アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

金沢/酒宴

2005-07-26 09:13:00 | 
『金沢/酒宴』 吉田健一   ☆☆☆☆☆

 吉田健一という人の小説を初めて読んだ。最近、これまで読まなかった日本の作家の本を読むことが多い。昔は、知らない作家はそもそもどういう作家なのかを知る手段があまりなく、だから本を手に取る機会もなく、すでに知っている作家か、書評かエッセーで紹介されていて興味が湧いた本ばかり読んでいたが、最近は「これってどんな作家だろう?」と思ったらいくらでも情報を入手できる。これもインターネットのおかげである。
 ネットで本を購入するようになったことも大きい。書店でしか本を購入できなかった頃は装丁やあとがきだけを手がかりに自分の直観で本をチョイスしていたので、知らない作家には手を伸ばしづらかったものだが、Amazonで購入するようになってからはカスタマーレビューが非常に参考になる。もちろん、大絶賛されている本を読んでがっかりするということも多々あるわけだが、多数レビューがある場合は色んな人の意見があるので、総合して判断すれば間違いも少なくなる。

 さて、この吉田健一という人はクラフト・エヴィング商会の『テーブルの上のファーブル』で文章を読んでから興味を持っていた。本書が傑作と聞いて読んでみたが、本当だった。

 収録されているのは『金沢』と『酒宴』。『金沢』は、内山という人物が金沢に家を買って、金沢のあちこち、人の家や料理屋や寺で酒をご馳走になり、旨いものを食い、哲学的というか形而上学的な会話を交わすという、ただそれだけの話である。内山は明らかに著者の分身であって、金沢という町に非常な愛着を持っている。愛着というか、それはほとんど自分の内宇宙の外在化といっていいほどであって、つまり金沢という町はこの人物にとってほとんどユートピア的なものであり、その描写は必然的に夢幻性を帯びる。
 だからこの話は、その私小説的な設定に似合わず幻想小説に接近する。内山が家の中で酒を飲んでいると突然そこが屋外になったり、ヨーロッパの風景が広がったりする。全然別の場所で同じ女が部屋に入ってきたり、女の目の色がくるくる変わったり、現実の光景が絵の中の光景と入れ替わったり、変幻自在である。

 小説の始まりはきわめて現実的なリアルな筆致であるからして、この自在さには仕掛けがあるはずだ。作者はそれを、酒のもたらす酩酊と、登場人物達が共有する東洋神秘主義的な現実認識によって可能としている。幻想や夢幻的光景は、突然外部に出現するのではなく、いつも内山の内面からあふれ出すようにして出現する。それに作品全体が、冒頭の金沢の詳細な描写からしてそうなのだが、一種の日本的な精霊的自然観というか、東洋的神秘主義というべきもので覆われている。つまり庭の荒れ具合はそのままの方が眺めるものの目を休めるとか、家の玄関の奥が人くさくなってくるとか、最新式のものを作ると自然が顔をそむけるとか、過去と現在の両方であることが現在の証拠であるとか、一人の人間が他のどういう人間でもあるとか、家は人が住んでいる間は生きているとか、そういう言説が当たり前のこととして語られる。この小説は会話も地の文もそういう言説で溢れかえっている。だから読者はここで何が起きても不思議でない気になってくる。そこは小説の外とは違う法則が支配する世界なのだ。

 この人の文章もかなり不思議な文章である。読みにくいと批判されたそうだが、確かに句点が少なく、長たらしい文章である。感覚的だが理屈っぽくもある。しかしこの文体でなくては、この私小説と夢幻劇が融合したような摩訶不思議な小説はかけなかっただろう。

 『酒宴』もやっぱり酒を飲む話である。酒造会社の技師と銀座で飲み、それから酒造会社の地元である灘に行って飲む。飲んでいるうちに同席している連中の姿が酒のタンクに変わり、最後には自分が巨大な蛇の姿に変わっているという、やっぱりこれもぶっとんだ幻覚小説である。
 高尚で哲学的な『金沢』と比べると、エッセー的な部分が銀座のバーの話とか酒の肴の話とかもっと砕けた感じで、単純に面白い。面白さでいうとこっちの方が上かも知れない。

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2 コメント

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吉田健一 (無銘)
2017-06-14 21:44:29
私は酒宴の方が好みでした、ここではないどこかに連れて行ってくれる力を吉田健一の文からは感じられます、筋の展開で読ませるのではなく、言葉そのものが面白いのは内田百閒に近いものを感じます。
長編でしたら『絵空ごと』、吉田健一が評論家として勧めたポール・エリオットの『不思議なミッキーフィン』も面白かったので機会があったら是非。
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小説 (ego_dance)
2017-06-22 10:22:36
吉田健一の小説は他に『怪奇な話』ぐらいしか読んだことありませんでしたが、『絵空ごと』は面白そうですね。ポール・エリオットはユーモア・ミステリのようですが、これもチェックしてみます。
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