アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

愚者が出てくる、城寨が見える

2009-05-17 19:24:23 | 
『愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える』 ジャン=パトリック・マンシェット   ☆☆☆★

 なかなか入手困難なマンシェットの未読本が出たので速攻で購入。しかしこの光文社古典新訳文庫、トルストイありドストエフスキーあり、プッツァーティあり、バタイユの『目玉の話』なんてものがあると思ったらフィッツジェラルドあり、ムージルもあり、しまいにはマンシェットまである。ものすごいラインナップだ。頼もしいことこの上ない。次は何が出てくるのだろう。

 さて、私は学習研究社から出ているマンシェットの『殺戮の天使』『眠りなき狙撃者』『殺しの挽歌』を持っているが、三冊とも絶版である。彼は奇妙でスタイリッシュなノワールを書く。『殺戮の天使』は美しい女殺し屋が町を崩壊させる話、『眠りなき狙撃者』は引退を決意したプロの殺し屋の話、『殺しの挽歌』はギャングの抗争に巻き込まれた会社員が殺し屋相手に戦う話である。どれもこれも奇妙に現実離れした設定と、無駄を削ぎ落とした簡潔な文体が特徴だ。どことなくたけしのノワール映画に通じるものがある。

 本作は初期の作品だが、そのマンシェット節は存分に発揮されている。子供を連れて逃げるベビーシッターの女と、執拗にそれを追う殺し屋の物語。というプロットだけ見るとハリウッド映画でもありそうだが、尋常じゃないのはこのベビーシッターの反撃のもの凄さ。彼女はもと不良少女で、精神科の施設に入っていたところを引き取られてベビーシッターになる。ヒロインらしいのは子供を助けようとするところだけで、他はメチャクチャである。たとえばヒッチハイクをしたら運転手を殺して車を奪う。殺し屋たちは彼女を「いかれた女」と呼ぶ。もちろん、殺し屋たちもまともではない。中心人物であるトンプソンは胃を病んでいて、しまいには野生動物を生で食べるようになる。登場人物みんながどこか狂っている。必然的にこのベビーシッターと殺し屋たちが通り過ぎたあとには、狂気のような殺人と破壊の痕跡が残されることになる。

 この異形のヒロイン像は『殺戮の天使』にも通じるものがあり、マンシェットの小説が「読者が主人公に共感する」ことを前提とし、その前提の上で成立する通常の娯楽小説とは一線を画していることを示す。あとがきにも書かれているように、マンシェットが現代の純文学作家へも影響を及ぼしているのはこういうところにも理由があると思う。マンシェットのノワールはリアリズム小説ではなく、そのとことん切り詰められた文体もあって暗黒寓話の趣きがある。訳者はあとがきでこれを「アンチモラルな生存競争の寓話」と書いている。

 この簡潔な文体で描き出される殺し合いの迫力がとにかくすごい。いわゆるハードボイルド小説ともまた違う感触がある。本書ではあちこちに壮絶なアクション・シーンがあるが、特にクライマックスには息を呑む。ジュリーにトンプソン、そして子供のぺテールまでが参加して殺戮が繰り広げられる。ただしあくまで乾いた描写なので、残酷ではあるがグロテスクではない。いわゆるリアルな犯罪小説では登場人物の心理や行動のロジックが緻密に描かれるが、マンシェットは簡潔に行動のみ(しかもどことなく狂った行動)を書き連ねていくだけなので、すべてが唐突である。結果、リアリズムを離れてシュールさを漂わせる。クライマックスの殺戮が終わったあと、ぺテールが死体に「お前は死んでいる」と宣告する場面にはマンシェットならではの残酷なイノセンスがある。

 訳者はこの特異なマンシェット的活劇を「心理と行動が乖離する不可解な人間像」と説明しているが、確かにマンシェットの登場人物は不可解だ。本書の女主人公ジュリーも、この物語が終わったあとぺテールと仲良く暮らすなんてことにはならず、どこへともなく消えてそのまま消息不明となる。

 ちなみに本書のタイトルはランボーの『地獄の季節』のもじりである。馳星周や大沢在昌みたいな重厚なリアリズムの犯罪小説を期待する向きにはお薦めしないが、フランスならではの特異なノワール、たとえばミシェル・リオの『踏みはずし』のような小説が好きな人なら結構いけると思う。本書が気に入ったら『殺戮の天使』『眠りなき狙撃者』『殺しの挽歌』もどうぞ。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マンシェット (ペーチャ)
2009-05-18 22:15:05
マンシェットという作家のことは、この文庫が出るまでその存在さえ知らなかったのですが、俄然読んでみたくなりました。
ひょっとしてソローキンと感じが似ているのでしょうか…
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マンシェット (ego_dance)
2009-05-19 08:38:28
ソローキンというのは『愛』の作家ですよね? 残念ながら読んだことがないので分かりません…

マンシェットは翻訳本のほとんどが絶版になっていて、日本ではあんまり受け入れられない作風なのかも知れませんが、私は大好きです。この乾き方と疾走感がたまりません。ノワールの極北という感じがします。
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