アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

最後から二番目の真実

2006-01-31 23:46:48 | 
『最後から二番目の真実』 フィリップ・K・ディック   ☆☆☆★

 エリアーデ全集第三巻を読んでディックに似ているなあと思い、必然的にディックが読みたくなってサンリオ文庫を引っ張り出して再読した。前回読んだのはもう随分と昔のことである。記憶していた印象より短い小説だったので驚いた。前読んだ時はディック特有の錯綜したプロットに幻惑されて長く感じたに違いない。

 ちなみにサンリオ文庫のディックは他に何冊か持っているが、その中で創元やハヤカワから再刊されていないのは『シミュラクラ』『時は乱れて』とこの『最後から二番目の真実』だけになった。

 核戦争後の地球、というお得意の舞台設定。地下には狭い集合住宅(蟻タンクと呼ばれる)に大勢の人々がひしめきあい、きつい労働に従事しているが、地表では少数のエリート達が広大な領地を持って悠々と生活している。なぜこんなことが可能かというと、地表のエリート達は偽のニュースや映像によって地表では戦争が続いていると地下の人々に信じ込ませ、騙し続けているからである。ディックお得意のテーマ、偽装である。ただし今回は相当大掛かりだ。

 この「現実の捏造」は巨大かつ最重要の政府プロジェクトと化しており、スピーチ担当者や映像担当者など数々のエリートによって維持されている。地下の人々には最高指導者ということになっている偉大なるタルボット・ヤンシーは実はシミュラクラ、操り人形であってコンピュータによって制御されている。

 設定はややこしいので全部を説明できないが、ストーリーは大体二つのプロットから成立している。一つは、人工脾臓を求めて地下から地上にのぼってくる(そして真実を発見する)ニコラスの物語。もう一つは、産業界の大物ランシブルを潰そうとする最高権力者ブローズの陰謀とその顛末。

 このブローズの陰謀がまたややこしくて、まず集合住宅の建設現場から数百年前の非地球人種の頭蓋骨やら装置やらを発見させる。するとランシブルは土地を没収されるのを恐れてそれを隠すだろうから、犯罪者として糾弾する、というものだ。もちろんその頭蓋骨も偽物なのだ。本書はディックのオブセッションである「偽物」で覆い尽くされている。

 ところがこの陰謀は何者かによって阻止される。この何者かというのはデビット・ランタノというチェロキー・インディアンで、その時々によって若くなったり年取ったりするという不思議な人物であり、歳を取ったときには捏造された指導者であるタルボット・ヤンシーそっくりに見える。このへんのあっけにとられる展開はディック節全開である。このデビット・ランタノは物語が進むにつれて、神性を帯びた人物として描かれるようになる。

 ニコラスが地上に出てきて真実を発見し、またブローズの陰謀が不可解な妨害を受ける中盤までは実に異様かつスリリングで面白い。しかし終盤でプロットが破綻し、バタバタと終わりに向かってしまう。それまでが面白いだけに、このとってつけたような収束のさせ方が残念である。デビット・ランタノが時間を行き来できるようになった説明などもアイデアは面白いのだが、駆け足すぎていい加減になってしまった。まあディックの小説は後半で破綻しないものの方が珍しいが……。

 個人的には、本書最大のヒットはなんと言っても「ゲシュタルト構成機」である。人を殺し、その現場にある人物の痕跡(声、血液、髪の毛、指紋、脳波など)などをわざと残していく機械。殺人者を偽装する、まさにディック的ガジェット。現場から逃げられない時は最後の手段として携帯用テレビに化けるのだが、重すぎるのですぐにばれてしまう。偽の痕跡も残しすぎるので嘘だとばれてしまう。ディックの世界では恐ろしい機械が同時にしばしばマヌケであり、滑稽でもある。このゲシュタルト構成機は、数あるディックのガジェットの中でも特に私のお気に入りなのである。


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