アブソリュート・エゴ・レビュー

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インターステラー

2015-05-30 23:27:50 | 映画
『インターステラー』 クリストファー・ノーラン監督   ☆☆☆☆☆

 去年ニュージャージーの映画館で観たが、さっぱり意味が分からなかったので日本版ブルーレイを入手。やっと色々な疑問が氷解した。やはりセリフが分からないと映画を評価することはできないなあ。今回日本語字幕付きで観てようやく、傑作であることが分かった。

 ノーラン監督はいつも入り組んだややこしい設定を出してくる人だが、今回も例外ではない。非常にややこしい。得意の時間いじりもちゃんと出てきて、観客を翻弄してくれる。そしてそこに家族愛という人間ドラマのスパイスをこれでもかと振りかけて、この映画『インターステラー』は成立している。

 ざっとあらすじを紹介すると、物語の舞台は農作物が育たなくなりつつある未来社会。科学技術は衰え、ほとんどの人々は農業に従事しているが、定期的に砂嵐に襲われ、作物は次々に絶滅していく。人類に希望はない。そんなある日、元宇宙飛行士クーパーとその娘マーフは、部屋の本棚を揺らす「ゴースト」からの暗号メッセージを解読し、隠されていた旧NASAの基地を発見する。彼らは秘密裏に人類の宇宙移住計画を推進していた。過去に数人の宇宙飛行士を銀河の彼方へ送り込み、可能性がある三つの惑星を発見していたのだ。今、彼らには宇宙飛行士が必要だった。「必ず戻ってくる」と娘に約束し、クーパーと科学者達は人類の移住を実現するため、ワームホールを通って惑星調査の旅に出る。しかし、相対性理論により1時間が地球の7年に相当する第一の惑星で時間を費やしてしまい、地球では23年が経過、マーフはクーパーが自分達を捨てたと思い込む。それでも第二の惑星を調査し、地球へ戻ろうとするクーパーだったが、科学者の裏切りによって計画は頓挫、その惑星に人類は住めないことが判明する。もはや移住計画は絶望的、地球に戻る燃料もなくなったクーパーは、ブラックホールを利用してアメリア博士を第三候補の惑星に飛ばす。自分は死を覚悟してブラックホール内に留まるが、不思議な四次元空間に捉えられ、過去現在未来のマーフの部屋と交信可能となる。もしもマーフにブラックホール内部で観測したデータを伝達できれば、彼女が「重力」の秘密を解明し、自力で移住計画を推進することができるかも知れない。こうして子供時代のマーフに信号を送ろうとした彼は、自分こそかつてマーフが交信していた「ゴースト」であることを悟るのだった……。

 あまりにややこしくて、あらすじを書いていても混乱して来る。途中で設定が二転三転し、物語がどこを目指して進んでいるのか分からなくなる。この混沌とした感覚はノーラン監督が作る映画の特徴で、ディテールに凝りまくる結果だと思うが、これは先が読めないスリルをもたらす代わりに、物語全体のダイナミズムを阻害するというマイナス要素もある。本作も同様で、だから私のようにセリフの細かい部分が分からない人が観ると、物語の大枠は分かるけれども大して面白くないのである。

 ということは、一見家族愛をテーマにしているかのように見えるこの映画は、実は人間ドラマとしては大したことなく、そこそこレベルだということではないか。なぜならば、人間ドラマ部分は私だって最初に観た時にちゃんと理解できたからだ。人間ドラマの軸になっているのはクーパーとマーフの親子愛だが、マーフは大人になった時点で「お父さんは私たちを捨てた」と言っているのに最後は「戻ってくると信じてた、だってお父さんが約束したんだもの」などと言っているし、長年会えずにいたにしてはあっという間に再会を終えてしまう。四次元立方体を通して交信する時も、時計の針が動くのを見て「これはお父さんだ」はかなり強引だと思う。細かい揚げ足取りをするつもりはないが、全体の流れが多少ギクシャクしていることは否めない、と言いたいのである。

 従って、やはり本作が優れているのは人間ドラマ部分よりもSF的ディテールの発想力とそのマニアックなまでの精緻さであり、結局はそれがもたらすセンス・オブ・ワンダーである。これはもう、圧倒的と言っていい。本作は相対性理論や重力に関する科学的裏づけがきわめて正確と言われているようだけれども、正確な科学的裏づけがウリの正統派ハードSFというよりも、むしろ奇怪な発想で魅せる異形のSFである。どちらかといえばアーサー・C・クラークよりもフィリップ・K・ディックに近い。

 典型的なのはあの自動販売機みたいな形のロボットで、平べったいくせに人間そっくりの感情的な喋り方をする。他にも、アポロの月面着陸はまやかしであることが常識となっている社会、モールス信号でメッセージを発する本棚、自分より老いた娘との再会など、色々なところで癖のある発想力が発揮されており、もちろん、きわめつけはあの四次元立方体である。そういう独特のセンスを駆使し、ディテールを凝りに凝って作りこむノーラン監督のこだわりはもはや偏執狂的といってもいいレベルで、その偏執狂っぷりこそがセンス・オブ・ワンダーの美学を見事なビジュアルに結晶化させることに成功した、最大の要因だろう。要するに、本作はノーラン監督がとことんSF的センス・オブ・ワンダーを追求した映画なのであって、その凝りっぷりを楽しめるかどうかが鑑賞の鍵だ。

 こだわり抜いた映像も素晴らしく、精緻をきわめている。この地上には(あるいは現実には)存在しない光景ばかりで、これはSF映画ならではの美しさだと思う。宇宙を旅していく時の目もくらむような光景、不気味きわまりない津波の惑星、雲までが結晶化している氷の惑星。本作は『2001年宇宙の旅』とよく比較されているようだが、壮大なストーリーと終盤のシュールレアリスティックな展開という表面的な類似よりも、宇宙空間ならではの寂寥感、孤独感の見事な表現こそが、本質的かつ重要な共通点だと思う。宇宙空間が持つ徹底した非人間性とそれがもたらす恐怖は、本物のSFには欠かせないと思うからだ。

 それからまた、エンタメ作品としてのツボもちゃんと押さえていて、マン博士の裏切りや隠されていたプランAとプランBの真実などで、スリリングに物語を盛り上げていく。少なくとも『2001年宇宙の旅』より、はるかにサービス精神旺盛である。だから、基本的にはSFマインドを持つ人向けのマニアックな映画だと思うが、SFは全然ダメという人でない限り充分楽しめる映画となっている。

 ところで、マーフ役の子役の女の子があまりにアン・ハサウェイにそっくりなので、ははあ、この子が成長してアン・ハサウェイになるのか、よく似た子を見つけてきたなあ、と思っていたら全然別人の役だった。すごいフェイントだが、あれはたまたまなのだろうか。どう考えてもまぎらわしいと思う。 


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