アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

オシリスの眼

2017-03-11 23:58:43 | 
『オシリスの眼』 オースティン・フリーマン   ☆☆☆☆☆

 ソーンダイクものの長篇『オシリスの眼』を読了。最高傑作と言われることもある本書、確かに面白かった。本書にはいろんな意味で他のミステリにはないフリーマンの独自性が凝縮されている。その独自性については訳者あとがきに詳しく書いてあるが、まずは何といってもずば抜けた論理性。あのレイモンド・チャンドラーはフリーマンのミステリをそのロジカルな整合性ゆえに称賛し、フリーマンの作品で最低二度読まなかったものはひとつもない、と公言していたそうだ。また、ロンドン大学のジョン・アダムス教授はその批評の中で、フリーマンのことを「彼の作品は、月並みな”探偵”小説愛読者たちにはとても手に負えるものではない。…(中略)…彼の本を知恵を絞って読むことは、ミルの”帰納論理学の規準”を用いる格好の練習になるし、これらの本は、学生がその規準にどれだけ習熟したかをテストする実践的な手段として使えるだろう」と語っている。

 あとがきではさらにフリーマン作品の特徴を細かく分析してある。要するに他のミステリでは奇想天外なトリックや意外な犯人に重きが置かれるがゆえに、作品は作者と読者が対戦するゲーム、つまり作者がどう読者の裏をかくかというゲームになってしまい、読者もそれを知っているので作者の「騙し方」を読もうとする。「一番怪しくない奴が犯人のはずだからこの執事が怪しい」なんてのが典型的なパターンだ。事件を論理的に再構成する、証拠を論理的に吟味する、という態度からはかけ離れてしまう。ところがフリーマンは違う。実際の犯罪捜査における論理性、真相に到達するプロセスをあくまで追求する。この態度はミステリでは当たり前のようでいて、実はきわめて珍しい。そこがフリーマンを読む醍醐味である。

 しかしながらその一方で、本書もそうだが容疑者の数も少なく、読者に対する強烈なレッドヘリングが仕掛けられているわけでもないので地味に見える。奇抜なトリックに酔いたい人には物足りないだろう。しかしその味わいはいぶし銀だ。個人的には、名探偵がどこからともなく奇抜な回答を取り出してみせる新本格のミステリよりもずっと好感が持てる。

 さて、本書は一人の男の不可思議な失踪事件と、その遺産相続に絡む兄弟間の訴訟問題で幕を開ける。語り手の医者は訴訟の当事者である老父と娘に同情し(というか、はっきりいうと美しい娘に恋をし)、恩師であるソーンダイクに調査を依頼する。折しもバラバラ死体の断片があちこちから発見される。果たしてこれは失踪した男の死体なのか。

 もちろん本書は殺人事件を扱っているが、物語の序盤は行方不明となった男の遺言とその訴訟が焦点となる。男の遺言は、自分の遺体を特定の墓地に埋葬するならばAに遺産を相続させ、できなければBに相続させる、というものだ。しかし男は行方不明になり、男の遺体を墓地に埋葬することができない。ここに法的問題が生じる。この訴訟についてアドバイスを求められた時のソーンダイクのコメントがまた実に的確で、もし本物の弁護士に相談したら言われそうな内容である。ちなみにソーンダイクは科学者であり法医学者であると同時に、弁護士でもあるのだった。

 さて、訴訟がひと段落すると、今度は物語の焦点がバラバラ殺人へと移っていく。さっき意外な犯人はないと書いたが、それとは別に驚きはちゃんと用意されている。ソーンダイクのある実験により急転直下事件は解決するのだが、ここで明らかになった真相は私にとって実に意外だった。そして、それまでに見つかったバラバラ死体には切断方法がきわめて奇妙という謎があったが、これにも無理やりのこじつけではなく、完全に納得できる説明がつく。これには感心した。

 そして、ラストでソーンダイクが謎解きする際の論理性は完璧である。ひとりよがりな推理はどこにもない。状況をきれいに整理分析し、考え得る可能性を一つ一つ検討し、蓋然性を的確に評価して絞り込んでいく。クイーンやポアロのようなアクロバティックな飛躍がなく、聞くと当たり前のような気がしてしまうのでこれまた地味に思えてしまうが、本当に論理的な推理だ。そしてこのきわめてまっとうな推論の展開によって、事件直後の段階でほとんど犯人まで絞り込めていたことに驚く。

 タイトルの「オシリスの眼」とはエジプトの指輪の意匠のことだが、本書は全篇がエジプト学で彩られているのも大きな特徴である。遺跡やエジプト美術やミイラなどさまざまなものが登場し、話題に上る。その扱いは博識なフリーマンらしく、たとえばクリスティーの「中近東もの」みたいにエキゾチックなムードが先行したものではなく、アカデミックかつ精密なものである。

 加えて、この物語には語り手の医師が被害者遺族の娘に恋するというロマンスの味付けもある。これまたフリーマンらしく、英国紳士流のきわめて行儀の良い恋愛だ。あとがきではやや時代がかっていて陳腐と書かれているが、私はそれなりに楽しめた。英国の古き良き時代という感じだ。まあそうした部分も含め、本書はエンタメ要素はそれほど強くないし、あまりに学究的に雰囲気に物足りなさを感じる読者もいるかも知れないが、論理の快感という意味ではこれこそいぶし銀の輝きを放つ本物のミステリ、まさに本格ミステリの名にふさわしい小説ではないだろうか。



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2 コメント

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さっそく読みます (SIGERU)
2017-03-12 18:57:53
最近再刊された古典ミステリを何か読み遺しているような…。そうか、「オシリスの眼」でした!しかも、ego_danceさんの炯眼にして☆☆☆☆☆ですか。さっそく読ませていただきます。レビューありがとうございました。
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フリーマン (ego_dance)
2017-03-15 09:00:20
これは相当渋いです。トリック重視の方には受けないかも知れませんが、論理性重視の私にとっては最高レベルのミステリでした。この英国っぽい、折り目正しい雰囲気も好みです。
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