アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

元気で大きいアメリカの赤ちゃん

2015-05-27 21:13:57 | 
『元気で大きいアメリカの赤ちゃん』 ジュディ・バドニッツ   ☆☆☆☆★

 バドニッツの新作短篇集を読了。訳者の岸本佐知子さんがあとがきに書いている通り、前短篇集『空中スキップ』に比べると、確かにより「黒い、力強い」感じだ。得体の知れない迫力がある。それぞれの短篇の中に、不気味にうずまっているものがある。これはやはり、小説の凄みというものだろう。

 前作でもそうだったが、本書も微妙にグロテスクだ。しかしそのグロテスクは露骨なものではなく、表面下に隠れている。直接的に表現されるのではなく、仄めかし、暗示によって醸し出される。文体は直截で力強く、発想は徹底してシュールリアリスティック。そして時折、思いがけない抒情性が香る。不安でわけわからずどこか不気味、という基調のトーンの中にふっとロマンの香りがするのだが、そこにえも言われぬ魅力がある。

 強い風刺色もあからさまな特徴だ。この作家のメインテーマは人間の愚かさ、と言ってもいいかも知れない。たとえば黒い赤ん坊を見る隣人たちの目、異国の女を見るアメリカ人女たちの目などに、作者の辛辣な、嘲笑的といってもいい毒針が仕込まれている。あるいは、アメリカ合衆国大統領をふざけのめしながら小ばかにする、攻撃的なアイロニー。

 いくつかの短篇に簡単に触れてみたい。「わたしたちの来たところ」は本書の素晴らしさを凝縮したような一篇で、赤ん坊をアメリカで産むために密入国を繰り返す母親の話である。御伽噺的であり、神話的であり、シュールリアルであり、ポストモダン的な軽みがあり、オフビートでありスラップスティックであり、しかも不気味かつ不穏で、つかみどころがない。最初から最後まで読者を翻弄して、立ち止まることがない。母親が何度密入国に失敗してもあきらめずチャンレンジするところはコミカルだが、赤ん坊が何十ヶ月も産まれずだんだん体が蜘蛛みたいに変形してくるところはグロテスクだ。そして最後は、思いもよらないリリカルなトーンで締めくくられる。

 「流す」は一見そう思えるように流産の話ではなく、主人公である女性の母親が妹が病気になったり検査を受けたりする話。これも家族への思いとシュールなブラック・コメディが溶け合った不思議な一篇である。「ナディア」も読後感が尾を引く短篇で、語り手であるアメリカ人女性の知り合いの男のところへ、婚約者としてやってきた異国の女をみんなで虐げる話である。彼女たちのような人間は私たちより一段低い存在なのだ、という決めつけがすごい。「顔」はまあSFというか一種のディストピアもので、架空の全体主義的国家で生きる水泳選手(女性)と'画家(男性)の物語。これもプロットのツイストがきつい。アクロバティックと言ってもいい。

 「奇跡」は再び本書のイメージを代表する一篇と言っていいだろう。白人夫婦に真っ黒な赤ん坊が生まれる話だ。夫をはじめ周りの全員が怪物を見る目でその子を見るが、母親だけは普通にわが子を愛する。そしてある日突然、赤ん坊は白くなる。あらすじだけ聞くといかにも風刺色が強く、ストレートで、昔のSFっぽい時代遅れ感があるかも知れないが、実際に読むと、この作家ならではの読者を煙に巻くツイストだらけのディテールが異様な多義性を醸し出し、そう感じさせない。一方、「象と少年」もまた慈善家の裕福なマダムが、象使いの少年を現在の生活から「救おう」とする話だが、これはアイロニーが直接的で、「ナディア」や「奇跡」と比べると少し落ちると思う。この二つにはある、底知れない感覚に欠ける。

 「水のなか」もまたレイシズムを題材にしていて、黒人の子供が入ったプールに白人の子供が入らなくなる話。「優しい切断」は戦場の病院で兵士たちの手足を切断している医者が切断した手足を畑に植えるという、ボリス・ヴィアンを思わせる残酷でシュールな話。「備え」は大統領と側近たちが核戦争に備えた訓練を行う話で、特におちゃらけたトーンで書かれた一篇。最後の「母たちの島」は、戦争で男たちがいなくなり、母親ばかりになった島で育つ少女たちの物語。タイトルから筒井康隆の「妻の惑星」みたいな短篇かと思ったが、違った。あそこまで幻覚的というか夢幻的ではなく、もっと正調SF的である。無論、毒はたっぷりだが。

 こうして見ると風刺色が強い作品が多いようだが、にもかかわらず分かりやすかったり底が浅いという感じはせず、むしろ強力な多犠牲で読者を惑わせる。これはバドニッツの書く文章が、常にセンス=意味をはぐらかすナンセンス性を帯びているからではないかと思う。彼女は徹底して登場人物たちの立ち位置を曖昧にする。読めば読むほど、風刺される人間、擁護される人間、という風に単純に割り切ることができなくなる。彼女の短篇はブラックだし、強烈なメッセージ性を含んでいるように思えるけれども、実は、無意味な言葉遊びに一番近い小説なのかも知れない。つまり、一見して目立つ批評性は実は副次的なもので、一義的には、ほとんど純然たるテキストの戯れなのではないか、とも思うのである。

 正直読後感は良くないが、言葉の軽やかさ、イメージの飛翔力、そしてふとした瞬間に迸るリリシズムは魔術的だ。ちょっと他では体験できない、濃厚でビタースイートな味の作品集である。



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