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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

色をなくしたインコ(その3)

2011-05-30 19:59:37 | 童話
今回は最終回です。

(七)
「もうそろそろいいだろう」
ノアがやってきて、天井の窓を少し開くと、サーッと光がさしこんできました。久しぶりの日の光に、一同はまぶしくて一瞬何もみえませんでした。

しばらくしてみえてきたとき、レアが「ククククー」とおどろきの声を上げました。
自分にはちゃんと色があるのにヨエルが灰色一色になっていたからです。
「ヨエル……ああ、なんていうこと……」
レアはショックでふるえています。

「ポポが元気になるんだったら、これでいい」
ヨエルは神さまが祈りをきいてくださったのだと思いました。

それでもヨエルは美しい色がなくなってしまったことがショックでした。じまんできるものが何もなくなってしまったのです。ノアはもう自分のことをかわいがってくれないでしょう。

悲しくて、悲しくて歌もうたわず、おしゃべりもせず、うつらうつら寝てばかりいました。
ヨエルは、ノアが最初にカラスを連れて部屋を出て行き、次にポポの奥さんのルルを連れて部屋を出たことに気づきませんでした。

(八)
ルルがもどってきたときから、ポポは食事をするようになりました。
ノアは、水がどれくらいひいているのか調べるのにハトを使ったのです。一週間後に今度はポポを外に放つとノアが言いました。それを聞いたポポは、灰色の鳥でも人間の役に立てることを知って嬉しくなり、えさを食べはじめたのです。

ノアが、すっかり元気になったポポを連れて部屋を出ていったときも、ヨエルは気づきませんでした。
「ポッポッポッ、みんな、聞いて! 嬉しい知らせだよ」
ポポがノアのかたにとまって部屋に入ってきました。ノアの手にはつややかな緑のオリーブの葉がありました。

「ポポがこれをくわえてきた。外は大洪水だったが、このオリーブの葉は水がひいてきた証拠じゃ」
「もうすぐ舟から出られるの?」
レアがたずねました。
「そうじゃよ」
「また、大空をとべるんだな」
ダイゴがはねを広げました。

「やったー!チチチ」
「バンザーイ、チュンチュン」
鳥たちは大喜びです。
元気なポポの姿をみてヨエルはほっとしました。けれども、舟から出られると聞いてもちっとも嬉しくありません。

ノアは、浮かない顔をしてそっぽを向いているヨエルに気づきました。ノアは灰色になったヨエルをみておどろきもせず、ヨエルの頭をなでました。
「おれのはね、きれいな色じゃなくなっちゃったよ」
「ちっともかまやしない。お前は大事な鳥だ。わしはお前のことが大好きじゃ」
ノアはヨエルの灰色のはねにほおずりしました。

(九)
ついに箱舟から出る日がきました。窓が大きく開かれ、いっせいに鳥たちがとび出しました。ヨエルは、灰色のはねでも大好きといってくれたノアの言葉で元気を取りもどしていました。
ヨエルはレアと連れだって大空をとびまわりました。ヨエルとレアが木の枝ではねを休めると、ポポとルルがすぐ隣の枝にとまりました。
「ポポ、ごめんな。おれが悪かったよ」
「ヨエル、ごめん。ぼくこそ悪かった」
二羽はお互いに心からあやまりました。

空に七色の線がすうーっと引かれ、虹が出ました。ヨエルは虹に向かって飛びたちました。
ヨエルの体が虹の中にすっぽり入りました。虹から出たとき、レアは驚いて目を丸くしました。ヨエルのはねが虹色に染まっていたからです。

ヨエルのはねは以前より美しくなりました。でも、ヨエルは決してだれにもじまんしませんでした。だって、はねの色は自分がつけたのではなく、染めてもらったものだからです。

ポポとルルにも虹の光が注がれました。ハトの首に虹色の首輪がみえるのは、このとき虹の光を浴びたからでした。

                    おわり



最後まで読んでくださってありがとうございました。


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色をなくしたインコ(その2)

2011-05-29 16:33:06 | 童話
昨日はJCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)の例会に出席し、たくさんの恵みをいただきました。今日の日曜礼拝にも祝福がありました。
昨日と今日のことは後日書かせていただきます。まずは、先日の童話の続きを……。


(四)
 ノアが部屋を出ていってまもなくザーザーと雨音が聞こえてきました。雨音はバラバラとたくさんの小石がぶつかっているように激しくなりました。音は何日も何日も続きました。
 やがて舟がゆっくり傾き、シーソーのようにゆれました。相変わらず部屋は灰色の世界です。
ヨエルはじまんのつばさを広げてみますが、どんなに目をこらしても灰色にしかみえません。ヨエルはだんだん不安になってきました。

「どうかしたの? おまえさん」
 元気のないヨエルのことをレアが心配してたずねます。
「おれさまのはねは、灰色になってしまったんだろうか……」
ヨエルはくちばしで胸のはねをつつきました。
「クックックッ……」

レアは大笑いしたいのをこらえて、
「暗いからそうみえるだけよ。わたしのはねだって灰色にみえるでしょ。雨がやんで窓があいたら、きれいな色がみえるわよ」
「そうかなあ……だと、いいんだけど……」
レアの言葉にヨエルは少し安心しました。

(五)
雨音は今日も続いています。舟はゆれるたびにギシギシ音をたてます。外はどうなっているのでしょう。
このまま薄暗い部屋に閉じ込められたままなのでしょうか。最近では、鳥たちはおしゃべりする元気もなくなっていました。

「ああ……この世界の色が全部なくなっちゃったみたいだ」
ヨエルがため息をつきました。
「神さまが色を滅ぼしてしまったのかもしれないな」
ダイゴがいうと、ポポがグルルーグルルーとのどを鳴らしました。
「色が滅びるなんて、そんなこと、あってたまるか!」
ヨエルは壁にくちばしをつきたてました。

「色が滅びたら、みんながぼくたちみたいに灰色の鳥になるんだな」
ポポが明るい声でいうと、ヨエルの首のあたりの毛が逆立ちました。
「そんな! ポポみたいにきたならしい灰色になったらおしまいだ」
ヨエルは叫びました。

「おしまいって、どういうこと?」
ポポが首をかしげました。
「灰色の鳥なんて、何の価値もありゃしない。灰色になるぐらいなら死んだ方がましってことさ」
「何の価値もない……死んだ方がまし……」

ポポはポツリというと、がっくり頭をたれて黙りこんでしまいました。
「ヨエル、いいすぎよ! ポポ、傷ついちゃったわよ」
レアがたしなめました。ヨエルははっとしました。ひどいことをいってしまったと心がズキズキ痛みました。じまんのきれいなはねの色がみえないのでイライラしていました。そのイライラをポポにぶつけてしまったのです。
(ぼくは、なんていやな鳥なんだろう……)ヨエルは落ちこみました。

(六)
いつしか雨音が聞こえなくなり、静けさがもどってきました。
「雨がやんだんだ。もうすぐ外に出られるぞ!」
ダイゴが叫ぶと、

「やったー、チュンチュン」
「やったー、ピチピチ」
しばらくうたうことを忘れていた鳥たちが、いっせいにうたいだしました。インコとハト以外は、どの鳥もうれしそうにさえずっています。

インコ夫婦は右端の止まり木でじっとうつむき、ハト夫婦は左端の止まり木にとまって、やはりうつむいています。

 ポポの奥さんのルルが何かを決心したようにヨエルのところにとんできました。
「どうしてくれるの。うちのだんなさんは、ヨエルの言葉に傷ついて、三日もえさを食べてないのよ。このままだと死んでしまうわ。わたし、まだ卵も産んでないのに……死ぬってことは、ハトがこの世界からいなくなるってことなのよ」

「ごめん。おれ、本当に悪かったと思っている。ポポにあやまるよ」
ヨエルがポポの方へいこうとすると、ポポが頭を横にふって、
「こないでくれ。かえって具合が悪くなる」
と弱々しい声でいいました。

ポポの奥さんはヨエルをにらみつけてもどっていきました。
「どうしよう。おれのせいで……」
ヨエルは心から悪かったと思いました。
でも、口から出してしまった言葉をもとにもどすことはできません。あやまってもゆるされないならどうしたらいいのでしょう……。

「おれはポポの心を傷つけてしまいました。どうかポポを元気にして下さい。ポポの命を助けて下さい。おれのはねが灰色になってもかまいませんから」
ヨエルは祈りました。

                      つづく



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色をなくしたインコ(その1)

2011-05-26 20:02:56 | 童話
久々に創作童話を掲載します。
昨年日本クリスチャン・ペンクラブで発行した「花鳥風月」に掲載された童話です。ノアの箱舟の動物シリーズで書いています。

 
色をなくしたインコ
 
                           

(一)
今から五千年ほど前、ノアは箱舟を作り、すべての種類の動物をひとつがいずつ乗せました。
ライオン、象、チータなどの大きな動物。リスやウサギ、犬やネコ。ヘビやカエル、虫や鳥を種類ごとに部屋に入れました。

箱舟の中でいちばんやかましい場所は屋根裏部屋です。そこは鳥たちの部屋でした。
チュンチュン、ピピピ、チチチ……と、鳥たちは歌をうたったり、おしゃべりしたりしています。
オオワシのダイゴがはねをバサバサゆすると風が起こり、ハチドリが風にあおられてひっくり返りました。

インコのヨエルは、部屋のまん中の横木にとまって、ツンとすましています。ヨエルのつばさは目のさめるようなコバルトブルー。背と腹は黄色。頭から胸にかけて赤いもようがあります。
天井の小さな窓から夕日が差しこみ、ヨエルのはねはいっそうあざやかにみえました。

「おれさまほどきれいなはねの鳥はいないぞ」
ヨエルはじまんげに胸を突き出しました。
「ホントにきれい。あなたは、ひときわ目立っているわ」
奥さんのレアがうっとりとした目でヨエルをみつめました。

(二)
とびらが開いて、ノアが桶いっぱいのトウモロコシと水を持ってやってきました。

「わーい、ごちそうだ!」
 みんないっせいに桶のところにとんできて、争いながらそのふちにとまりました。

「おい、そこをどけ、おれさまが食べられないじゃないか」
ヨエルがハトのポポを追いやりました。
「みんな、どいてよ。わたしたち小さな鳥が先よ」
ハチドリがキーキー声を上げました。

「争ってはいけないよ。食べ物はじゅうぶんあるのだから。仲良くお食べ」
 ノアはおだやかな声でいうと、部屋を出ていきました。

「いちばん偉い鳥から食べることにしないか」
ヨエルがみんなを見回していいました。
「いちばん偉い鳥ってだれだい?」
ポポが頭をくるりと回しました。
「そりゃ人間に喜ばれる鳥だよ」
「どんな鳥が人間に喜ばれるんだい?」
「はねが美しい鳥に決まってるじゃないか」
ヨエルは黄色いくちばしで自分の胸をつつきました。

「おい、ヨエル。お前は美しいものが偉いって思っているんじゃないか?」
ダイゴが口をはさみました。
「当然だよ。美しい鳥は、人間の目を楽しませ、喜ばせる。だからいちばん偉いのさ」
ヨエルはコバルトブルーのつばさを広げました。
「きれいなはねなんて、何の価値もありゃしない」
ポポがヨエルの頭をチョンとつつきました。

「ポポ。お前、おれさまのはねがあんまりきれいだから、うらやましいんだろう」
「うらやましいなんて思うもんか」
ポポは本気で腹を立てるとヨエルに向かってきました。
「やめろー!」
ダイゴが大声で叫ぶと、ポポは床に降り、ヨエルは天井までとんでいきました。

あたりはシーンと静まりかえりました。
ダイゴはゆっくりと桶の上に降り、中味をくちばしでつつきました。トウモロコシはパラパラと床にとび散りました。
「こうすればいいだろ」
小さい鳥たちはとび散ったのを食べ、大きな鳥たちは桶から食べ、争うことなくみんながおなかいっぱいになりました。
                          
(三)
翌朝、ノアがやってきました。
「これから雨がふってくる。雨は何日も続くよ」
ノアは長い棒を使って、天井の窓をぴたりと閉じました。
鳥の部屋は暗くなり、何もみえなくなりました。しばらくすると目が慣れて少しだけみえてきましたが、全体が灰色にぬりつぶされたようです。
「何日もって、どれくらいですか?」
ヨエルがたずねました。
「わしにもわからん。雨がやんでも地がかわくまでは外に出られないのだよ」
ノアはあごひげをつまみました。
「えーっ、こんな薄暗いところにずっといないといけないんですか?」
「ほかの動物たちもみんなしんぼうしている。外へとび出そうなどと考えてはいけないよ。この舟の中だけが安全なのだから」

                   つづく



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シロヤマブキ(あと書き)

2009-05-07 13:07:15 | 童話
一昔前までは犯罪といえば必ず動機がありました。怨恨によるものが多かったので、被害者の人間関係を調べれば犯人が浮かび上がってきたことでしょう。

でも、最近の犯罪は動機が不確かです。土浦市殺傷事件の犯人は「自殺したいけれどできないから、誰かを殺して死刑になればいいと思った」言いました。つまり、殺す相手は「誰でもよかった」のです。秋葉原の事件と類似しています。
不可解としか思えないような事件が起きるのは何故なのでしょうか……。

犯人は、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と言って自らの罪を認めることさえしていないようです。


人の命は神様から与えられたもので、何よりも尊いものであること。自分の力で生きているのではなく、生きることをゆるされているから今、生かされているのだということ。生かされているのには、意味があり、ひとりひとり使命があるということ。
どんなに生きたいと望んでも明日まで生きられない命があるということ。

これらのことを犯人に伝えたいです。


シロヤマブキの主人公は被害者の家族です。ひとつの悲惨な事件が家庭を崩壊させる例はめずらしくありません。浩一が生きる気力をなくした理由は理解いただけると思います。
なぜ浩一はナイフを持って出かけ、人を刺そうとしたのでしょうか。

息子が高校生の時、友人から借りてきたと言って、敵を刺していくテレビゲームをしているのを見ました。刺すと血が噴き出し血みどろになってバッタリ倒れます。あまりにもリアルなのでぞっとしました。「こんな残酷なゲーム、すぐにやめなさい!」としかると、「お母さん、ゾンビを刺しているんだよ。人間じゃないよ」と息子が言い、小学生の娘も喜んで画面をみていました。ゾンビといっても人間の姿をしているのです。

あまりにも気持ち悪くて、やめさせました。2度とそのゲームをしないことを息子に誓わせました。
刺し殺すということをゲームの中で何時間もしていると、現実にも刺したくなってしまうことはあり得ると思います。なぜそのようなゲームが作られるのか、なぜ子どもたちが簡単に手に入れられるのか? 大きな問題です。


この物語のもうひとりの主人公ユリエについては、心理描写をしていません。犯人や被害者の家族のためにも祈れる人がいるのだろうか?と思われる方があるでしょう。

ユリエは目の前で親友を殺され、3年間もPTSDで苦しんでいます。歩けるようになったものの、一生杖をつかなければならない障がい者となりました。そのような者が犯人を赦せるのでしょうか……。ユリエは最初から赦したわけではありませんでした。最初は憎しみと闘っていました。

なぜ赦せたか……そのヒントはシロヤマブキにあります。以前ブログにも書きましたが、シロヤマブキは花びらが4枚で十字架を連想させます。

イエスキリストは、十字架の上で十字架につけた人たちに向かって祈られました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)


自分の罪をキリストに赦していただいたのだから、自分に対して罪を犯した人を赦したいと願ったとき、『犯人のために祈る』という奇跡が起こるのです。そして奇跡をみたひとりの少年が悔い改めに導かれました。

 

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シロヤマブキ

シロヤマブキ(その1)

子どもたちにメディアワクチンを


シロヤマブキ(その4)

2009-05-05 17:46:14 | 童話


「あらっ、あの子、とうとう階段のぼれたわ」
母親がこれまで緊張していた顔をほころばせ、目を閉じて胸の前で手を組んだ。

「やったわね、すごい! いってみましょう」
「まだだめなの。自動券売機のところまでいけたらケイタイを鳴らすことになっていて、それまでは来ちゃダメっていわれているから……」
母親はポケットからケイタイを取り出してじっとみつめた。

浩一は、ユリエが気になって階段を一気に駆け上がった。
ユリエは、券売機の手前で四つん這いになってハアハアと苦しそうに息をしていた。

「大丈夫ですか?」
駅員が駆け寄ってきて、ユリエに声をかけた。
「だ、大丈夫です。もう少しなので……」
ユリエの顔は真っ青で、額からは汗がにじみ出ていた。

ユリエは手を組んで目を閉じている。唇が動いているので、浩一は何といっているのか知りたくてユリエに近づき、耳を傾けた。

「神様、あそこの券売機までいけるように力をください」
ユリエは、か細い声で祈っていた。
祈り終えると、ユリエは杖をとって立ち上がり、一歩一歩進んでいった。

ようやくたどり着いて、ケイタイを取り出したあと、ほっとしたのかその場に座りこんでしまった。

間もなく母親ともうひとりの女の人が駆けつけた。
「よくやったね、ユリエ」
「おめでとう、ユリエちゃん」
3人で抱き合う姿がみえた。

ユリエは手を組むと、今度は、はっきりとした力強い声で祈りはじめた。

「神様、ここまでひとりでこれたこと、ありがとうございます。つらい事件でしたが、もう2度とあのような事件が起こりませんように。犯人が悔い改めて更正できますように。そして、ヒサヨの家族を守ってください」

(ヒサヨの家族って……オレたちのこと?)
浩一は祈りの言葉を聞いて、胸をつかれた。
(神に感謝し、犯人のためにも祈っている……。なぜそんなことができるんだろう……)

何気なくポケットに手をやると、かたくて冷たいものに触れた。誰かを刺し殺そうとしていたことを思い出した。

(オレと犯人との違いは、ほとんどないじゃないか……オレが人を刺さなかったのは、あの子が祈ってくれたから……それとも、シロヤマブキが咲いていたせいかもしれない)

浩一は急いで階段を下りると、すぐ横にある交番へ駆けこんだ。机の上にナイフを置くと、しぼり出すような声でいった。

「殺人未遂です。逮捕してください」
交番の机の上に生けられているシロヤマブキが小さく揺れていた。

                おわり

シロヤマブキ(その3)

2009-05-04 17:00:14 | 童話


背後から中年のおばさんの甲高い声が聞こえてきた。
「ユリエちゃんは?」
「ひとりで上ってみるって、きかないから……」

ユリエという名前に聞き覚えがあったので振り返ると、浩一の母親と同じ年代の女の人がふたり、おしゃべりしていた。

ひとりは緊張した面もちで階段を見上げている。階段の中ほどに杖をつきながらようやくのぼっている少女がいた。
「まあ、ユリエちゃん、ひとりでのぼっている。偉いわー」
もうひとりの女の人が大きな声でいった。女の人たちは浩一の存在を気にもとめていない様子だ。

(この二人を刺してもいいんだ)
浩一はナイフの入ったポケットに手をつっこんだ。

「ユリエちゃん、殺傷事件のあと大変だったものね……」
殺傷事件と聞いて浩一ははっとした。ヒサヨが殺された事件のことを話しているようだ。

「命はとりとめたけど、腰を刺されて歩くことは無理だっていわれていたのに……。一生懸命リハビリして、歩けるようになったのよね」
「でも、心的外傷の方が大きかったみたいで、駅にいくと恐怖で立っていられないほどになってしまうの……」
「でも、それも克服しようと毎日駅に通っているんでしょう……。ほんとに、ユリエちゃんはがんばり屋ね」

死なずに大けがをした人が何人かいたと聞いていたけど、あの少女がそのひとりのようだ。

(どうしてあの子は助かって、ヒサヨは死んでしまったんだ……)
浩一は答えの出ない疑問をみえない誰かにぶつけていた。

「がんばり屋というわけでもないのよ……」
少女の母親が階段をチラチラみながら話している。
「あのとき一緒にいた友達のヒサヨちゃんが死んじゃったでしょ。自分だけ助かって申し訳ないって思っているみたい」

思いがけずヒサヨの名が出てきて、浩一はドキッとした。ユリエという名に聞き覚えがあると思ったのは、ヒサヨがよく口にしていた友人の名だったからだ。

浩一は二人の話にじっと耳を傾けた。
「ユリエちゃんのせいじゃないのにねぇ」
「そうなんだけど、先に刺された自分が、友達を守れなかったことがつらいって……。
刺されたとき、声も出なかったようだけど、あのとき大声を上げていたら、ヒサヨちゃんは助かったかもしれないって……」

少女の母親はバッグからハンカチを取り出して、ぎゅっとにぎりしめた。
「でも、そういうときって、声なんか出せないんじゃないかな」
「あまり突然で、その瞬間は刺されたことにも気づかなかったみたい……」
少女の母親はハンカチで目をぬぐった。

「あの事件から三年……。今日は、殺された人たちの命日よね」
命日と聞いて、浩一ははっとした。(今日が三年目だったのか……)
「ヒサヨちゃんの命日には改札のところまでひとりでいくんだって、それで頑張っているのよ」

                    つづく

シロヤマブキ(その2)

2009-05-03 16:08:47 | 童話


ユリエは杖をつき、足を引きずりながらようやくA駅の階下までたどりついた。ユリエを見守るように母親がすぐ後ろにつきそっている。
ユリエは手すりにつかまって、一段ずつゆっくりと階段をのぼる。手すりをつかんだ手が汗ばむ。背中にも冷たい汗。心臓の音がドクンドックンと聞こえ、呼吸が速くなる。全身に震えがきて階段の途中でしゃがみこむ。左手に持っていた杖がカタカタと階段を落ちていった。

あのときのことが……いきなり腰を刺されたあのときのことが思い出され、体がかたまった。ユリエは母親に抱きとめられた。
「もっと、のぼる」
ユリエが真っ青な顔でいった。唇が震えている。
「無理しないで。今日はここまでにしておこう。すごいよ、ユリエ。十段ものぼれたんだもの」
「うん……」

ユリエは素直にうなずいて母親に抱えられるようにして階段をおりた。
「もう少し上までのぼれると思っていたのに……」
階段を下りて、落ち着きを取りもどしたユリエは、泣きそうな顔で階段を見上げた。

「あせらないで、ゆっくりでいいよ。きっといつか平気になるときがくるから」
「うん。昨日までは一段しか上れなかったんだもんね」
ユリエはにこっと笑って、杖をつきながら母親と家に戻っていった。



 浩一はうつろな目つきで駅に向かっていた。久しぶりに外に出たので、日の光がまぶしくて頭がクラクラする。
ポケットには切り出しナイフが入っていた。

部屋のカーテンを閉め、起きているときはほとんどゲームをしていた。おなかがすくと台所でカップ麺を食べ、またゲームに没頭した。コントローラを持つ手にはまめができていた。

朝なのか夜なのか、いつ眠っているのかさえわからなくなった。やめたいと思うのにやめられない。

ゲームをしていないときは、妹が殺された記憶がよみがえり苦しくてたまらないからだ。そんな毎日に区切りをつけたくなった。

リセットだ。リセットするためには、人を刺すしかない。
目を閉じると敵を刺して進む自分の姿がみえる。何度もシュミレーションを繰り返す。敵をすべて刺し殺せば、新しい世界にいけるゲームの世界。浩一は、ゲームの世界と現実との境がわからなくなっていた。

(誰でもいい。誰かを刺せばこの生活にピリオドが打てる)
改札で出会った人を刺そうと、浩一は駅の階段の下に立った。

ふいに誰かにみつめられた気がして、はっと横を向いた。花壇に植えられたシロヤマブキの花がこちらをみていた。清楚なシロヤマブキをヒサヨが大好きだったことをぼんやり思い出して、しばらくそこに佇んでいた。

                 つづく

シロヤマブキ(その1)

2009-05-01 13:28:53 | 童話

土浦市JR荒川沖駅付近の殺傷事件の初公判が行われたというニュースが流れました。

この作品は、先日JCP(日本クリスチャンペンクラブ)で合評していただいたもので、この事件をヒントにして書きました。(実話ではありません)

「駅」というテーマで小説、童話、エッセイのいずれかを書くという課題が出ていました。最初は箱舟シリーズで2作書いているので3作目をと思ったのですが、ノアの箱舟と「駅」が結びつかなかったので、書けませんでした。それで、かねてから問題意識を持っていた「誰でもよかった」といって事件を起こす若者の心理に迫りたいと思って書いたのです。もしかしたら、こちらの方が本当に書きたかったものかもしれません。

先日ブログで発表した童話「チャメとグレイ」とは、ずいぶん雰囲気が違いますが、いずれもわたしが書いた作品です。4回連載にしますので読んでいただけたら嬉しいです。

シロヤマブキ


「『誰でもよかった。人殺しをして死刑になりたかったから』とA駅殺傷事件の犯人が言いました」
ニュースから流れた言葉が、何度も何度も頭の中でこだましている。

「なぜなんだ、なぜ妹が殺されなきゃならなかったんだ!」
 浩一はにぎりこぶしで机をガンガンたたいた。指の関節から血がにじみ出ていた。
 
事件の一報が入ったのは3年前、シロヤマブキが咲きはじめたころだ。入学したばかりの中学に登校するときの出来事だった。成績優秀なヒサヨは難関な私立中学に合格し、期待に胸を膨らませて登校したのだ。駅の改札手前で事件は起きた。
もう少し早く、あるいは遅く家を出ていたら、事件に巻き込まれないですんだのに……。

ヒサヨは優しく、笑顔を絶やさない子だった。ヒサヨがいるだけで家の中が明るくなった。
兄妹喧嘩もしたけれど、いつも先にあやまるのはヒサヨだった。
ヒサヨが悪くないときでも「お兄ちゃんごめんね」と目に涙をためていってくる姿は、天使のように思えた。

ヒサヨのようにいい子がたった12歳でなぜ殺されなければならかったんだろう……。何度も何度も問いかけた。でも、答えはわからない。

事件の後、父親と母親は喧嘩ばかりするようになった。父親は私立中学をすすめた母親を責めた。ヒサヨが公立中学に入っていれば、あの時間に駅にいくことがなかったんだという。母親は父親を責めた。あの日、車で送ってくれればよかったのにと。

何をいっても取り返しのつかないことなのに、父親と母親は顔を合わせるたびに喧嘩をし、去年とうとう離婚してしまった。
あの事件さえなければ、一家4人の幸せな生活が続いていたのに……。

浩一は、父親と一緒にアパートで暮らしている。父親は毎晩お酒を飲んで遅く帰宅する。父親との会話はない。母親とは連絡すらつかない。
ヒサヨがいなくなってから、浩一はすべてが物憂く、学校へいく気もなくなった。努力して勉強し、優秀な成績をとっても、死んだら何もなくなると思うと、生きている意味がわからなくなる。

浩一は1年前から部屋に引きこもってゲームばかりしている。敵をナイフで刺しながらゴールへ到達するテレビゲームだ。

浩一はゲームの中で怒りをぶつけていた。敵はヒサヨを刺した犯人だ。いや、本当の敵は、こんなひどい出来事を起こすのをゆるした神様だ。


                      つづく


HP「生かされて・・・土筆文香」更新しました。

チャメとグレイ(あと書き)

2009-03-22 17:26:38 | 童話
 
いつも童話を連載すると、アクセス数が減るのですが、今回は“いじめをテーマにしている童話です”と書いたせいでしょうか、驚くほどたくさんの方がアクセスしてくださいました。読んでんで下さった方、ありがとうございます。

童話「チャメとグレイ」では、チャメは足が短いことで、グレイは耳が短いことで、いじめられます。チャメは深く傷つき、自分はダメウサギだと思い込んでしまいます。

グレイも傷つき、落ち込んでウサギ丘を出ていくのですが、再びウサギ丘に戻ってきた時は、いじめられても毅然とした態度をとることができるようになっています。

グレイは「ウサギじゃないんだろう」と言われたとき、たとい耳が短くても「れっきとしたウサギだ」と言いきることができました。
なぜグレイが堂々としていられたのでしょう? それは、人間のおじいさん(ノア)と出会ったからです。尊いウサギだと言われたからです。

聖書には 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43:4)」と書かれています。

創造者である神様が、あなたのことを 「高価で尊い。愛していると」言っておられるのです。

もうひとつ、グレイのセリフに注目して下さい。「チャメとグレイ(その3)」の最後から8行目、
 「弱くたっていいんだよ。弱いものこそ大切だっておじいさんがいってたよ」というセリフです。

これはわたしの好きな聖句のひとつ
 「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(コリントⅡ 12:9)」
の言葉からきています。これは使徒パウロが書いたものです。

以前わたしは、弱いことは恥だとか、それが悪いことのように思っていました。実際、体が弱く、気も弱かったので、自分は人間としての価値がないように感じていました。弱いことを人に悟られたくなくて、虚勢を張って生きていました。病気(喘息)持ちだということは、ひた隠しにしていました。

パウロも持病を持っていたようです。そのトゲを去らせて下さいと神様に願いました。でも、神様はその願いをかなえることはせず、 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。

 『弱さを誇りましょう』などという人がいるとは夢にも思いませんでした。でも、パウロは大いに喜んで自分の弱さを誇っているのです。そのようなことができる理由は、神様の恵みが弱さのうちに完全に現れるからなのです。

わたしは、このことを知ってから弱さを隠さなくなりました。虚勢を張って生きるのは疲れますが、弱さを隠さず、ありのままの姿で生きることで平安が与えられました。

チャメもこのグレイの言葉を聞いて、劣等感から解放され、弱さを隠さなくなったことでしょう。

童話に興味のある方は、チーターパシュルと虹もお読みください。背景付きでHP生かされて・・・土筆文香にアップしています。



チャメとグレイ(その3)最終回

2009-03-20 09:30:13 | 童話

ところが、次の日もその次の日もグレイは川向こうに出かけていって、草をくわえてもどってきました。1日に何度も往復して、グレイは疲れているようすです。どんどんやせていくグレイをみてチャメはだんだん不安になってきました。

「グレイ、草食べてるの? わたしはもういいから、あなたが食べてよ」
「だいじょうぶ、ぼくはちゃんと食べてるから」
グレイはひげをプルルとふるわせました。

ある日、朝早く草を取りに出かけたグレイがなかなかもどってきません。
チャメは心配で丘をのぼったり、おりたりしていました。夕方になってグレイはやっともどってきました。ふらふらとした足取りでチャメのところまでくると、草を置いてばったりと倒れてしまいました。

「遅くなってごめん。川向こうの草は羊に食べられちゃって、ずっと遠くまでいかないと草がなかったんだ」
チャメはぺしゃんこなグレイのおなかをみてびっくりしました。
「グレイ、あなた、ずっと何も食べてないんでしょ。わたしにばかり草を運んで……」
チャメの目からポトリと涙が落ちました。

「草を食べると眠くなって、チャメのところへ草を運べなくなっちゃうから……食べなかったんだ」
「バカね。このままじゃグレイが飢えて死んじゃうじゃない」
「チャメ、ごめん。これじゃ明日草を取りにいけないかもしれない……」
チャメはグレイの持ってきた草を口に入れると、かみくだいてグレイの口に移し入れました。それを最後に食べるものが何もなくなってしまいました。

それから3日間2羽は体を寄せ合って丘の上に寝ころんでいました。しゃべる元気もなく、1日中うつらうつら眠って、おいしい草をほおばる夢ばかりみていました。

(六)思わぬ出来事

「このまま死んでしまうのね」
ふと目覚めて、チャメがつぶやきました。
「ぼくらは死なない。きっと助かる」
グレイは前足をチャメの前足の上に重ねました。

そのとき、チャメの耳に地響きが聞こえてきました。ズーンと腹の底に響くような不気味な音です。
「グレイ、地面から何か音がする」
「えっ、何の音? ぼくには聞こえないけど……。とにかく、丘をおりよう」

2羽は力をふりしぼってよろよろ丘をおりていくと、グラグラと大地がゆれました。2羽はころがるようにふもとに着いてふりかえると、地面がぱっくりと割れるのがみえました。

「あの木の下まで逃げよう」
グレイはふもとに生えている樫の木にチャメを導きました。木の根元近くに、2羽のウサギが入れるような穴があいていました。チャメとグレイは木のうろに入って身を寄せました。

ゴゴーと地鳴りがしてものすごいゆれがおそってきました。2羽がかくれた木はユサユサと大きく幹がしなりましたが、倒れることはありませんでした。
しばらくしてあたりが静まり返ると、おしそうなにおいがしているのに気づきました。みると、穴の中に緑のこけがびっしりと生えていました。チャメとグレイはやわらかいこけを夢中で食べました。こけは弱っていた2羽の体を元気にしてくれました。

おなかがいっぱいになって、2羽が外に出てみると、パーッと日の光が目にとびこんできました。チャメとグレイはまぶしくて目をシパシパさせました。目が慣れてくると、青空が大きく広がり、いつもと違う広々とした大地がみえました。みなれた丘がありません。丘がくずれてなくなっていたのです。丘の向こうにあったはずの川は土砂でせき止められています。

「やったー! チャメ、これで川向こうにいけるよ!」
グレイがさけびました。

(七)川をこえて

チャメとグレイは、川だったところを楽々渡ることができました。
「ぼくがいったとおりになっただろう。ぼくらは必ず助かるって」
 グレイはふりかえっていいました。

「でも、どうしてそう思えたの?」
「おじいさんと約束してたからだよ」
「おじいさん?」
「ぼくは、ウサギ丘で生まれたっていっただろ。でも、耳が短いことで仲間にいじめられていたんだ」
「えっ、グレイもいじめられていたの?」
チャメは耳をピクッとふるわせました。

「うん。それでたったひとりで川をこえてさまよっていたんだ。そんなとき、とってもやさしい人間に出会ったんだ」
「それがおじいさんね」
「そうだよ。おじいさんはいったんだ。お前は大切なウサギだって。お前のことを選んだから、ウサギ丘にいってお嫁さんを連れてもどってきなさいって」
「お嫁さん?」
 チャメはきょろきょろあたりを見回して、だれもいないことがわかると、はっとしました。

「お嫁さんって、もしかしてわたしのこと?」
「そうだよ、チャメ」
「足が短くてダメウサギのわたしをどうして選んだの?」
「きみはダメウサギなんかじゃない。よく聞こえる耳を持っているじゃないか」
「でも、わたし弱虫だし……」
「弱くたっていいんだよ。弱いものこそ大切だっておじいさんがいってたよ……それに……それにぼくは、チャメのことが好きだから……」
グレイは照れくさそうに前足で顔をなでました。
「グレイ……」
チャメはグレイのわき腹に鼻をすりよせました。

ザック、ザックと足音がして、向こうから白いひげのおじいさんがやってきました。
「待っていたよ。さあ箱舟に乗ろう」
おじいさんは両手を伸ばして2羽のウサギを抱き上げ、いとおしそうにほおずりしました。 
おわり

チャメとグレイ(その2)

2009-03-19 09:17:05 | 童話

(四)川をこえる仲間

ウサギたちは食欲旺盛です。草が生えるよりも食べる量が多かったので、ウサギ丘はあっという間にすっかり茶色になってしまいました。丘の向こうは湖です。岸辺には草が生えていましたが、そこはヤギのなわばりでした。反対側には丘を囲むように川が流れています。川向こうは緑豊かな草原が広がっています。

「明日、みんなであの川をこえよう」
チャメの父さんがいいました。
「こえるって、どうやって?」
チャメは不安です。川幅はいちばん狭いところでも自分の体長の三倍もあるからです。

「とびこえていくに決まってるだろ」
父さんの代わりにブチが答えました。
「まさか、とべないはずないわよね」
姉さんのミミが横目でチャメをにらみました。
「……」
その晩、チャメはなかなか眠れませんでした。みんなが川をとびこえていき、チャメは川に落ちて流されてしまう夢をみました。

明け方、父さんウサギがみんなを起こしました。
「さあ、出発だ」
父さんウサギを先頭に、ウサギたちは一列に並んで丘を下っていきました。ザアザアと水音が聞こえてくると、チャメの足はすくみました。前みたときより、水が多くなっている気がします。

「さあ、あとに続いて」
母さんウサギには6羽の生まれたばかりの赤ん坊がいたので、父さんと1羽ずつ赤ちゃんを口にくわえて川をとびこえ、岸辺に赤ん坊を置いてからまたもどって運びます。
父さんと母さんウサギは3往復して、ようやく赤ん坊を運び終えました。
その間にほかのウサギたちは次々に川をとびこえていきます。

チャメの番がきました。チャメはおそろしくてじっと流れを見つめるばかりです。
「早くとんでよ」
ミミがおしりをつつきます。
「先とんで。わたしいちばん最後でいい」
チャメは岸辺にうずくまりました。

仲間たちはみんな川をとびこえていってしまいました。チャメは自分もとびこえようとしました。けれども、恐ろしくて足がすくんでしまいます。

父さん、母さんは、赤ちゃんウサギを岸辺から連れていくのに何度もいったりきたりして大忙しで、チャメがまだ渡らずにいるのに気づきません。
そのうちみんなの姿が小さくなり、やがてみえなくなってしまいました。

(5)もどってきたグレイ

チャメはとぼとぼとパサパサに乾いた茶色の丘をのぼっていきました。どこかに草が残っていないかさがしましたが見当たりません。チャメのおなかがキューッと鳴りました。

そのときチャメの耳にタタタッ、タタタッとウサギのはねる足音が聞こえてきました。足音はどんどん近づいてきます。丘のてっぺんからみると、川をこえて丘をかけのぼってくる1羽のウサギがみえました。グレイです。

グレイは口いっぱいにくわえていた草をチャメのあしもとにパサリと落としました。
「グレイ、どうしてここに?」
「きみがひとりで丘をのぼっていくのが川向こうからみえたんだ。それで、草をくわえてもどってきたんだ」
「えっ、わたしのために?」
グレイはこくりとうなずきました。

「食べろよ」
「ありがとう」
チャメは一気に口に入れ、むちゅうで食べました。
「元気が出たろ。これで川がこえられるな」
「無理よ。わたしにはこえられないの。みてよ」

チャメは思い切り走ってジャンプしました、数センチしかとび上がれません。
「これじゃ川に落ちちゃうでしょ。……もういいの」
チャメはすねたようにグレイにおしりを向けました。

「あたしのことなんかほおっておいて、さっさと川向こうで暮らしたらいいのに」
「そんなことできない。きみが川をこえられないんだったら、ぼくもここにいる」
「そんなことしたら、飢えて2羽とも死んでしまうじゃない」
「だいじょうぶ。きっときみは川をこえられるようになるから。それまで、ぼくは毎日何度でも草を運ぶよ」
グレイは、丘をかけおりていきました。

(そんな大変なことできるわけない。グレイは、きっとそのうちいやになって川向こうで暮らすようになるにちがいないわ)
チャメはグレイのことが信用できませんでした。



             つづく

チャメとグレイ(その1)

2009-03-17 12:18:19 | 童話

先月JCPの童話とエッセイの集いで提出した作品です。(合評のあと、一部書きなおしました)
去年12月に掲載した「チーターパシュルと虹」同様箱舟に乗る動物シリーズです。3回に分けて連載します。

この童話は障がいをもって生れたウサギが主人公です。いじめの問題も扱っていますから、童話は苦手という方も読んでくださるとうれしいです。

 チャメとグレイ

(一)短い足のチャメ

湖を吹きわたる風が丘をなでるようにかけ上がりました。サワサワと緑の草がささやくように音をたてます。草の中から白い毛糸のかたまりのようなものが七つ出てきました。生まれたばかりのウサギです。赤ん坊ウサギは、まだ目がみえませんが、母さんのお乳をさがして鼻をしきりに動かしています。

ここは、ウサギ一族の暮らすウサギ丘です。7番目に生まれたウサギのチャメは、母さんと同じ真っ白な毛、茶色の目をしています。耳は長いのですが、うしろあしの長さが兄さん、姉さんウサギの半分ぐらいしかありませんでした。
母さんウサギが乳を飲ませにやってくると、チャメは足がおそいので、いつも最後になってしまいます。

6つのオッパイがふさがってしまうので、チャメはだれかが飲み終わるまで待っていなければなりません。チャメはみんながじゅうぶん飲んで眠りにつくと、そっと母さんの乳にしゃぶりつくのでした。
ウサギたちは日に日に大きくなっていきました。

ウサギは生まれてから3週間で乳離れして草を食べはじめます。半年もするともう立派なおとなです。
チャメはまだひとりでしたが、兄さん、姉さんたちはそれぞれ相手をみつけて結婚し、こどもが次々生まれていました。母さんも、こんどは六羽の赤ん坊を産みました。

ウサギは増える一方なので、緑豊かだった丘は茶色の土がみえはじめ、まだらになってきました。
ウサギたちはあらそって草を食べるようになりました。チャメが丘のふもとに生えている草を目指して進んでいくと、後ろから兄さんたちがやってきました。兄さんたちは大きくジャンプするとチャメをとびこえて草の中にもぐりこみました。
チャメが草に近づくと、

「こっちくるなよ。これは、ぼくらのみつけた草だよ」
といって、むしゃむしゃ草をほおばりました。
仕方なくチャメが別の場所に移ると、姉さんたちがやってきていいます。
「わたしたちの草を食べないでよ」

(二)雄ウサギのグレイ

チャメがだまって別の場所に移動しようとすると、岩陰から一羽の雄ウサギが顔を出しました。今までみたことのないウサギです。灰色の毛で、耳の長さがほかのウサギの半分ぐらいしかありません。
「こっちに草があるよ」
「あなたはだれ?」
チャメはとまどっています。 

「グレイっていうんだ。よろしく」
雄ウサギはていねいに頭を下げました。
「ぼくは、きみのおじいさんのいとこの孫なんだよ」
「じゃあ、親戚ってこと?」
「そうだよ。ぼくはこの丘で生まれたんだ」
「へえっ、今までみかけなかったけど……」
「ちょっと川向こうへ旅に出てたんだ。昨日もどってきたのさ。こっちへおいでよ」
 グレイは親しげに耳をピクッと動かしました。

チャメはほっと安心して、グレイのいる岩陰にいきました。そこにはひょろひょろした草が生えていました。
「日当たりが悪いから、おいしい草じゃないけど、ここなら誰にもじゃまされずに食べられるだろ」
グレイは、口をモグモグさせています。
おなかがすいていたチャメはお礼をいうのも忘れて、ムシャムシャ草をほおばりました。

「それにしても、きみの兄さんと姉さんたちは何で意地悪するんだい? ひどいじゃないか」
「しかたないのよ……」
「何で怒らないんだい? 自分がみつけた草だっていわないんだい?」
「だって、わたしダメウサギだもの。みてよ、この足」
チャメはグレイの鼻先に後ろ足を突き出しました。
「短いでしょ。生まれつきなの。少ししかジャンプできないから、ダメウサギなのよ」

「ダメウサギなんていっちゃいけないよ。足が短くったって、少ししかジャンプできなくったって、きみはきみだもの」
グレイの言葉を聞いて、チャメは鼻の奥がツーンとしました。
 
(三)耳が短くても
 
チャメとグレイが並んで草をほおばっていると、いちばん上の兄さん、ブチがやってきました。
「その草食べるなよ。ぼくたちの明日の分なんだよ」
「どうしてチャメに意地悪するんだい? 仲間なんだろう?」
グレイがブチの前に進み出ました。
「うわー、お前がそんなこという資格ないぜ」
「そうだ、そうだ!」

ほかのウサギたちもやってきてグレイを取り囲んで叫びました。
「お前のその短い耳は何だ? ウサギじゃないんだろう。ここから出ていけよ」
ブチがいうと、グレイは背中をぴしっと伸ばし、ほこらしげに鼻を空に向けました。
「この耳は生まれつき短いけれど、ぼくはれっきとしたウサギだよ」
グレイが胸を張っていうと、ほかのウサギたちは何もいえなくなってしまいました。

そんなグレイをみて、チャメは驚きました。(グレイは耳が短いのにどうして堂々としていられるんだろう。わたしもグレイのようになれたらいいのに…)
 
つづく

チーターパシュルと虹(その3)

2008-12-19 12:06:29 | 童話

「パシュル、外を見てごらん」
パシュルが窓に前足をかけて外をみたとき、口をあけたままかたまってしまいました。パルシュルは置物のようにひげ一本、ぴくりとも動きません。時間がこおりついてしまった感じです。
窓の外は、見渡すかぎり一面が水におおわれていました。さえぎるものは何もなく、どこまでも続く水が小さなさざ波をたてていました。

「み、水……」
パシュルはやっとそれだけいうと黙りこみ、床にぺったりと尻をつけてすわりこんでしまいました。

「外に出てみるかい?」
おじいさんがニコニコしてパシュルの背中をポンとたたきました。パシュルは首をこきざみに横に振りました。
やがてハトがもどってきました。

「もうしばらくすれば、水がひいて必ず出られるからな」
「あの……、箱舟に乗らなかった動物たちは?」
パシュルは気になっていたことをたずねました。
「大洪水でみんなほろびてしまった。箱舟に乗ったもの以外はみんな……」

「えーっ!」
パシュルは血の気がひいていくのがわかりました。大洪水がくるなんて知らなかったのです。箱舟に入れば守られるといったメルダの言葉を思い出しました。

「神様のさばきじゃよ。神様がこの世界を水でほろぼされたのじゃ」
パシュルはショックを受けてヨロヨロとメルダのところへもどりました。パシュルはその日からすっかりふさぎこんでしまいました。メルダが話しかけても、返事すらしません。

一週間後、ハトがオリーブの葉をくわえてきて、舟中が喜びに満ちたときも、パシュルだけは床をみつめて伏せっていました。

それから何日かたって、とうとう舟から降りる日がきました。おじいさんが一年近くも閉じられていたとびらを大きく開きました。
「さあ、みんな。降りるんじゃ。降りて全世界に散らばっていくのじゃ」
おじいさんがいうと、動物たちがせきをきったようにわれ先にとびらへ向かい、外にとび出してきました。

パシュルは箱舟の隅でじっとしています。
「パシュル、わたしたちもいきましょう」
メルダが立ち上がってパシュルの尻を鼻でつつきました。
「オレはここにいる。お前はすきなところへいけよ」
「どうして? 前は早く降りたいって言ってたのに……」
「気が変わったんだ。ほっといてくれ」
「そんなこといわないで、いっしょに降りましょうよ」
「いやだね」

6 約束のしるし

パシュルとメルダが言い争いっていると、おじいさんがやってきました。
「パシュル、こわいのだな」
おじいさんにはかないません。心の中をいいあてられて、パシュルはもぞもぞ体を動かし、照れかくしに前足で顔をなでました。

パシュルは舟が水に囲まれているのをみたとき、心底恐ろしくなってしまったのです。前はこわいものなんかありませんでした。足も速く、体もじょうぶなので自信に満ちていました。でも、川に落ちてから、水が恐ろしくなりました。そして、こんな洪水がこれからも起こるかもしれないと思うと、箱舟から出られなくなってしまったのです。

「だいじょうぶじゃ。こわければ、ずうっとわしらといっしょにいればいい」
おじいさんはパシュルの首をだいてやさしくいいました。
パシュルは、おじいさんと奥さん、三人の息子とお嫁さんたち八人のあとについていきました。もちろんメルダもいっしょです。

おじいさんたちは、箱舟を降りると、石を積み上げてさいだんを作りました。そしてひざまずくと手を組んで目を閉じました。
「おじいさんたち何をしているんだろう?」
「さあ……」
パシュルとメルダにはわかりませんでしたが、人間たちは神様に礼拝をささげていたのです。二匹は人間のまねをして頭を下げ、目をとじました。

「あっ、虹だ」
おじいさんの声で目を開けると、空に半円形の光の帯がみえました。七色のしまもようです。そのとき、天からパシュルの耳にはっきりと言葉が聞こえてきました。
「わたしは、もう二度と洪水でこの世界をほろぼさない。この虹は約束のしるしだ」

パシュルの心がふるえ、涙があとからあとから流れ落ちました。神様が命を守るために自分たちを箱舟に入れて下さったことがはっきりわかったからです。
パシュルはそっとメルダによりそいました。メルダのことを初めていとおしいと思いました。メルダの目にも涙がありました。虹がメルダのひとみに映って輝いていました。

                   おわり





チーターパシュルと虹(その2)

2008-12-18 16:17:05 | 童話

「あれが箱舟……」
「箱舟はあと三日で完成じゃ。神様は、全種類の動物のオスとメスを箱舟に入れるようにおっしゃったんじゃ。お前とメルダはチーターの代表として入るのだよ」
パシュルは箱舟に入るのはいやだと思いました。だいいち舟の中では走れません。でも、助けてくれたおじいさんに「いやだ」ということもできず黙って地面をみつめていました。

(箱舟ができたころ、足の傷も治っているだろうから逃げだそう。チーターはたくさんいる。箱舟に入るのはオレじゃなくったっていいだろうから)
パシュルはそんなふうに考えていました。

3 箱舟
三日目の朝のことです。
「できたぞ、できたぞ。箱舟がついにできた!」
おじいさんの三人の息子たちが歓声をあげながら箱舟のまわりをまわっていました。

「もうできたのか」
パシュルの熱は下がっていましたが、まだ前足が痛みます。とても走れそうにありません。パシュルは足を引きずって、かくれるところをさがしていました。
かくれる間もなくおじいさんがやってきて、

「さあ、パシュル。箱舟に入るのだよ」
と追い立てたので、しかたなくノロノロと箱舟に入りました。
箱舟の中はたくさんの動物でひしめきあっていました。ブーブー、ワンワン、ニャーニャー、メーメー、コケコッコー、やかましいったらありません。
「パシュル、こっちよ」
メルダが奥で呼んでいます。しきられたところに二匹のチーターが横たえるだけのスペースがありました。

「あーあ。こんなやかましくてせまいところで暮らすのか」
パシュルがため息をつくと、
「でも、しばらくの間だっておじいさんがいってたわ。それに朝夕十分な食べ物をくださるんだって」
「どうせ、けがして走れないんだから、ここにいてもいいんだけど……」
パシュルは大きなあくびをしました。

箱舟に入って間もなくザーザーと水音が聞こえました。その数日後、舟がユラユラゆれはじめました。ギシギシと木のきしむ音がします。ときおり、ゴーゴーと風の音やパラパラと豆をぶつけたような音が聞こえてきます。

外はどうなっているのでしょう……。パシュルたちのいるところには窓がないからわかりません。外のようすがわからないまま、何日も何日も過ぎていきました。パシュルはだんだん不安になってきました。

ある朝、メルダが耳をピンとたてていいました。
「水の音がしなくなったわ」
たしかにメルダのいうとおり、水と風の音がやんでいました。でも、ギシギシと音がして舟はまだゆれています。

パシュルはほっとしましたが、こんどはたいくつでたまらなくなってきました。
「ああ、早く舟を出たい」
「おじいさんがとびらを開けるまで出られないのよ」
「そんなこと、わかってるさ。ああ、たいくつだ」
パシュルは後ろ足で頭をかきむしりました。
メルダは次から次へとおもしろい話をはなして聞かせました。パシュルはしばらく耳をかたむけていましたが、だんだんあきてきて、またため息ばかりつくようになりました。

気が遠くなるほど時間が過ぎたある日、船底からガタンと音がして、舟が少し傾いてゆれがピタッと止まりました。
ネズミがこわがってチューチュー騒ぎ出すと、箱舟の動物たちがいっせいに鳴き出しました。

「うるさーい! しずかにしやがれ!!」
パシュルはさけぶと立ち上がりました。前足のけがはすっかりよくなっています。

4 箱舟の外をながめて
「まったく! やってられないぜ」
「どこいくの?」
「外に出る。先におろしてもらう」
パシュルは階段をのぼり、三階の屋根裏部屋をのぞきました。窓が少し開いていて、そこから日の光がさしこんでいました。
(あの窓を大きく開ければ外に出られるぞ)

そっと窓へ近づくと、窓から真っ黒なカラスが飛びこんできました。
「羽を休めるところなかったよ」
カラスが叫ぶと、おじいさんが屋根裏部屋に入ってきました。おじいさんの肩にはハトがとまっています。
「そうか。まだ水はひいてないんじゃな」

おじいさんは、パシュルに気づいて目を細めました。
「足のけがはすっかりよくなったのか?」
「う、うん」
パシュルは目をそらして答えました。
「外に出ようと思ったんじゃろ」
おじいさんはパシュルの心を見通しているようです。

パシュルが答えずに黙っていると、おじいさんは大きく窓を開け、ハトをはなしました。


つづく

チーターパシュルと虹(その1)

2008-12-16 16:39:46 | 童話

10月のJCP(日本クリスチャンペンクラブ)の「童話エッセイの集い」で発表した作品を推敲したものです。(「虹」というテーマで書くのが課題でした)

ノアの箱舟に乗った動物を主人公にしました。この作品を書いてから、別の動物を主人公とした童話が次々と生まれつつあります。
「チーターパシュルと虹」は3回に分けて連載します。感想をきかせてくだされば嬉しいです。

チーターパシュルと虹 (原稿用紙15枚)   

Ⅰ走るの大好き
神様がこの世界をおつくりになって間もないころ、動物はみな草を食べていました。
人間たちの間では、けんかやあらそいがたえませんでしたが、動物の世界は平和でした。

砂と岩だらけの大地がどこまでも広がっています。大地をけってチーターのパシュルがかろやかに走っています。地平線に日が沈もうとするとき、ようやく森がみえてきました。

パシュルは立ち止まってちょっとふり向きました。見渡すかぎりだれの姿もありません。
走り出すとき、メスのチーター、メルダが追ってきたのですが、やはり追いつけなかったのでしょう。チーターは動物の中で一番足が速いのですが、つかれやすく、1㎞も走るとすぐへたばってしまいます。

でも、パシュルは違いました。何十キロ走ってもつかれないじょうぶな体を神様からいただいていたのです。
「オレさまの走りにかなうものはいない。オレさまは世界一だ」

パシュルは森に入って茂みにもぐりこむと、うーんと伸びをして、体を草の上に横たえました。草のにおいがつかれた体に心地よく、やがてぐっすり眠ってしまいました。

パシュルはひとりでいることが好きでした。そんなパシュルにメルダは近づいてきてペチャクチャおしゃべりします。パシュルはメルダのことが苦手で、いつも逃げていました。

「パシュル、起きて、パシュル」
目を覚ますとメルダが目の前にいました。いつの間にか夜が明けて、こもれ日がメルダの顔のはんてんに当たって光っていました。
「何だよ、ついてくるなっていったのに……」
パシュルは鼻にしわを寄せてギロリとメルダをにらみました。
「追い返さないで。わたしの話を聞いて」
メルダは目を大きく見開いてパシュルをじっとみつめました。

パシュルはそっぽを向いて口いっぱいに草をほおばりました。
「パシュルとわたし、選ばれたのよ」
メルダは前足をぐっと伸ばして、パシュルの顔を下からのぞきこみました。
「選ばれた?」
「わたしたち、舟に乗れるのよ。舟に乗る者は命が守られるんだって」
「舟? 舟ってなんだ」

パシュルは首をかしげ、ちらっとメルダをみました。
「とにかく、わたしのあとについてきて」
「いやだね。ぼくはひとりが大好きなんだ」
パシュルはメルダをふりはらうようにして森の奥へ走っていきました。

2 川

森の真ん中に川が流れていました。パシュルは川の水をたっぷり飲み、ふーっと息をつきました。川の向こう岸には色とりどりの花が咲いています。(この川をとびこえよう。そうすればメルダはもう追ってこれない)
はば三メートルほどの川です。こんな川、軽々ととびこえられると思っていました。ところが助走もつけないでとんだので、バシャーンと川に落ちてしまいました。

どどっと水が押し寄せます。鼻にも耳にも水が入ります。何かにつかまろうとしても前足は宙をけるだけです。ぶくぶくと顔が沈みます。息が苦しくて死にそうです。必死に首をもたげて鼻を出し、息を吸い込もうとすると水が入ってきます。そのうち急な流れにのみこまれ、パシュルは岩に体をあっちへぶっつけ、こっちへぶっつけしながら下流に流されていきました。

流れがゆるやかになってきたとき、目の前に太い木の枝がみえました。パシュルはむちゅうでそれにつかまって、ようやく岸にたどりつき、ばたりと倒れてしまいました。
足先がジンジン痛みます。みると前足のつめがはがれて、血がにじんでいました。

「歩くのは無理じゃて。しばらく、じっとしてるんだな」
岸辺におじいさんが木の枝を持って立っていました。
「あぶないところじゃったなあ……」
木の枝を差し出してくれたのがこのおじいさんだと知って、パシュルは頭を下げました。

ゆうゆうと流れている川をみると恐ろしさがよみがえってきて、背中の毛が逆立ちました。あんなこわくて苦しい思いはもう二度としたくありません。

「パシュル、助かったのね、よかった!」
上流からメルダがハアハア息を切らしてかけてきました。
「足けがしたの? だいじょうぶ?」
メルダはパシュルの傷ついた前足をあたたか舌でなめました。
「何でもないさ」
パシュルは元気にみせようと、さっと立ち上がろうとしたのですが、よろけてしまいました。寒気がして体がブルブルふるえています。

おじいさんがパシュルをささえました。
「おや、熱があるようだ。ゆっくりお休み。箱舟ができ上がるころには、よくなるじゃろう」
おじいさんは、パシュルの頭をなでました。
「箱舟って?」
パシュルは不思議な響き持つ言葉の意味をたずねました。
「あれじゃよ」
おじいさんが指さす方をみると、小高い丘の上に木で造られた家のような建物がありました。


つづく

*お知らせ:久々にhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~tukushi/「生かされて…土筆文香」のHP更新しました。ご覧ください。

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