり、検査を受けると胃癌と言われました。
早速入院、手術となりました。手術は成功し、術後の快復も順調です。

これまで一人暮らしだったので、退院後は妹とわたしが交代で泊まりこんで看病することになりました。
妹は実家から車で30分のところに住んでいますが、仕事があるので行ける日が限られてしまいます。

わたしは電車で片道2時間半ほどかかります。妹もわたしも行けないときは、姪や娘が行って、何とか母がひとりにならないようにしてきました。
12月になってから、母はほとんどの家事を病気する前と同じようにできるようになりました。
妹とわたしに「もう、来なくていい」と言っていますが、心配なので週に1回2泊3日で行くことにしました。
年末年始、母は妹の家で過ごすことになったので、ほっとしています。

母の生きる気力に圧倒されています。食べる物、着るものにこだわって、病院へ行くときにも何を着て行こうかと前の日から服を選んでいます。帽子をかぶると髪がぺしゃんとなるので、行くときは帽子をかぶらずに持っていき、帰りにはかぶって帰ります。

食べ物については、「少ししか食べられないのだから、おいしいものが食べたい」と言って、食材やお弁当を選ぶのも時間をかけて選んでいます。
わたしは、着る物はどうでもよく、食べ物は値段の安いものを買うようにしているのですが、母を見習わなくては……。

母のことだけでなく、その他にも我が家では予想もしないできごと(今はそれについて書けませんが)が次々と起こって、心騒ぐ日もありましたが、神様から平安をいただいて、心安らかです。

聖書に「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1)」と書かれています。

人生は大きな船に乗って進んでいるようなものです。穏やかな日もあれば、嵐で船が大揺れになることもあります。でも、イエス様という船に乗っていれば、絶対にひっくり返ったり沈んだりしません。どこへ向かっているのかわからなくても、船はちゃんと目的地に運んでくれます。

今の心境は「激」ではなく「静」です。

ブログを読んでくださる皆様のうえに平安がありますように。

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてぜひごらんください。



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表になった!

2014-12-04 20:32:23 | 日記
実家と土浦の往復が続いています。わたしは疲れて不整脈が現れています。今日は内科の診察日だったので医師に話すと、ホルタ―心電図検査(24時間装置をつけて心臓の状態を記録し、解析する)をした方がいいと言われました。明日も病院へ行かなくてはならないことを考えるとおっくうになり、後日にすることにしました。

先月3連休に、ヒックン(7歳)とナルクン(8か月)がママと一緒に来ました。
ナルクンは離乳食が始まっています。おいしそうに食べる姿を見て、母と重ねあわせました。

母は、食べることによって生き生きとしてきました。「今日は何を食べよう」で一日が始まり、食材を買いに買い物に出かけ、料理をする姿を見て、食べられることのありがたさを感じます。

ナルクンは、お腹をつけてハイハイしてあちこち移動するようになりました。ヒックンが遊んでいた風船をにぎっているのを見つけたときは、ヒヤリとしました。割れないでよかったです。

ナルクンはうつぶせの姿勢をとっていることが多くなりましたが、自分で四つん這いからお座りの姿勢になることができました。
それを見たヒックンが「ナルクンが、表になった」と言ったので、大笑いしました。うつぶせの姿勢のときは裏なんだと言います。発想がおもしろいですね。

ヒックンママが、わたしが大変なことを知って、何かできることはないですか? と聞いてきたので、スマホから写真を送ってほしいと頼みました。
すると、たくさんの写真を送ってきてくれました。ヒックンがナルクンをかまいすぎて、ナルクンがめいわくそうな顔をしている写真や、ナルクンがくちのまわりいっぱいにカボチャをつけて食べている写真。写真屋さんで撮ってもらった、豪華な椅子にすわっている写真など・・・・・

それから驚いたことに息子が「来年のお正月はおせちを作って持っていくから、重箱を貸して」と言ってきました。今年は忙しいからおせちは作れないと言っていたのです。
さて、どんなおせちを作ってくれるのでしょう……。今から楽しみです。


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勇気を出しなさい

2014-10-10 16:36:22 | 日記
皆様、お祈りありがとうございました。
母はずいぶん元気になりました。食べ物も重湯から始まって、三分粥、五分粥、柔らかく炊いたご飯を食べられるようにまでなりました。

一昨日食事指導を受けてきましたが、基本的に食べてはいけない物はないそうです。ただ、繊維の多いものは刻むこと。また、何でもやわらかく煮込んで少しずつ食べることが必要だそうです。食べる量は30%にとどめるようにと言われて驚きました。おいしいとついたくさん食べてしまいますが、セーブしながら食べないといけないのですね。来週あたり退院できそうです。

5日の礼拝メッセージを聞いて大きな慰めをいただきました

新約聖書の使徒の働きにパウロが伝道旅行で様々な危険の中を通ってきたことが詳細に書かれています。書いたのはルカです。
なぜ詳細に書いたかというと、ルカが神の背後の力を伝えたかったからだそうです。

パウロには何度もいのちの危険がありました。でも、そのときどきに時にかなったふさわしい助けがあって、守られたのです。
「神様の守りとは、事故や悲しみを一切経験しないということではなく、その中で神様の善意を信じるとき、神の配慮を見ることができる」と牧師先生が言われました。

パウロはローマに行くことを望み、患難の中を通りぬけてついにローマに到着しました。でも、囚人という立場でした。
願ったことはかなえられましたが、願ったかたちではありませんでした。

わたしも、こうありたいと願います。願いはかなえられても、思い描いたかたちではなかったということがしばしばあります。

気落ちしているとき、パウロは仲間によって励まされています。
「パウロは彼らに会って、神に感謝し勇気づけられた。(使徒28:15)」

わたしも、今回の母の入院でたくさんの方々に励まされています。

神様もパウロを励まします。
「勇気を出しなさい。あなたはエルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。(使徒23:11)」

パウロに大きな使命があるようにわたしにも使命があるのだと思います。
まずは母にキリストを伝えるという使命が。



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いのちの糧

2014-10-04 17:07:48 | 日記
30日に母の手術は無事に終わりました。多くの方々に祈っていただいて心から感謝します。実家ではPCがあってもネットに繋げないので、コメントをいただいてもなかなかお返事ができないでいます。

母は順調に快復しています。まだ傷が痛むので起き上がるのに苦労していますが、だんだんと痛みは和らいでくることでしょう。

術後5日目でやっと水が飲め、6日目から重湯になります。入院の2~3日前から何も食べられなかったので3週間も絶食状態です。点滴でいのちをつないでいるのです。
手術前ですが、母は、おなかがすいたと言って食べたいものを手帳に書いていました。
食べることは、生きることですね。

食事ができることは当たり前のように思っていましたが、食べたくても食べられないことがあるのです。食べることが楽しみでもあるのに、それが奪われている母が気の毒でなりません。
でも、きっとまた食べられるようになるでしょう。そのために手術したのですから。

術夜、母に渡したメモには次のように書きました。
『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。(マタイ4-4)』
「パン(食事)は生きるために必要で大切なものだけど、神様の言葉も生きるために必要で大切なものだよ。今は食物は食べられないけど、神様の言葉を毎日食べて(読んで)ね。」と言って、聖句が書かれているカード、『み言葉のパン』を渡しました。

手術の前の日に母が言いました。
「ほとんどイエス様を信じたけど、すぐクリスチャンにはならない。苦しい時の神頼みみたいになってしまうから」と言いました。
嬉しいです。神様が確実に母の心に働きかけてくださっているのです。

当分の間、東京と土浦の二重生活になるでしょう。わたしの体調は不思議なほど守られています。



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ちょっとだけ信じる気持ちに

2014-09-25 16:54:51 | 日記
母のことを多くの方々に心配していただき、祈っていただいて感謝します。
母は胃癌でした。30日に手術を受けることになりました。
10日以上何も食べていない割には元気にしています。
 
わたしは気持ちが張りつめているせいか不思議なほど元気で、駅に行くのもバスを待つのがもどかしく、30分の道のりを苦も無く歩いています。
でも、昨日あたりから、疲れていたことに気づきました。肩と背中が凝っていて体が重く、水曜礼拝へ行くつもりだったのに休んでしまいました。

先日病院へ行ったとき、嬉しいことがありました。母が「イエス様をちょっとだけ信じる気持ちになった」と言ったのです。「祈ったら、その通りになっていくから」とのことです。母がイエス様に祈ったことが驚きです。

今まで、実家では食事のたびごとにわたしが祈っていました。母は手を合わせて聞いていました。でも、母が祈ったことはありませんでした。母は、「神様は信じるけど、イエス様が神様だと思わない。神様はたくさんいるから」と言っていました。
でも、イエス様は母の心の戸をたたいてくださっているのです。信仰の第一歩になればいいなあと思いました。

この前紹介した花子とアンのセリフはロバート・ブラウニングの詩の一節だそうで、友人が教えてくださいました。紹介します


春 の 朝
                
  ロバートブラウニング作
           上 田  敏訳

春の朝(あした)


時は春、
日は朝(あした)
朝(あした)は7時、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす、
すべて世は事も無し


すべての事の背後に神様の御手があるのですから、どんな状況に置かれてもそれが最善だと信じます。渦中にあって大変という気持ちはなく、自分のまわりで起こっていることが、テレビドラマをみているように感じるのはなぜでしょう。そして頭の中には主を賛美する曲が流れており、みる夢は突飛なものばかりです。

ゆうべはノアの箱舟の夢を見ました。わたしは箱舟に乗っていて肉食獣と草食獣はしっかり仕切られたところに乗っているとノアから教えてもらっているのです。
箱舟の外に母と妹がいたので、降りて行って中に入れようとすると、大水が来て、溺れると思ったところで水が二つに分かれ、箱舟まで一本の道ができていました。そこで目が覚めましたが、その道を歩いて3人で舟に乗ったのだと思います。

母に書いて渡した聖書の言葉
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。(イザヤ43:2-3)


また明日は病院です。ひとりで実家に泊まるのですが、母のいない実家に泊まるのは寂しいです。
あっ、ひとりではないですね。イエス様がいてくださいます。



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入院の日

2014-09-18 16:24:24 | 日記
母の具合が悪くなり、一昨日入院して検査を受けることになりました。
わたしは、土浦と三鷹の実家の往復(片道2時間半かかります)で、めまぐるしい日々を過ごしています。
そのような中で、「花子とアン」の中で語られる言葉に励まされています。

どんなに暗い朝でも、必ず朝がやってくる。
アンも言ってるわ、「朝はどんな朝でも美しい」って


曲がり角をまがった先に、何があるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。

思いもかけないことが起こると、悪い方、悪い方へと考えて不安になってくるのですが、神様に目を向けると、良い方に向かっているにちがいないと思えてきます。

なぜなら、神様はいちばんよいものを用意してくださるからです。最善をなしてくださるからです。
目の前で起きていることばかり見つめていると、絶望的になることもありますが、視点を変えると、苦しみが美しい絵をひきたてる重要なものとして描かれているのだろうと思えてきます。

入院の日の朝、母と一緒に「花子とアン」を見ていました。

「神は天にあり,世はすべてよし」
テレビから流れてきた言葉をメモして、バッグの中に入れました。

85歳の母は、(お産の時以外)初めての入院です。父や妹やわたしは何度も入院しましたが、母はいつも元気でした。

入院にはやはり不安があるようです。入院前日(15日)の夜は落ち着かず、家の中を歩き回っていました。そんな母を座らせて短い時間でしたが、共に聖書を読み、イエス様のことを話し、母の手を握って祈ることができました。

その聖書箇所は創世記28:15です。
「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしはあなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

「神様はお母さんがどこへ行っても一緒にいてくださり、守ってくださるよ。
神様はお母さんを必ず元気にして、連れ戻してくださる。この地はこの家のことだね。」
と言うと、母は黙って頷きました。

「神は共におり,入院はすべてよし」です。



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母の背中

2014-09-02 11:46:34 | 日記
早9月に入りました。
年を重ねるごとに月日のたつのが早く感じられ、それでいて何かをしようとすると今までの何倍もの時間がかかっています。本当に大切なことは何か考えて、選びながらやっていかないといけないなと思っています。

先週実家に行ってきました。8月は2回目です。30日にお茶の水で用事があったので、前日から行って泊まりました。日帰りでもよかったのですが、85歳の母がまた食欲がないというので心配で実家に寄りました。
母は涼しくなっても食欲が出ず、ひとまわり小さくなってしまった感じです。

夕食を作ると、おいしいと言ってよく食べていたのでほっとしました。でも、翌日「久しぶりにたくさん食べたから、胃がもたれて……」と朝食も昼食も食べずじまいでした。

おやつに煎餅を持って行くと、食べられないと言ったので驚きました。以前あんなに好きだったのに……。歯が悪いわけではありません。欲しくないのだと言って袋を開けもしませんでした。

カロリー補給の食品や飲料を買って行ったこともありましたが、味が気に入らないと言って口にしてくれません。胃が小さくなっているので、一日に何回かに分けてゆっくり食べるように言いました。

そんな母になんとかイエス様のことを伝えたいと祈っていました。これまでわたしが書いた証しの文章はほとんど読んでもらっています。他の人が書いた信仰の証し文。三浦綾子さんの本も読んでもらっています。
でも改めてイエス様がしてくださったことを話していなかったので、以前、癌で余命わずかと言われた父に話したようなことを話そうと決心していました。

でも、向き合うと話し出すのが難しく、『この次にしようかな。』『今はやめておこう。』という気持ちになってしまいます。

わたしが実家に泊まるときは、お風呂上りにいつも母の背中に軟膏を塗るのが習慣になっていました。3種類もの薬をカサカサになった背中に塗るのです

一人暮らしのため普段はできないことなので、母にとって、そのときが至福の時になっています。わたしは背中に薬を塗りながら、『今だ!』と思って伝えました。

神様が天と地を創造してくださったこと。わたしたち人間を造ってくださったこと。造っただけでなく、とても愛しておられること。
人は神様のいいつけを破ってしまったために、魂が滅びてしまうようになったこと。
神様は愛する人間が滅びてしまうのが忍びなくて、ひとり子のイエス・キリストを地上におくり、十字架につけて人間の代わりに罰を与えたこと。イエス様が身代わりになってくれたことで、人間はイエス様を信じるだけで永遠のいのちをいただけるようになったことを話しました。

「神様がいること、神様が人間を造ったことは信じるけれど、イエス・キリストが神の子とは思わないし、救ってくれたとも思わない」
母はきっぱりと言いました。

わたしはがっかりしませんでした。神様の存在を信じてくれただけで一歩進んだと思ったのです。かつては無神論者でしたから。
それよりわたしが母に伝えられたことが嬉しかったです。肉親に伝えるのは、友人に伝えるより難しいと思います。

とにかく伝えられたのだから、母の心の中に入ったのです。それがいつか熟して、信じ、受け入れられると確信しました。そうさせてくださるのは神様です。わたしはただ祈るだけです。


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夏休みの終わりに

2014-08-28 21:25:04 | 日記
ヒックンと過ごす夏休みが終わりの時を迎えました。今回は、教会のお祭りに行くために24日午後にやってきました。ママとナルクンも一緒にお祭りに行きました。野外礼拝のあと、筑波大生によるジャグリングを見せていただきました。
ヒックンはゲームコーナーで輪投げを何回もして楽しく過ごしました。


25日は雨が降っていたのですが、絵を描くためにつくば市の公園へ出かけました。緑のある公園の絵を描くのが宿題だったので、公園をぐるりと巡りました。たくさんの緑の木が生えています。緑は一色ではなく、深緑、黄緑、黄色に近い緑など何色もあること、池に木の影が映っていることなど気づくように話しながら景色を眺めました。



水鳥が休んで羽繕いをしていました。ヒックンがかなり近くまで行っても逃げませんでした。(この写真はヒックンが撮りました)
池の中ほどにある木の枝にとまって羽を休めている鳥もいました。


帰ってから絵具で一気に描きました。花の咲いている木は池のほとりにはなく、別の場所にあったのですが……。

26日は夏休み最後のお楽しみです。


ヒックンと主人とわたしの3人で水陸両用バスで土浦市内と霞ケ浦を巡るダックツアーに参加しました。写真はダックツアーのバスです。

窓ガラスがないだけで、外観はふつうのバスですが、道路を走り、そのまま湖に入れるのですからすごいです。
窓ガラスがないのは、重量オーバーになるからだそうです。途中で雨が降ってきましたが、降りこむほどひどくなかったのでよかったです。

市内を走っているときにパトカーがものすごいスピードでバスの横を走り抜けました。ガイドさんは、どこまで話したかわからなくなってあせっていました。ようやく話の続きを始めると2台目のパトカーが走り抜け、覆面パトカーと計4台ものパトカーが通りました。車内はガイドさんの説明より、パトカーのことで話が盛り上がってしまいました。

霞ケ浦に入る前、運転手さんが交代しました。陸上と水上では運転免許が違うので、湖に入るときは船舶免許を持っている人でないと操縦できないのです。


いよいよ霞ヶ浦に入ります。子どもはライフジャケットを身につけました。みんなで「バンザーイ」と掛け声をかけてコンクリートの坂道を下り入水しました。
霞ケ浦は琵琶湖に次ぐ全国で2番目に大きい湖です。


カモメが列をなして防波堤にとまっていました。船長さんが餌をやろうとしたら、その前に一斉に飛び立って、一羽もいなくなってしまいました。

天気の悪さが気にならないほど楽しい体験をさせてもらいました。

宿題の予定表をみると、8月11日のところに「ゆこちゃんのたんじょうび」と書いてあったので驚きました。ゆこちゃんとはわたしの呼び名です。「ゆこちゃんとは、誰ですか?」と先生に聞かれるかもしれませんね。



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義母と母

2014-08-17 17:01:20 | 日記
先週は両方の実家に行ってきました。

今回は、息子が生後4か月の赤ん坊(ナルクン)をおばあちゃん(曾祖母)にみせたいというので、わたしも息子の車に乗せてもらって一緒に千葉に向かいました。後ろの座席にチャイルドシートが2つあるため、ほかにひとりしか乗れないので主人は電車で行きました。
車の中にいても熱中症になることがあるそうなので、心配でした。14日は曇っていて暑さが少しやわらいだのでほっとしました。
ナルクンは車が動くとすぐ眠ってしまいました。

ヒックンは、教会キャンプの翌日、ママのご両親に旅行に連れて行ってもらい、13日夜に帰って来たばかりでした。
疲れが出たのか機嫌が悪く、30分もぐずぐず言っていました。

指が痛いと言うので、みると深爪をしてしまったようで、膿がたまっていました。ママに膿を出してもらって消毒してからは、痛みがおさまったようで機嫌も直りました。

道路は少し混んでいて、2時間近くかかりました。
お墓に寄ってから、実家にいきました。義母はひ孫を抱いて感激していました。

14日の夜、わたしひとり千葉の主人の実家から三鷹の実家へ電車で行きました。東京駅で電話をしてから行くと、実家の前で母が小雨の中、懐中電灯を持って立っていました。駅から5分の場所ですが、心配して立っていてくれたのです。ジーンときました。

わたしが三鷹に行くことを知って、妹が来ていました。

三鷹へはたいていクリスチャン・ペンクラブでお茶の水に行く前日に泊まるので、たくさんのことはできませんでした。
でも、今回はペンクラブはなくて、2泊したので掃除や片付けがたくさんでき、ゆっくり話すこともできました。

母は昨年の夏、暑かったので食欲がなくなり、7㎏も痩せてしまいました。今年も猛暑でさらに3㎏も痩せたというので、心配です。一緒に料理をして食べると、久しぶりにたくさん食べられたといって喜んでいました。

義母87歳、母85歳。どちらもひとり暮らしです。老人ホームに入る話も出ていますが、なかなか難しいです。遠く離れて住んでいると常に気になります。
わたしは朝と1日3回の食前の祈りのときと夜、義母と母のことを祈っています。



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