アブソリュート・エゴ・レビュー

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淵に立つ

2018-08-29 22:13:16 | 映画
『淵に立つ』 深田晃司監督   ☆☆☆☆★

 日系レンタルビデオのDVDで鑑賞。どんな映画か知らずに観たが、なかなか面白かった。とても怖い映画だが、ホラーでも猟奇殺人でもない、あんまり似た作品を思いつかないユニークな映画である。ジャンルでいうとサイコ・サスペンスとヒューマン・ドラマの中間ぐらいか。ブラックなコメディ風味もちょっと入ってる。

 町工場を営む一家に、ある日八坂(浅野忠信)という男が住み込みの工員として入り込む。彼は夫の友人で、殺人罪で服役していたという。礼儀正しい彼に、妻も幼い娘もしだいに打ちとけていく。クリスチャンの妻は彼の過去を知り、遺族へ送金し手紙を送っていることを知ってますます彼に同情し、信頼し、やがて惹かれるようになる。一方で、夫は八坂に何かしら負い目があるようで、彼を怖がっている。ある日、妻に情交を拒絶された八坂は、唐突に狂暴な事件を起こし、一家に深い傷跡を残して消えてしまう…。

 冒頭から気づくのは、この一家、特に夫と妻の関係は空虚で冷え切っているということ。食事の時も会話するのは妻と娘だけ、夫は無関心で新聞に没頭している。妻が夫に話しかける時は他人行儀な敬語だし、八坂の住み込みも、夫は妻に相談すらしない。要するに八坂にかき回される以前から、この家族はぎくしゃくして欺瞞だらけだ。

 それから八坂の過去を知って妻は涙を流し、「あの人こそ神に愛されなければならない」と彼を褒め称える。そして彼にどんどん接近していくが、彼女は実は自分が女として八坂に惹かれていることに気づかない。これが博愛の欺瞞、信仰の欺瞞である。八坂が彼女に手を出した時、彼女はその行為を進んで受け入れる。

 このように、映画はさまざまな人間関係の欺瞞をアイロニックに暴き出していく。本作の前半が奇妙なコメディ・タッチの様相を呈するのはこれが理由である。しかし八坂が不気味な怨念を秘めていることが分かり、ほぼ同時に妻と不倫関係を持ってからは、物語は急速に不穏さを増し、陰惨なカタストロフへと突き進んでいく。

 しかし最初のカタストロフは物語の終わりにではなく、中盤に起きる。一家に深刻な爪痕を残して八坂が消え、八年たってから後半の物語が始まる。家族は痛ましい苦闘の中にいる。過去のトラウマを引きずり、あるいは八坂への怨念に呪縛され、日々をかろうじて暮らしている。そんなところへ、工場で新しく採用した若い工員が実は八坂の息子であることが分かり、一家を動揺させる。そこから再び事態が動き出す。

 ストーリーの構造としては、これは八坂という闖入者に被害を被った家族がそれを乗り越えようとする苦闘の記録といえるだろう。しかしこの話を複雑にするのは、夫婦の罪悪感である。夫は八坂に過去の事件において負い目があり、妻は彼と不倫関係を持った(あるいはそれを進んで受け入れた)負い目がある。その罪悪感が、家族に降りかかった災厄をあたかも宿命的な懲罰のように見せ、また二人ともそう受け取ってしまう。夫は「ほたるがああなって、ある意味ホッとした」とまで言う。そして、その事件によって自分たちは本当の夫婦になった、とまで言うのである。

 つまり罪悪感によって事件が「罰」となり、揃って「罰」を受けたことが夫婦の絆となったのである。少なくとも、夫の目に事件はそう映っている。妻はそれを否定するが、自分の頬をぶつ行為によってやはり罪悪感に苛まれていることを表現する。

 この罪と罰の構造は、当然物語に織り込まれたプロテスタントの信仰とリンクして、闖入者でありトリックスターである八坂をある意味超越的な神の使者のように見せる効果を上げているが、まあ冷静に考えればそんなわけはなく、要するにすべては人間の心のなせる業なのだ。夫婦の惑いが観客の惑いとなり、観客はさまざまな意味のせめぎあいの中に置き去りにされる。

 それがつまり多義性であり、多義性は映画のポエジーの源泉となるのだが、この映画はかなり強靭かつ深い多義性をまとっているように思う。それに拍車をかけるのがこの監督のシンボルの使い方の巧みさで、赤い色や自分の頬を打つ行為、家族が並んで寝そべる構図などが意味を変えて何度も現れ、意味ありげに観客に目配せを送っては翻弄する。

 ストーリーは前半も後半もきわめてサスペンスフルで、異常なまでのテンションの高さを維持している。観客は色んな場面で心臓バクバクを味わえるだろう。だからスリラーとしては相当に優秀だと思うが、そのスリルは罪悪感や怨念や悪意というネガティヴな心理の連鎖で支えられているので、特に後半は陰々滅々としたムードが支配的となり、観ていてかなり疲れる。だからこの映画を好きかと問われると、素直にはいとは答えられない。しかしまあ、傑作であることは間違いないと思う。

 ところで一家の夫を演じている古舘寛治は『南極料理人』でサボリ魔の車両担当をやっていた人だが、とても自然な演技がやっぱり良い。『南極料理人』の時も思ったが、もともとこういう人だとしか思えない。とぼけた演技が得意なのかと思っていると、ラストでは力のこもった劇的な芝居を見せる。最近気になる役者さんである。
 


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