アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

地下室のメロディー

2014-12-22 22:54:17 | 映画
『地下室のメロディー』 アンリ・ヴェルヌイユ監督   ☆☆☆☆

 日本版ブルーレイを購入して初鑑賞。一言で言えば、ゴージャスな映画である。色んな意味で、ひたすらゴージャスだ。ジャン・ギャバンとアラン・ドロンの新旧スター共演。ギャバンの渋みと重厚、輝くようなドロンの美貌。舞台となるコートダジュールのホテル、プール、カジノの華麗さ。プールで寝そべる、舞台で踊る、カジノでドレスをまとう、続々登場の美女達。それらを彩るジャズのビッグバンド風音楽。モノクロ映画だが、そのモノクロ映像が宝石のようにきらめいて見える。すべてが贅沢で、貧乏くささという言葉の対極にあるかのような映画である。やっぱフランスは違うなあ、と心から実感させてくれる。

 そしてそのゴージャスさの果てにやってくる、あの「なんでそうなるねん!?」と叫びたくなるラスト。空しさと、ばかばかしさ。ああこの世のすべては夢かまぼろしか…という脱力したニヒリズム。この激しい落差を身悶えしつつ味わう、断言するが、これがこの映画の醍醐味である。それ以外にない。

 要するにジャン・ギャバンは出所したばかりの犯罪者で、懲りずにアラン・ドロンを誘ってコートダジュールのカジノ強盗を計画する。水も漏らさぬ緻密な計画を立て、若く軽率なドロンを厳しくしつけ、金持ちのボンボンに仕立ててホテルに送り込む。ドロンは美人の踊り子と仲良くなったりしながら(楽屋に出入りできるようになるという目的あり)準備を進め、ついに決行の日。すべて計画通りで大成功、これでおれたちゃ大金持ち、と思ったら、ああ~お前ちょっとそれはないだろう!

 そしてまた、これはなんとも豪気な映画でもある。冒頭、ギャバンはやっと出所したばかりだというのに「安月給の休暇なんておれの性には合わねえ」貯金もそこそこあるし、これからは堅気になってマジメに、と訴える女房に「あと一仕事やって、余生をキャンベラで過ごす。大富豪の老紳士としてな」微塵の迷いもない。その後、昔の仲間に「もう歳だ、体がついていかねえ。お前も考えた方がいいぞ」などと忠告されても、まったく揺るがない。お前らはつつましく生きていけよ、おれはごめんだ、てなもんである。ここまで豪気だと、強盗といえども尊敬の念が湧き上がってくる。

 そしていかにもチンピラっぽいドロンが登場する。母親から金をせびったり、いかにもそのへんにいそうなチンピラだが、金持ちのボンボンに化けてコートダジュールに乗り込んだ瞬間、オーラが変わる。スポーツカーから颯爽と降り立ち、ホテルのベルボーイをアゴで使う。余裕の笑みを浮かべてプールサイドを徘徊する。もはや独壇場である。地上で一番コートダジュールの最高級ホテルが似合う男、それはアラン・ドロン。

 ドロンについてもう一つ言及しておきたいのはその敏捷さ、身のこなしの軽やかさである。金持ちの青年客としてホテルで過ごし、踊り子やホテルマンを相手にする時もそうだが、いざ犯罪決行の際にはタキシードで天井裏によじ登り、エレベーターの竪穴にすいすいと降りていく。どんな身のこなしをさせても生得のエレガンスは失われず、ひとつひとつの仕草がばっちりキマる。まったくほれぼれするようなスター性で、これこそフィルムの上に存在するために生まれて人間というものだろう。

 そして最後は例の結末に至るわけだが、あのばかばかしい脱力感と空しさはさておき、プールの水面いっぱいに広がる札束というゴージャス感満点の「絵」によって、やっぱりこの映画は締めくくられる。男たちの、つわものどもの夢のあと。徹底した豪奢と、それが一瞬にして費える幻のようなはかなさ。「人生いかにいくべきか」などという思索とはまったく縁がないような洒落のめした娯楽映画に、人生の深奥の真実が一瞬きらめいては消える。これもまた、映画というものの醍醐味に違いない。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿