アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

闇の奥

2013-01-23 21:49:42 | 
『闇の奥』 コンラッド   ☆☆☆☆★

 以前岩波文庫で読んだことあったが、今回は光文社版に買い替えて再読。

 何とも奇怪な小説である。色んな意味で。私がこの小説を知ったのは『フリッカー、あるいは映画の魔』の中に出てきたからだが、この中であのオーソン・ウェルズが映画化しようとして果たせなかったエピソードが紹介され、また架空の映画監督マックス・キャッスルが映画化したという設定で物語にとりこまれている。そしてこの架空の映画『闇の奥』が細かく描写されるのだが、そのまがまがしい、呪術的ムード溢れる描写は小説の中でも特にインパクト大だった。おそらく作者のセオドア・ローザックもこの小説が好きで、「これをキャッスルが映画化したらどんな風になるだろう」と想像を膨らませ、陶酔しながら書いたのだろう。

 あとで知ったがオーソン・ウェルズが映画化を望んだのは本当の話で、他にもキューブリックも映画化を考えたが諦めたとか、コッポラがそのまま映画化することを断念し、アレンジして『地獄の黙示録』になったとか、この『闇の奥』についての話は色々ある。それだけ芸術家をひきつける何かを持った小説ということだろう。

 実際に読んでみて感じるのは、まずはこの圧倒的な陰鬱である。ネクラとかメランコリーとかいうレベルではなく、恐怖の域に踏み込んだ陰鬱。それから、暴力的なまでの多義性、あいまいで象徴的な描写の氾濫。そしてこの物語の「奇怪さ」を決定づける、謎の多いストーリーと開かれた結末。この小説はタイトル通りまさに「闇の奥」に踏み込んでいくような印象を与える。

 その闇はまず読者の前に、大自然の「闇」、原始の「闇」として姿を現す。それは人間がまだ動物だった頃ひたすら畏怖した大自然、呪術の対象となるべき圧倒的な神性をまとった恐怖である。しかしその奥に分け入っていくと、読者はそこにもう一つの、更に暗い恐怖を発見する。それは利益のために異人種を平然と虐殺する、白人社会すなわち「文明人」の恐るべきメンタリティである。当時コンゴ自由国を統治したベルギー王レオポルド二世は教養ある文化人であったと同時に、殺人と暴力でコンゴ人を奴隷化した虐殺者だった。ノルマが達成できないコンゴ人労働者は手足を切り落とされ、女子供は人質に取られた。彼の統治下にあった二十年間でコンゴの人口は半分に減ったという。この小説はその悪行を表立って告発する物語ではないが、その悪の存在は底流として存在し、「闇」を更に深くする。

 ストーリーはシンプルで、船乗りマーロウの昔語りの体裁で語られる。マーロウはある交易会社に雇われ、コンゴの奥地にある会社の支所まで蒸気船で川を遡り、現地支配人クルツを連れ戻せと命令される。クルツは有能な男で、貴重な象牙を大量に送ってきて会社に利益をもたらしているのだが、一方で呪術的な儀式を行い、現地の人間に神の如く崇められている、など怪しい噂がある人物だった…。

 『フリッカー、あるいは映画の魔』でもそうだったが、まずはコンゴ奥地の自然描写がまがまがしい。それは人を癒すような自然ではなく、原始的な恐怖に満ち満ちた自然である。しかもそれがこの小説においては、どこがどうこわいと具体的に言えるような書き方じゃなく象徴的であいまいな書き方がされているために、掴みどころのない、得体の知れないまがまがしさとなっている。おそらく、名うての映画監督がことごとく本書の映像化を断念した理由のひとつがこれで、言葉だからこそ醸し出せる曖昧な畏怖がすべての基本になっている。このムードの映像化は非常に困難だと思われる。

 それから、クルツという人間とその変貌が「恐ろしい」。文明社会の常識からいうとクルツはおそらく狂っているが、その狂気はただタガが外れた狂気ではなく、異界に適応したが故に我々には狂気に見えるという、異界の顕現としての意味合いがはっきりとあり、これが怖いのである。またクルツ自身、さらに他の人々もさかんに「おそろしい」「おそろしい」と言うが、何がそうまで「おそろしい」のか、具体的にはよく分からない。何がクルツを狂わせたのか、何がそんなに恐ろしいのか。恐ろしい雰囲気は立ち込めているが、決してその正体をはっきり見極めることができない。タマネギの皮を剥くようなものだ。何かしら想像を絶する場所があって、そこにいる人間は狂っている、それが何かはよく分からないがとにかくそこに行って連れ帰らねばならない、という単純なプロットだけがあり、その中心にあるものは最後まで隠されている。私たちは想像するしかない。

 単純なプロットと書いたが、困難を重ねて神秘的な場所に分け入り、また帰って来るという物語には単純であるが故の神話的な深さがある。マーロウの旅はいわば冥府巡りである。蒸気船の故障、霧、蛮族の襲撃、交易会社内の陰謀など、数々の想定外の困難でマーロウの旅はコンスタントに邪魔され続ける。そして彼が踏み入れるコンゴの密林には、日常的に死が転がっている。そこでは、事務員が仕事をしているオフィスの中に死体が転がっているのである。

 この作品は人種差別的という批判もされていて、確かにコンゴの現地人を「蛮族」「未開人」として恐ろしげに描いたり、彼らの生活や風習をまがまがしく感じさせるように書かれた部分もあり、それを「人種差別」と取る人もいるかも知れない。しかしリョサが『嘘から出たまこと』の中で擁護しているように、作者にはコンゴの自然の中で暮らす現地人に生命力の美しさを見、賛美している面もあり、またここで真に「悪」とされているのはむしろ白人の植民地主義と考えることもできるので、これが差別かどうかは結局読者の主観になってくると思う。加えて、コンゴの奥地に住む人々とその風習への、一種の畏怖の感情がなければ、この小説の迫力の一部は確実に失われてしまうだろう。未知なるものを先入観抜きに理解しようとする態度が大切であると同時に、人間の本能的な感情として未知なるものへの恐れや不安もあるわけで、それを表現すると差別ととられかねない、というジレンマがここにはあるように思う。最終的な判断は個々の読者に委ねられている。

 ちなみにリョサは書評集『嘘から出たまこと』の中で、本書の「複雑な語りの構造」「共鳴の手法と入れ子構造が何度も入れ替わり、重なり合って絶妙な仕組みで動く物語世界」「交錯する主観」「夢のような小説的現実のリズムと流れ」などに言及し、絶賛している。

 ところで、訳者はあとがきでとにかく分かりやすい訳を心がけたと書いているが、確かに読みやすかった。岩波文庫版はもうほとんど覚えていないから比較してどうこうは言えないが、ただでさえ読みにくい小説なので、これから読もうという人は光文社文庫の方がいいだろう。が、こういう小説はむしろ晦渋な訳文で読んだ方が浸れるんだ、という人は岩波文庫版をどうぞ。



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4 コメント

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実在でしたか! (sugar mom)
2013-01-27 12:17:58
「闇の奥」実在する小説だったのですね。
「フリッカー」は最高に面白い小説で、無人島に流される時所持したい本はと聞かれたら、一も二もなくこの小説の名をあげる私ですが、この本が実在することまではチェックしていませんでした。
不気味な小説ですね。
なんのためにそういう深い闇のような邪悪さを作者は書こうとしたのでしょう・・・・
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闇の奥 (ego_dance)
2013-01-30 14:09:48
『フリッカー』を読むとこの『闇の奥』に猛然と興味が湧いてきますね。確かに不気味で、独特のまがまがしさを持つ小説です。この本を読んだあとに、『フリッカー』に出てくるキャッスル作の映画「闇の奥」の描写を読むと、また感慨がひとしおです。
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地獄の黙示録 (kappa1973)
2013-01-31 22:07:05
いつも楽しみに拝見しております。
私が「闇の奥」を読んだきっかけは、映画「地獄の黙示録」を見た後、その原作であるという話を聞いてでした。
読むと、映画とは全く違う設定だったのでびっくりした覚えがあります。
本書、「闇の奥」というタイトルのとおり、まがまがしさや狂気がジャングルの奥地から立ち上がってくるような雰囲気が魅力ですね。
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映画 (ego_dance)
2013-02-03 09:03:50
やはり設定はまったく違いますか。実は私、名作と言われる「地獄の黙示録」を観たことがないのです。あのおどろおどろしい感じを敬遠してしまうのですが、近いうちに観てみようかな…。
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