アブソリュート・エゴ・レビュー

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怪獣大戦争

2011-10-08 01:44:27 | 映画
『怪獣大戦争』 本多猪四郎監督   ☆☆★

 昭和ゴジラシリーズの6作目。『三大怪獣 地球最大の決戦』の次である。このあたりからだんだん子供騙し度が高まってくる。本作ではゴジラがシェーをするのが有名だ。(シェーとは何か、最近の若者はご存知だろうか。赤塚不二夫のマンガに出てくるイヤミというキャラクターの決めポーズである)

 前作でキングギドラという人気怪獣を産み出した制作陣は、今回もキングギドラをメインに持ってきた。まああれだけの傑作怪獣なのでそれは順当だろう。そしてシリーズ初の「宇宙怪獣」でもあるキングギドラの人気に気をよくしたのか、今回は物語の舞台も地球を離れて宇宙となった。宇宙人が出て来る、UFOも出てくる。ゴジラとラドンもX星という惑星に行って、そこでキングギドラと戦う。

 さて、私が考える本作の重要ポイント、つまり過去の作品との大きな違いは、今までのように怪獣たちが好き勝手に暴れるのではなく、ついに地球侵略をもくろむ宇宙人の手先になってしまったということである。この映画における人類の敵はゴジラでもキングギドラでもなく、X星人なのだ。怪獣たちは単なる駒であり、手先に過ぎない。ヘンなサングラスをかけて妙に顔色が悪いX星人は地球の植民地化を計画していて、キングギドラをその道具として使う。またゴジラ、ラドンという地球の怪獣たちが邪魔だと考え、この二匹をX星に連れてきて電波で操作し、やはり地球侵略の道具にしてしまう。

 必然的に物語はX星人の策略にフォーカスする。彼らは最初地球人との友好を謳い、宇宙の平和のためと言って偽善的に振舞う。キングギドラに手を焼いているふりまでして地球人を油断させ、ゴジラとラドンをX星に連れてくる。当然ながら怪獣の映像より宇宙船、円盤、X星、あるいはX星人の基地の中、などの映像が主体になる。当時はSF的で魅力があったのかも知れないが、今となっては特撮がどうしてもチャチく、つまらない。これもひょっとすると日本人の気質なのか、町や家々という現実のもののミニチュア化には見事な芸術性を発揮するのだが、円盤や宇宙基地といった空想上のものはどうもパッとしない。私は『モスラ対ゴジラ』が大好きだが、あの映画の中の、地上や海であばれる怪獣の映像が今見てもセンス・オブ・ワンダーを失わないのに対し、この映画のX星やX星人たちの映像はまったく紋切り型で面白みに欠ける。後のTV番組『ウルトラセブン』の方が断然上だ。そして宇宙人の手先、単なる駒となった怪獣たちに、もはや神秘性のかけらもない。

 というわけで、個人的にはこの映画の見所はほぼキングギドラのみである。キングギドラというクリーチャーの造形はまったく素晴らしく、私は常々グッドデザイン賞ものだと思っている。全身を覆う金色の鱗、三つの竜の首、コウモリのような巨大な羽、そして三つの口から吐き出される引力光線。ほれぼれする。あの宇宙怪獣っぽい、機械と生物のあいのこみたいな鳴き声も良い。後のゴジラシリーズ、たとえば『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』などにもキングギドラが出てくるが、あの寸詰まりのデザインはまったく噴飯ものだった。グッドデザイン賞もののキングギドラ本来の、その一番美しい姿を鑑賞できるのはやはり『三大怪獣 地球最大の決戦』と本作だろう。造形だけでなく、空の飛び方や体の動きまで含めて素晴らしい。見ごたえ十分だ。

 特に本作ではキングギドラがX星という、異星の光景の中で暴れる映像を拝むこともできる。これはいける。宇宙の破壊神キングギドラの威容を堪能できるというものだ。(それだけに、実はX星人に操られていたなんてしょーもない設定が残念でならない)

 逆にキングギドラ以外の怪獣映像はあまり期待できない。ゴジラの造形はちゃちだし、ラドンにいたっては『空の大怪獣ラドン』からの使いまわし映像まで飛び出すが、唯一、富士山麓でゴジラとラドンが暴れ、その上に白く輝くUFOが浮かんでいる、手前では人々が逃げ惑う、という図はなかなか良かった。


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