アブソリュート・エゴ・レビュー

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もののけ姫

2008-07-11 22:51:48 | アニメ
『もののけ姫』 宮崎駿監督   ☆☆☆☆★

 英語版DVDを購入して鑑賞。プリンセス・モノノケである。久し振りに見たらとても面白かった。

 例によって宮崎駿の暴力的なイマジネーションが嵐のように吹き荒れる。冒頭のたたり神の登場からして凄まじい。なんなんだあのグチャグチャのどろどろは。この映画は『カリオストロの城』以来初めて見た宮崎駿映画だったが、『カリオストロの城』ですっかり宮崎駿への興味を失っていた私は非常に驚いた。異様な迫力に満ちた幻想的映像の数々。ほのぼのしたアニメを作る人という私のイメージは完全に覆された。またアシタカが戦うシーンでは敵の腕がもげたり首が飛んだり結構残酷だ。これにも驚いた。あとになって、この残酷さはそれまでの宮崎駿作品になかった要素だということを知った。『ナウシカ』や『ラピュタ』と比べると明朗闊達感が後退し、重くシリアスになっている。

 ヒロインであるもののけ姫、サンの造形もそれまでの宮崎アニメとは一線を画している。ナウシカやシータなど、これまで100%優等生的で可憐なヒロインを好んだ宮崎駿は、ここへきてサンという憎しみと怒りに満ちた一種のアンチ・ヒロインを創りだした。あの印象的な登場シーン、口の周りを血だらけにして鋭い眼光を放つサンの姿からもそれは明らかだ。彼女は人間を憎み、殺気をみなぎらせ、たった一人でたたら場に乗り込んで刃物を振り回す。アシタカに取り押さえられ、助けられるが、そのアシタカにまで刃物をつきつけて喉を切り裂くと脅す。自然の守護者という立場は同じなのに、聖女であり救世主だったナウシカとはえらい違いだ。

 サンと敵対する立場にあるエボシ御前も、これまでのヒールとはかなり違う。冷たい美貌や傲慢なところはナウシカに対するクシャナあたりと似ているが、やはり完全に悪役だったクシャナと違い、エボシ御前は善悪をあわせ持っている。彼女は売られる女達を救い、らい病患者を人間として扱い、たたら場の人々のために尽力する。たたら場の人々は彼女を尊敬し、慕っている。

 つまり、宮崎アニメの特徴だったあからさまな善対悪の図式は崩れ、どちらが善とも悪ともつかない、構造的対立の概念が導入されている。サンは聖女ではなく、エボシも悪人ではない。しかし二人は殺しあわねばならない。たたら場の人々とその生活を守るために、エボシは森の資源に手を伸ばしシシ神を殺そうとするし、森に棲む神々は森を守ろうとする。ここにはこれまでの宮崎アニメにはなかった深刻なジレンマがある。果たして人間と自然の共存は可能なのか。本作の主人公アシタカのポジションは調停者であり、憎しみの放棄と共存を訴えるが、この作品世界ではそれは実現しない。サンは最後まで人間を許そうとしない。ただサンとアシタカの愛がその共存の種になることが結末で暗示され、かろうじて救いとなっている。『もののけ姫』は宮崎駿作品としては珍しく、全体にペシミスティックなムードを漂わせている。

 もう一つ注目したいのは、これが神殺しの物語ということだ。シシ神は森の獣たちにとっては守護神であり、人間にとっては畏怖の対象である。それが古来の秩序を形成している。しかし産業社会の申し子エボシはその畏れを迷信と斬り捨て、聖なる森に利用されるべき資源しか見ない。生と死を司るシシ神も彼女にとっては単なる「化け物」だ。かくして神殺しが成就され、旧秩序は崩壊する。サンが言うように、また森ができてもそれはあの神秘的な「シシ神の森」ではない。もう後戻りはできないのである。神性は失われた。人間と獣たちは、神がいない新しい世界で、共存の道を探っていかなければならない。

 映像的には、とにかくシシ神の森の美しさが圧倒的。あのコダマという小さなキャラクターの群れで自然の豊かさを表現したのは秀逸だと思う。だいだらぼっちが歩く時に無数のコダマが音を出す場面は荘厳な美しさに満ちているし、最後の森の死の場面では死んだコダマたちがゆっくり降り注いでくる。それからまたシシ神の神秘性が素晴らしい。シシ神の足元で草が伸びては枯れるとか、夜になるとだいだらぼっちになるとか、あるいは首を撃たれたシシ神の前足だけが水に沈むとか、そういうディテールに宮崎駿のイマジネーションが光る。
 
 主人公アシタカは死の運命を背負い、サンは人間を憎悪し、森の神々と人間の戦争は避けられない。宮崎アニメにしてはいつになくペシミスティックな状況でのアシタカとサンの出会いは悲劇的でせつなく、胸に迫る。森の中で傷ついたアシタカをサンが介抱する場面で、噛む力がないアシタカのためにサンは口移しで食べ物を与える。たたり神に呪われて死を宣告された時も、生まれた村を後にする時も泣かなかったアシタカの閉じた目から、涙が溢れてくる。素晴らしいシーンだ。アシタカがサンと別れてたたら場に戻るあたりまでのストーリー展開は完璧だと思う。

 しかし惜しいことに、その後だんだん混乱してくる。まず人間と神々の黙示録的戦争が、いつの間にかシシ神の首を狙うエボシの話にすりかわってしまう。首をなくしただいだらぼっちのせいで森もたたら場も全滅するが、これは要するに神を畏れぬエボシの暴挙の結果であって、人間と自然の宿命的な対立の構図は置き去りにされてしまう。それからサンとアシタカはがんばって首を返すが、朝日のせいで結局だいだらぼっちは死ぬ。二人の行為に何の意味があったのか良く分からない。さらに細かい突っ込みをすると、冒頭のたたり神にはちょっと触れただけでアシタカの腕は腐りかけたのに、終盤のたたり神の時全身埋もれたサンは大丈夫なのかとか、イノシシの皮をかぶった人間達の行動がおかしいとか、だいだらぼっちのどろどろを頭からかぶったサンとアシタカが結局無事なのは都合よすぎるとか、色々ある。映像の迫力は認めるが、説得力に欠けるクライマックスになってしまった。イマジネーションが暴走して空中分解した感じだ。

 というような弱さはあるものの、全体としては神話的かつ呪術的な世界をイマジナティヴに、神秘的に描き出した傑作だと思う。『ナウシカ』でヒロインのあまりに清廉潔白な救世主ぶりに辟易してしまった私としては、より混沌とした『もののけ姫』の方が好もしく思えるのである。


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4 コメント

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Unknown (ペーチャ)
2008-07-13 02:27:26
こんにちは。
混沌とした状況がお好きなら、『ナウシカ』漫画版をお薦めします。映画版『ナウシカ』については、最後のナウシカの救世主ぶりを「宗教画」だとして宮崎駿は反省しており、漫画版はより混沌としています。クシャナも映画版のような一面的な人間ではありません。
漫画版『ナウシカ』はぼくの中のベスト・オブ・マンガです。

ちなみに、このあいだ宮崎駿の最新作『崖の上のポニョ』の試写会に行ってまいりました。宮崎駿がたった一人で手掛けたという波の描写はイマジネーションに溢れ、凄まじいものでした。ストーリーなどどうでもよくなってしまうほどです。アメリカで公開されたら、ぜひ劇場の大画面で見られることをお薦めします。
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漫画版ナウシカ (ego_dance)
2008-07-15 01:37:44
実は漫画版『ナウシカ』も持ってます。読んだのはかなり前で細かい部分は忘れましたが、ナウシカが巨神兵の「母」になったり、腐海も実は人工的なものだったりという、映画とはかけ離れた異様かつ壮絶な展開に驚いた記憶があります。宮崎駿のベストワークは漫画版『ナウシカ』だという意見もありますがうなずけます(このレビュー中の『ナウシカ』は全部映画版を念頭においています)。

そうですか『崖の上のポニョ』すごいですか!期待が膨らみますね。アメリカでも劇場公開するはずですが、当分先になるんだろうなあ……
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ポニョ (ペーチャ)
2008-07-20 02:10:40
とうとう「ポニョ」が全国公開されました。
賛否両論のようですね。映画評論家の中には厳しい発言をする人もいるとか。文学で、文章の「ドライブ感」を楽しむ、という人がいますが、「ポニョ」はアニメーションのドライブ感を楽しむべき作品かもしれません。ご覧になったら是非感想をお聞きしたいです…

漫画版『ナウシカ』は読まれてたんですね。ぼくは高校生のときに初めて読んで、衝撃を受けました。ああいうの、好きです。
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日本文明史最大の謎 出雲 (山陰ファン)
2010-01-06 11:55:28
加藤義成著 「古事記参究」を読めば「神殺し」、火神被殺が安来であったという日本文明史最大の謎が分かるはず。
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