崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「寂しい退場」

2016年06月21日 05時37分54秒 | 旅行
 舛添氏の寂しい退庁の映像を見て民主主義の勝利か、口を揃えてのイジメだったのか、日本人の人生観、世界観をみて考えてしまった。彼が強弁した都政にはそれほど影響はなかったのか。知事とかトップのポジションの職務はそれほど重要ではない。官僚制度がシッカリしているので名誉職のようなものであろうか。今大勢の論調は「弁明が悪かった」という。彼は険しい表情で最後の登庁、「寂しい退庁」のセレモニーもなく、都庁を去ったという。私は舛添要一氏の表情をみて都民に「あなたはなにを感じているか」と問いかけたい。追い出した貴方たち自分自身はそれほど「清廉潔白な人」であるのか、反省すべきであろう。ここまでの拙文を読むと私が悪い人を弁護するようにと思われるかもしれない。が、退場の場面は人生を深く考えるべきであると思う。寂しい退庁より人生の「寂しい退場」を考えているからである。栄光と希望をもって戦った人生の道、その幕を閉じる時が必ず我々の前にくる。死をどう迎えるか。あの世に行くという人もいる。還生、復活を信ずる人もいる。後世があるのか。ないのか。寂しい退場は誰にもある普遍的なものである。今度の知事退庁は政治資金という世俗的な問題であったが、それを越えて都民に与えたものがある。それは人生観に大きい教訓が授けられたということである。

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