アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

デッド・ゾーン

2010-11-29 23:22:30 | 
『デッド・ゾーン』 スティーヴン・キング   ☆☆☆☆☆

 再読。キングはこの『デッド・ゾーン』を自分自身のベスト作品としているが、私も同意見。今のところこれがキング作品でもっとも繊細で、感動的で、美しい作品だと思う。

 クローネンバーグが映画化しているので観たことある人も多いだろう。交通事故で4年半の昏睡に陥った青年が昏睡から目覚めると、予知能力(または透視能力)が身についていた、という話である。映画ではコンパクトにまとめてあって「トワイライト・ゾーン」っぽいテイストになっているが、原作はキングの書き込みによって重量感のある、よりドラマティックな骨太の物語になっている。たとえばジョニー・スミスが予知能力を得るそもそものきっかけも子供時代のエピソードに遡っているし、映画では一瞬で飛ばされるジョニーの昏睡時代も長くひっぱっている(その間のスミス家の動向や、ジョニーの恋人サラの身辺が描かれる)。また映画ではジョニーの超能力エピソードの一つとしてスティルソンが登場するイメージだが、原作では早いうちからスティルソンの人生とジョニーの人生が平行して描かれ、最後に交錯する運命譚的な構成になっている。映画を観て面白かったという人は、この見事な原作も読まれることを強くお薦めする。

 映画と同じく、基調のトーンは哀しみである。ホラー的な要素もあるが、むしろ悲劇的なラヴ・ストーリー色が濃い。ジョニーとサラの物語は、疑いもなくキングが書いたもっとも哀切な恋物語だ。超能力ものという意味では『キャリー』や『ファイアスターター』と似ているが、予知能力者であるジョニーはキャリーやチャーリーと違ってより普通人に近い、弱い存在である。彼は不幸を予知し、悪を感知するけれども、それを防ぐ武器や対抗手段を持たない。そこに本作の悲劇性がある。彼は巨大な惨劇を予知し、それをなんとか防ぎたいと願うが、そのためには大きな犠牲、彼自身の破滅という犠牲を払わねばならない。

 当然のことながらジョニーは苦悩し、逡巡する。彼はすでに充分な試練を神から与えられているのである。交通事故で昏睡に陥り、仕事を失い、婚約者を失い、健常者としての身体を失った。その代償として得た予知能力は、彼にとって祝福というよりむしろ呪いである。それは彼を不幸にし、追いつめる。この上、なぜ自分は苦しまねばならないのか? しかし彼の耳からはいまわの際の母の言葉が離れない。ジョニー、その時が来たら、あなたのつとめを果たしなさい。そしてジョニーはその通りにする。

 それにしても、念力で町を崩壊させるキャリー、またはバイロキネシスで政府工作員に目にものを見せるチャーリーに比べ、ジョニーの姿のなんと頼りないことだろう、なんと痛々しいことだろう。颯爽としたところなどかけらもない。しかしぼろぼろになりながらも、彼は最後まで最善を尽くすことを止めない。その非力にもかかわらず、彼がキング作品中もっとも印象的なヒーローであるのは、その特殊能力ゆえではなく、この姿勢ゆえである。

 本作にはキングの悪癖である「悪の権化」も「善人を救う奇跡」も、センチメンタルな美化も出てこない。神はジョニーにとことんまで残酷だ。都合のいい救済などどこにもない。ジョニーは自分に出来ることをやるしかない。しかしだからこそ、彼がようやく安らぎを得るラストがあれほど感動的になる。また物語上母親の言葉が重要な意味を持つが、その母親は美化されるどころかその狂信ぶりが容赦なく強調されている。キングがこれほど見事な抑制と相対化を見せた例は稀である。

 そしてジョニーが暗殺者となるクライマックスでは、ジョニーから距離を置いた第三者視点の三人称叙述、ジョニーが父親とサラに書いた手紙、そして調査委員会の議事録、という異なる種類のテキストが交錯する。キングが『キャリー』でたどたどしく使った手法だが、今回ははるかに洗練されている。リアルな筆致、細かい書き込み、ロマンティシズム、手法とすべての要素がピタリとはまり、見事な「泣き」となって結実する。いささかセンチメンタルなきらいがあるとしても、キングの怒涛のようなたたみかけが読者に醒める隙を与えない。何よりクライマックスの展開に必然性が感じられる。運命的な力を感じる。

 脇役も生き生きと印象的に描かれている。私のお気に入りはワイザック医師だが、彼は最後に調査委員会で、ジョニーは(病気のせいで)正気を失っていたのではという質問に答えて言う。「迷わされたこの委員会がたとえジョニーの行為をいかように意味づけようとも、あれは正気の人間の行為だったのです。すさまじい精神的苦悩があったでしょう…しかし正気でした」
 彼がこのセリフをどんな気持ちで言ったか考えると、胸が熱くなってしまう。

 スティーヴン・キングはかなり作品の出来にばらつきがある作家で、野球選手にたとえれば気まぐれなピッチャーといったところだ。しかし絶好調の時にはまさしく驚くべき球を投げる。キング・オブ・ホラーの称号は伊達ではない。『デッド・ゾーン』はキング渾身の一球であり、その切れ味には誰もがほれぼれしてしまうだろう。


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