アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

風の谷のナウシカ

2009-08-31 16:24:18 | アニメ
『風の谷のナウシカ』 宮崎駿監督   ☆☆☆☆

 英語版DVDで再見。ご存知、世界のハヤオ・ミヤザキ初期の代表作である。監督作品としては『カリオストロの城』に続く二作目だが、『カリオストロ』は持ち込まれた企画だったわけで、宮崎駿自身のアイデアとヴィジョンによる創造物という意味では実質これが第一作といってもいいんじゃないだろうか。

 私が最初に観た宮崎映画は『カリオストロ』だったが、もともとファースト・シリーズの『ルパン三世』のファンだったこともありあの生ぬるい感じが好きになれず、それ以降宮崎駿からは遠ざかっていた。だいぶ後になって、大ヒットした『もののけ姫』を観てぶっとんだ。そこには『カリオストロ』とはまったく違う壮絶な幻視者の姿があった。私はただちに認識を改め、昔から評判だけは知っていた『風の谷のナウシカ』を観た。

 『もののけ姫』と『ナウシカ』は世界観の構造がよく似ている。シシガミの森と腐海、森の獣たちと虫たち。人間が踏み込むことを許されない聖域があり、人間はその辺境で原始共同体的な暮らしをしている。そして聖域を司るものたち(獣たちや虫たち)に宗教的な畏れの感情を抱いているが、やがて聖域を畏れない冒涜者が現れ、カタストロフをもたらす。今にして思えばこの二つは宮崎駿の作品中、特に良く似た構造を持つ作品同士なのだが、たまたまこの二つを続けて観た私には『ナウシカ』が『もののけ』のバリエーションのように思え、衝撃度はだいぶ薄れてしまった。

 だから私は『ナウシカ』が初めて世に出た時の衝撃を知らない。が、想像することはできる。宮崎駿作品の凄さはそのイマジネーションの深度と咀嚼力にあると個人的に思っているが、それが初めて目に見える形で結実したのがこの『ナウシカ』である。あの『カリオストロ』の次作品としてこれを観たファンの驚きは想像にかたくない。宮崎駿という作家がついにその本性を現したという感慨があったに違いない。胞子が飛び交い、菌糸植物が暴力的にすべてを汚染してしまう「腐海」、巨大な虫たちが闊歩するグロテスクな世界。そしてひときわグロテスクな巨大節足動物である「王蟲」にナウシカが寄せる奇妙なシンパシーと敬意、などなど。それまでのファンタジーにおけるお約束や紋切り型を排除して斬新な幻想世界を作り上げていることに加え、何が醜くて何が美しいかという価値の奇妙な逆転がある。しかもそれをアングラなアート系映像ではなく、ウェルメイドな冒険活劇として呈示している。この『ナウシカ』は海外にも輸出されたが、米アマゾンのカスタマー・レビューなどを読むと「子供の時にテレビで観てイメージが頭から離れなくなった」というような人が多い。これは『ナウシカ』を構成するイメージの数々がいかに"haunting"であるかを示している。多くの優秀な芸術作品がそうであるように、『ナウシカ』のいくつかのシーンは観客に深い夢を見ているような感覚を抱かせる。

 終末後の地球という設定や、人間以外の生物が主導権を握った世界を題材にしたSFは珍しくないが、そういうディストピアSFにありがちな息苦しさや陰鬱さは抑えられ、牧歌的な「風の谷」のイメージとミックスされることで世界観が多層的になっている。「腐海」や「火の七日間」というマクロな世界観の構築だけでなく、たとえば胞子が入り込んだ森を村人が検査するといったミクロな描写もきちんと丁寧に作られていて、物語世界をおざなりでない首尾一貫したものにしている。

 それからもちろん、恐るべき「腐海」が実は単なる汚染の源ではなく、世界浄化のプロセスであり自然の叡智だったという二段構えの発想が素晴らしい。何事も見た通りではないのだ。真理は隠されている。エコロジー云々という視点で宮崎駿を評価する人もいるようだが、それよりも私は人智を超える自然の神秘を描き出した、という意味でこの発想に魅せられる。腐海の地下に落ち、砂がさらさらと降ってくる静謐な世界でナウシカが涙を流す場面は異様に感動的だ。

 という風に幻視力、幻想世界の構築力という意味ではまったく感嘆するしかない『風の谷のナウシカ』だが、個人的には不満もある。最大の不満はナウシカというキャラクターの造形にある。観た人はご存知の通り、ナウシカは文字通りのスーパーガールである。美人で、優しくて、勇気があって、強くて、頭が良くて、聖女でもある。人々のことを第一に考えるどころか虫の気持ちまで慮り、世界を見て歩いているユパさえ気づかない腐海の秘密をただ一人看破する。物語の最初の方で救世主の言い伝えが紹介されるが、結局言い伝えの救世主はナウシカだったということになる。最後は一般大衆のみなさんが涙を流しつつナウシカに手を合わせて拝んで終わる。ナウシカ賛美である。最初観た時これにはちょっと辟易してしまった。

 それから終盤の展開にご都合主義を感じる。ナウシカは身を挺して風の谷を救おうとするのだが、いくらなんでもあの状況で生き延びるのは無理がある。町一つを破壊しつくしてしまう王蟲の暴走に身を投じたのである。あれで助かるなら何だって助かる。おまけに都合よく王蟲には人間の傷を癒す超能力があるらしく、ナウシカは傷一つない姿で復活する。制作者としてはナウシカを殺したくなかったのだろうが、それだったらもうちょっと工夫して欲しかった。

 ところで本作のヒールはもちろん軍事国家トルメキアで、風の谷を侵略し巨神兵を復活させようとするのだが、観ていて一番頭に来るのはペジテの人々である。トルメキア憎しのあまり風の谷もろとも全滅させようとする。しかもそのやり方があまりにひどい。おまけにアスベルの命の恩人であるナウシカを捕まえて監禁してしまう。クシャナあたりと違って妙に善人面しているのがまた憎たらしい。

 それにしても、あの巨神兵にはがっかりだ。竜頭蛇尾とはこのことである。世界を滅亡させた巨神兵が復活か、というスリルが物語の見所の一つになっているのに、蘇った巨神兵はすぐにどろどろになって勝手に崩れ落ちてしまう。まあ、巨神兵がバンバン暴れたら話が破綻してしまうのだろうが、あの破壊力の凄まじさに「おお!」と感動し、どろどろになったところで「ああ~」とがっくり肩を落としたのは私だけじゃないだろう。不謹慎かも知れないがこればかりは仕方がない。ついでにいうと、あの場面で風の谷の子供が無邪気に「巨神兵死んじゃった」と言うのが妙におかしい。

 というわけで、まあ色々好き勝手書いたが日本アニメ史上に残る記念碑的作品であることは確かだ。ぜひ観て下さい、と書こうと思ったが、アニメに興味があってこれをまだ観たことない人ってまずいないだろうからやめた。


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2 コメント

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偉大なる失敗作 (ペーチャ)
2009-09-02 01:28:39
ササキバラ・ゴウ氏によれば、アニメ版『ナウシカ』は「偉大なる失敗作」ということになるようです。ストーリーをきれいに終わらせすぎている、と。宮崎駿自身も、映画の最後は宗教画になってしまったと自省しています。ナウシカが王蟲に跳ね飛ばされ(て死んだと思われます)、それから王蟲によって復活を遂げる場面が、宗教じみていると感じたのでしょうね。

だからどう考えても漫画版の方が優れているのですが、しかしそれでも「偉大なる」と形容されてしまうところに、アニメ版『ナウシカ』には観た者に忘れられない印象を刻み付ける凄さが宿っているのでしょうね。ぼくも大好きな作品です。

ちなみに、『雲のように風のように』は個人的にはいまいちの出来でした。レビューを読むと小説の方がおもしろそう…
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ナウシカ (ego_dance)
2009-09-03 09:51:00
なるほど、あの場面でナウシカは一度死んだのですか。気づきませんでした。宗教画というのは確かに分かる気がします。私も漫画版の方が良かった記憶があります。

あと、やっぱり『雲のように風のように』はイマイチですか。まあ原作の方が面白いんでしょうね。一応観てみるつもりですが。
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