アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

屈辱ポンチ

2005-07-27 11:50:04 | 
『屈辱ポンチ』 町田康   ☆☆☆★

 本日読了。町田康は昔『きれぎれ』を読んで、面白かったけどもういいやと思ってそれ以来読んでいなかったが、本屋で手にとってパラパラめくってみるとどうしても気になってくる。一気に二冊も買ってしまった。買ったのはこれと『浄土』

 『きれぎれ』がどんな話だったか忘れたが、印象は似ている。くだけた語りのような饒舌体で、妄想のような不気味でおかしな話が繰り広げられる。収録されているのは義父から家を追い出されるシナリオライターの話『けものがれ、俺らの猿と』と、友人から金をもらってしらない男にいやがらせをするバンドマンの話『屈辱ポンチ』。

 とにかくどっちも、やりきれないような状況に陥った主人公がその状況を何とかしようとしてもがくという、滑稽ではあるがどことなく悪夢的な短篇である。『けものがれ』で佐志のアパートに不気味な肉食虫が大量発生するが、これが気持ち悪くて仕方がない。『きれぎれ』にも確かゴキブリが出てくる話があったような気がする。非常に不気味でそこだけはっきり覚えている。こういうグロテスクな部分はこの人の持ち味の一つなのだろう。

 話は間違いなく面白い。読み出したら止まらなくなる。はっきりいって起承転結などないエンドレスの悪夢を見ているような小説で、だから結末もどこで終わってもいいような終わり方をする(特に『けものがれ』)。だからこれはやっぱり妄想小説で、全体の構成どうこうなんてのはないも同然で、個々の妄想の断片がどれだけ切実な感覚を読者にもたらすか、という小説ではないかと思う。だから感動とか美しさとかいうものではなく、滑稽さ、不気味さ、やりきれなさ、といった悪夢的感覚によって成り立っている。まあその悪夢的イメージが文学的な美しさだ、という考え方もあるわけだが。『きれぎれ』を読んだ時も思ったが、この人の小説は一時期の筒井康隆をもっと生々しくしたような感じだ。

 それにしても、この人は一体どういう風にプロットをひねり出しているのだろう。実は緻密に計算しながら組み立てているのだろうか、それとも思いつくままにアドリブ的に作っているのか。

 すごく面白いし、こういう悪夢的な感じは嫌いではないのだが、全体に混沌としたこの感じがどうも気になる。読んでいるうちは圧倒的だが、読み終わってあんまり後に残らない。少なくとも私の場合は。単に私が輪郭のはっきりした物語の方を好むというだけの話かも知れないが。

 ところで保坂和志が書いている解説が面白い。こんな話、これからどうやって展開させるのだろうと思わせるというところである。本当に「展開」する話は予想しようがなく、それゆえ常に展開しようがないという錯覚を読者に抱かせる。リアルなものとは、そういう「見通しを遮断する力」に溢れている。
 この「見通しを遮断する力」というのが面白い。ただし、本当に展開する話はつねに展開しようがないという感じを与えるというのは、必ずしもそうではないと思う。ホフマンの短篇の一行目がいかにも様々に展開していく印象を抱かせるのは、果たしてそれが踏襲だからだろうか。物語の祖形のようなものが人間の心の底に存在していて、神話がそれに沿っているから力を持つとしたら、それは必ずしもネガティヴに「踏襲」と呼べるようなものではないと思う。

 
 

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