崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「雀樣が語る日本」ついて感想

2016年06月16日 04時31分40秒 | 旅行
最近FB友人になった方から拙著『雀樣が語る日本』(新典社)ついての感想が届いた。以前本欄で紹介したが、彼は台湾の台中に住んでいる方であり、日本語を高齢の呉氏に教わっているという。投稿の文章を見て、そのスピードを感じている。次のように書いている。
 
このごろこのエッセーや本を読み、何となく、韓国の事や台湾のことを書いていると読んでいる。両国には日本殖民地の文化がある。幼い頃、二階建ての瓦葺日本式家屋に住んだことがあり、屋根で遊んだこともある。台湾はオランダ、中国、日本に殖民地とされた。年配の人殆んど日本の統治が良かったという、日本とは親善関係を持っている。 台湾と韓国の共通點は多い。挨拶が「食べましたか」「どこへ行くの」など。暦は陽暦と陰暦が混合しているが、干支、植木の日(3月12日)、光復の日(10月10日)、「狀元及第」「登龍」など言葉が共通する。韓国と台湾がそんなに似ていることを初めて知った。日本で暮らすことは大変、「倍以上努力しなければなりません」という言葉があった。『雀様が話る日本』が日本語の勉強、知識を増すことに役に立つ。ある朝起きて、急に先生の苗字を想いだした。「崔」のチェの発音は「知恵」、崔イコール「知恵先生」と思った。

 私も日本語を書く時には濁音があるか、ないかなど数回打つのが普通であり、日本語ができる学生たちも投稿には躊躇するという。アジアの交流センターのような福岡でパン屋を経営している会長が研究室に来られてペルーからの楽団が春帆楼で公演するにあたり、スペイン語の通訳者を紹介してほしいと言われた。日中交流の現場、福岡の実態を感じた。早速ペルーで長い間発掘調査を行っている鵜澤宏和先生に連絡した。会長に中国から来ている留学生、博士課程で日本語の教育を研究をしている王さんを紹介した。彼は彼女に面接のように質問をした。多くの中国からの留学生をアルバイトなどで受け入れている経験から中国の留学生へのネガティブな話が出た。彼女に失礼だと思い、私は彼女は日本人の学生以上に真面目、研究熱心であること。つい最近、彼女は名古屋で開かれた学会に夜行バスで往復したことを話した。最近は国家間の経済的差よりは倫理、マナーの話が多い。*写真は위명온화백
 

公平性欠如の日本人

2016年06月15日 05時27分25秒 | 旅行
 舛添氏を叩き込み不信任案で泣かせるのをみて宮島みつや氏の投稿(私のFB参照)をもって再考しなければならない。舛添叩きの勢いを見ながら日本社会が怖くなったからである。私は子供の時日本人の「フクロ叩き」は怖いと聞いたことを思い出す。それは日本人の特質と言われた。TYS日曜日のモーニング番組のような口を揃えるコメンテーターをそろえたメディアには失望している。日本の世論、メディアは週刊誌以外はほぼ告発的なことはしない。こんども週刊誌の突発的な記事が大きい問題を起こしている。日本国民の多くが公私混同を非難する正義、清廉潔白な人々のように訴えているようである。正直な日本人としては当然であろうが、本当にみんながそのように一点のくもりもなくきれいな生活をしているのだろうか。宮島氏はなぜ酷かった石原慎太郎都知事が批判されなかったかという。海外視察も豪華すぎるものだったがそれほど問題にならなかった。天皇や石原慎太郎氏には強いタブーがあるのだろうか。
 尖閣諸島や中国への妄言なども同様であった。それを読んで日本人は正直清廉かも知れないが公平ではないと思う。彼のディフェンスの力、毒舌、筆力、石原巨族政治家などの壁が高いからであろう。先日の検事出身弁護士のように高圧的にディフェンスをすると反撃できない。それは日本だけではない。アメリカのトランプの人気もユーモラスな話と強いディフェンスの力で人気が上がっている。安倍総理はよくディフェンスをする。舛添氏も正直に強い毒説でディフェンスしてバランスをとってほしい。
 

「リベラシオン」

2016年06月14日 14時12分39秒 | 旅行
 数年前ある人からいただいた棗の木がさる冬に枯れてしまった。とても残念と思っていたが最近芽が出ているのを見付けた。古木に花が咲くという、木が復活したようで嬉しい。私のホームページが消えたのを数日前気が付いた。多くの資料や情報を公開しているので失望した。復元作業もなかなか難しい。
福岡県人権研究所が発刊する機関誌『リベラシオン』162号に寄稿したものが届いた。ホームページには「部落史に関わる史実の発掘及び人権に関わる調査・研究、ならびに教育・啓発、出版活動を行い、その成果をもとに人権文化の創造を目指す」という。拙稿は永井彰子著の盲人に関する本の「図書紹介」である。面白く読み、読みやすく書いた。特に盲人をめぐるさまざまな問題性を提起しているこの著書をどうすれば読みやすく紹介できる、その文章に気を使った。

熱血説教

2016年06月13日 05時33分33秒 | 旅行
毎週教会の週報の表紙に名前が載っていた名誉長老が先月亡くなられたことが分かった。私は下関に来てから知った人であるが、彼は私に説教を頼んで日程や聖句なども決めて準備をしたが突然中止といわれた。それは牧師の反対によるとのことであった。彼は長老として信頼性を失ないたくないので強く牧師に主張し不和となり教会を離れて行った。もちろんそれだけではない。牧師が全財産を教会へ献金するようにという説教を数回して、これも問題になり、かなりもめた。それは私も憶えている。つまり12年間、牧師と信者の葛藤が続いてきたのである。この教会は牧師、長老以外の人は壇上に上がれないという鉄則ができたようであり、女性は司会することもできないという。女性が壇に上がれないという男尊女卑の伝統の教会である。この記事を読んだアメリカのある牧師は改革しなければならないという。結局高齢者小人数の信者だけ残る教会となり経済的に立ちいかなくなり牧師も去ることになったのである。
 昨日ある在日名誉牧師が長生きの祝福をもって熱血説教をした。前牧師の2倍長く大きい声で高圧的であって私は久しぶりに韓国教会にいるような感じであった。老人に希望を与えるメッセージはよかったが、高齢者たちに韓国式の説教は受け入れがたい。教育の現場の授業方法は改革を繰り返し討論式、談話式などいろいろ工夫されているが、教会は閉鎖的な空間、特に神様を頼りに発展開発していないことが原因である。無牧の教会にとって信者自ら祈りあい、共に心を合わせて決心をし、建て直しと改革を成し遂げることが重要であろう。*写真は野生のツル

「オバマ大統領の広島訪問」(東洋経済日報2016.6.10)

2016年06月12日 05時17分55秒 | 旅行
アメリカが広島に原子爆弾を投下して以来の出来事。行くだけでも辛いのに「謝罪せよ」という人もいる。二重に辛いことである。アメリカのオバマ大統領が広島の平和公園を訪れ、献花し、クリスチャン式の祈りを捧げ、スピーチ、「閃光(せんこう)と炎の壁によって、町が破壊されました」「私たちは戦争自体に対する考え方を変えなければいけません」と述べた。戦争への反省も含めて演説を聞くべきである。韓国ではオバマ大統領が原爆で「数多くの韓国人」の犠牲者を追悼したが、平和公園内の韓国人犠牲者慰霊碑には足を運ばなかったと報じられた。
厳しい警護の行列の見世物、歓迎ムードが溢れていた。その一連の行事にはさまざまな思いや感想がある。世界的に報じられても日本版ナショナリズムとも感じられる。原爆投下については戦争終結論的なアメリカ。被爆国としての日本との対立的な立場がある。日本は無辜な市民が核によって殺されたことをもって人類問題、戦争を超えた平和主義として訴えている。
一方韓国や中国は冷淡で原爆を落としたアメリカは謝罪と賠償をせよとの声があった。日韓の温度差や見方の差がある。在日被爆者たちは日韓の挟間で戸惑ったのではないだろうか。彼らは日本の戦争による被害、アメリカの原爆による被爆という二重的な被害を受けたといえる。二重苦の「原爆被害者」を声高に唱えたくなるかもしれない。
日本は原爆による被害国を強調している。日本が被爆国であることは間違いない。しかし日本は被爆をもって大東亜戦争の責任を飛ばせてはいけない。「被害国」として強調し、イメージアップしていていることに私はやや抵抗を感じている。韓国などの被害国意識を先取りするかのようにさえも感ずる。日本は戦争を起こした加害国であることを払拭してはいけない。被爆で責任を埋没させてはいけない。原爆投下は「戦争中」に起きたことである。日本は加害国でありながら被害国であることを痛感すべきであろう。韓国・朝鮮人は二重苦の「原爆被害者」である。
墓や葬式の観光、戦争地、虐殺記念館など悲惨な遺跡を扱っているようなダークツーリズムは世界的に多く盛んに行っている。私は南京虐殺記念館など数多く戦争記念館を観覧した。ミュンヘンのナチスのダッハウ収容所跡地の記念館はその一つである。2005年末の午後閉門時間前に入館した。元々ナチ党が1933年ユダヤ人ダッハウ強制収容所として設置した施設である。観覧者も少なく、骸骨や刑具などを見るのも怖く辛い時であったことを思い出す。広島は被爆をもって観光化などを図っているが、ある観光業者は原爆地として巡礼、苦行、見学、学習の場であり、強調すればするほど修学旅行以外の楽しむ観光客の誘致は難しいという。
日本は戦争責任から逃れることができない、加害国であり原爆の被爆国であることを忘れてはいけない。同時に勝戦、敗戦とも被害者であることを悟るべきであろう。


有限は残酷

2016年06月11日 05時57分29秒 | 旅行
 最近自分で話すことは多く人の話を聞くのは教会以外には少ない。昨日は92歳の古川薫氏の講演を取材の気持ちでメモをしながら傾聴した。彼は新聞記者出身の直木賞作家として全国的に知名度が高い。私は数回対談、講師としてお迎えし講演会を行ったことがある。先生は下関を小説の背景舞台として作家活動を続けている。市民に象徴的な人物として愛されている。
 彼は新聞記者時代を振り返って語った。活字時代、タイプライター時代、ワードプロセッサー時代、白黒時代、カーラ時代の印刷の発展とともに時代の変化、「見えない時間」について「人生に時間を定め有限は残酷」であると語った。私は彼が作家として時間をどのように掘り下げて考えるかに関心をもった。最近3時間の麻酔手術体験から浦島時間体験したといった。私は考える。麻酔、死によって時間は止まるということ、死点が永遠の時点か、復活か、永遠に生きる、再生など考える時間であった。
 

貧困倫理対富者不倫

2016年06月10日 05時43分25秒 | 旅行
 昨日の読書会で中国の「高考(国家試験)」が話題になった。教育とは学校教育、高校生が大学入試を終えて教科書をさいて飛ばす映像を思い出した。以前韓国では学生帽を破ることがあったが今はどうであろう。中国や韓国の試験地獄(?)から逃げて海外への留学生が多く出る。留学生たちは私の話に救われたような表情をした。教育は幼児にゴミをゴミ箱に入れるように教えるのも教育であることを知らないことが問題であると言った時、ある中国の留学生が中国人のマナーの悪さをいった。その時日本人から「日本の母親たちの躾はゼロである」と失望の意見が出た。
 日本の躾や教育に赤信号が出ている。私には大きい疑問がある。経済発展するためには質素、倫理、マナーなどが必要であったが、先進国となった日本にとって放任、快楽、倫理の束縛から解放されることなのか。舛添氏にとって出世のための倫理道徳であり、成功した後は使い放題、人生を楽しむのが悪くないと思っていたようである。彼に限ることではない。富を積んで食べ放題、飲み放題、快楽放題を理想としている人も多いのではないか。古典で読む限り清廉な人とは富や権力を手にしても質素であったことは如何に素晴らしいことだろうか。今日本の貧困倫理対富者不倫は問題である。

悲喜の御通知

2016年06月09日 04時19分22秒 | 旅行

昨日は悲喜の知らせが入った。嬉しいことは大連からの留学生の林楽青氏に2016年度研究助成採用通知であった。

当基金のプログラム「在日外国人留学生研究助成」の応募に際して リンラクセイ氏のご推薦を賜り誠にありがとうございました。厳正なる選考の結果、採用させていただくことを決定いたしましたので、ここにご通知申し上げます。

この嬉しい通知をもって本人と通話した。彼はハルビン、長春などで満洲映画に関して現地調査中であり、嬉び感謝の言葉があった。

 もう一つの通知は韓国の民俗学者張籌根先生の別世である。先生は私の大学時代の恩師の一人であり、大学の先輩、同僚であった太い縁のある方である。私は一緒に共同調査し、『京畿道巫俗趙英子』を共著し、また全国民俗総合調査などの中心人物として一緒に調査研究をしたことを思い出す。私の最後の恩師級の先輩であり、先生の死去により私の上の世代の人はいなくなってしまった。寂しくなったその分、私がより高齢者になった気分を味わっている。心よりご冥福をお祈りします。


 

分自身に対する心

2016年06月08日 05時17分05秒 | 日記
舛添都知事の話題は本欄で繰り返すほどとは思わなかったが政治家の政治的なことではなく、人生論的に触れたくなった。彼はこの日本社会の法律や制度の正道に乗って優等生として知事になった人である。努力、受験勉強、東大、法学、教授、政治家などへのプロセスを通してトップに上がった人、いわば出世した人である。今彼の出世物語りがダウンしている。弁護士の調査で「不適切」なことはあっても「違法ではない」という。何度も「反省」と繰り返し「粉骨砕身」し続投姿勢を強調しているが世論不評はとどまらない。社会的出世ルート、主な法理だけでは彼は自己防衛ができない。折角努力して手に入れたものを手放すようになっている。富を蓄積した人も一気に失うことも多い。今度の舛添氏のことは彼だけではなく、多くの政治家に大きい教訓がある。
 弁護士は不適切の基準は常識であると言った。法は常識、慣習、民俗などから作られたものである。この世には「法がなくとも生きる」善良なる人間だけではないのでタブー(taboo)がありそれを犯すと祟るのである。さらに法律が必要とされ、禁する(prohibit)のであり違法になると罰される。「法律を知らなくても自分自身に対する心が良心(良い心)」(新約聖書ローマ2:14-15)が律法の根源であろう。法律は人類の普遍的なものではなく永遠なものでもない。無法状況は時々起こりうる。日韓にだけでも法律が大きく異なっている。法律は真理ではない。それを金科玉条と信じている律法主義は危険である。日本は規制をよく作り、緩和する。人生を法律によって設計することは無謀、危険である。 

顕忠日

2016年06月07日 06時30分51秒 | 旅行
昨日6月6日は韓国の顕忠日の公休日で連休であった。国家のために命を捧げられた殉国烈士と戦没将兵を追慕するために指定された日である。午前10時に全国的に1分間サイレンが鳴ると黙祷する。朝鮮戦争を始め、契丹の侵略、豊臣秀吉乱、独立運動の犠牲者などを奉る。死者儀礼は国によって異なる。
 日本の8月に似て対照的である6月である。朝鮮戦争記念日も6月25日である。東洋経済日報の連載原稿依頼がきている。先日オバマ大統領の広島訪問を想起した。この日と日本の原爆記念日のことを書いている。日本は戦争を起こした国、その戦争中の被爆、加害者=被害者である。戦争は、特にこれからの戦争は勝者も被害者であることというメッセージである。

無牧の教会

2016年06月06日 05時10分34秒 | 旅行
 昨日は朝人を迎えに港へ、午後はコーヒーショップへ、夜は晩さん会など交際の一日であった。教会の礼拝にも出席した。前任の牧師の辞任送別礼拝の後最初の無牧時代の礼拝であった。それでも活気があり88年の歴史を持っている教会の強さと感じた。以前3年間韓国からの派遣教師であった呉信媛氏が3年ぶりに出席して独唱し(写真)、単発説教者として壇に立った崔正剛牧師は若い時のこの下関の教会は憧れの素晴らしい教会であったこと、牧師が辞任したことに残念さと牧師のない「無牧」の教会になったことを悲しく懐かしく語ってくれた。韓国語から日本語へ、韓国から日本への、そして在日へ、ここで育った在日の人々の安心感のようなものがあった。
 牧師のいない「無牧」の教会と心配することはさておき活気あるムードはなんだろう。独裁者からの解放、旧から新への期待感であろうか。人は服従と解放を繰りかえしながら生きる。民衆は君臨する人を立てて服従し、倒して解放される。日本では法律を作り、緩和が常に行われる。私は多くのことを考えた。礼拝後和気あいあいと挨拶と食事会が続いた。私は説教牧師へ感謝の言葉を述べながら無牧の教会とは日本の教会史において内村鑑三の無教会などにも触れ、珍しくないこと、開拓教会のように「信者が開拓の心をもって立ち直そう」と呼びかけた。石本弘之会長の主催呉氏歓迎晩さん会に参加、満腹し、公私の日韓親善を図った一日だった。
 
 

大和君(7)の行方不明

2016年06月05日 05時31分09秒 | 旅行
大和君(7)の行方不明が気になっていた。私は今の7歳の子供の賢さを信じ、隠れているのではないかと思っていた。6日ぶりに無事保護されたニュースは世界的に流れ、私も嬉しかった。父親が「しつけ」心で置き去りにしたことが大変なこととなった。行政動員や国民の心配など、彼の父親の行動に対して「虐待ではないか」の意見もある。メディアの評論家たちは法律や表面的な現象、噂話などをシャベリを続けていて、根本的な問題を探れない。今朝のモーニングプロでもおそらくいつものようなメンバーたちが「揃って口を揃えた」話になるだろう。
 私は父親を褒めるわけではないが、責めることもない。以前ある親が子供をベランダに追い出し罰したことが隣家の告発で虐待として大きく話題になったことを憶えている。すべての親に問われる問題であろう。そしてすべての親に聞きたい。「あなたは躾、家庭教育に自信があるのか」と。イスラエルのキブツ(Kibbutz)のように幼児を専門家によって育む制度、あるいはユダヤ人は幼児に割礼を行い、タルムード経典によって賢い家庭教育をしているというがそれが良いのか。韓国ではタルムード式家庭教育を真似する親も多い。小学生から軍国少年を作ったのは戦前の日本であり、今の北朝鮮である。
 

近江絹屋の質素

2016年06月04日 06時12分41秒 | 旅行
 私の講義は概論式のものではない。問題を提議して議論し、コメントを書かせ私の質問などによって行われている。したがって問題解決式で毎週の講義は問題と答えの続き、いわばプロジェクト型講義といえる。日本文化論の今のテーマは日本近代化に関するもの、マックスヴェーバーの倫理と経済(資本主義)を検証している。人の発展への動機、心、目標、金銭欲、倫理が経済発展にプラスになるという意見(白、柳、安、キム、ホン、柴田、ドー、バクドン)、冨自体は悪ではない(呉、王、スワン)という意見など、倫理が社会へ、そして経済(バクチュン)、それらに対して倫理と企業の関係は白黒で判断すべきではないグレー、難しい(金、金ハン)と折衷の意見、否、経済発展に倫理が機能しても発展を成し遂げたら倫理が弱化するのではないか()という意見を出した。倫理は経済活動に役に立たない(ビョン)、経済は経済のメカニズムによって発展するものではないかという。私は労働の質に注目し、政策特に経済政策の重要性を考えているが、話すことは控えた。それ以上は学生自ら考えるように残した。スマートフォンなどを検索しても勉強になっていくのではないか。
 マックスヴェーバーはインドや中国の近代化に否定的であったが、今そのような国々が経済的に急成長している。もし彼の説によって考えるとそれらの国が西洋や日本から資本主義精神や倫理などを導入しているからであろう。しかし中国人の金銭欲にはヴェーバーの言う禁欲が欠如しているのではないか。爆買い、食べ残しを贅沢、シャレと思うのではないか。京都の近江絹屋の質素な生活を子孫に言い残す家訓は禁欲思想であろう。今舛添氏の話題も禁欲の問題である。今まさに先進国での倫理が堕落しているのではないか。王朝の滅亡を性的紊乱、贅沢などで解釈した古説を想起する。

インタネット電話

2016年06月03日 05時08分18秒 | 旅行
昨日来たインタネット電話をとらなかった。アフリカ王女と名乗る女性から結婚を申し込まれるような迷惑電話だと思ったからである。大連理工大学の林さんからであることに気がついて掛け直して嬉しく通話できた。ネットから電話へ、そして出会ったひともいる。台湾人の瑞濱(ライズイビン1963生写真)氏は投稿した私の文と生け花を読み鑑賞して私のファンになった人である。まだ会っていない。彼は台中科技大学商業管理系卒業、兵隊を経て、日本語勉強するために、在日1年間、帰国して呉進福氏(86才)にカラオケで日本語の唄を歌いながら日本語を勉強するという。そして台中市の紀伊國屋書店で私の本を2冊ほど注文したという。
 昨日中国の留学生が私の論文を探しに来た。私を嫌っていると思っていた教員の勧めによると聞いて意外に思った。私自身は先日校正を終えた新著に私を嫌っていると思われる人の論文を引用した。昔韓国で大論争した人の論文も後に引用したが、彼は永遠に私のものを引用することはなかった。引用とはオリジナリティを認め合うことであり、近代科学の始まりである。しかし、引用文献が飾りになっているものも多い。
 
 

鳴き声

2016年06月02日 05時16分53秒 | 日記
 新緑の下を歩くと鳥の鳴き声がする。私は口笛で、真似をして返事をするのが常である。その鳥の声を真似する親子のプロがいたが、親の方が亡くなられた。都会に住んでいる人は鳥の鳴き声を聞くことはあまりないだろう。韓国人は鳥が「泣く울다」といい、人の哭き声が歌になると私は拙著『哭きの文化人類学』で書いたことがある。山田陽一氏訳のパプアニューギニアでは鳥の鳴き声から音楽が発生したという説も引用した。新緑や野生花の香りの中を歩きながら野イチゴを味わう散歩は健康のために走るジョーギングとは無縁である。私曰くカント散歩である。
 その散歩道では嫌なものもいる。草の葉を捲いて隠れている毛虫がいやである。子供の時は平気であったのに,自然の中と距離を持っているようになったからであろうと思う。私の話を聞いた中国からの留学生の宮さんが松毛虫の料理法を紹介してくれた。さっそくネット上調べると「焼きすぎるとうまくない。箸で押さえるとジュッジュッと汁がでる程度がよく、口に含むようにしながら噛むと青汁が出て、松くさいようななんともいえぬ香りがツンと鼻にぬけて、これに親しみだすとやめられない」と(歩く食通の会編(1971年):『全国珍味ゲテモノ案内』、双葉社、123〜124頁。)に載っている。鳥は虫を食べて美しい鳴き声をだす。毛虫を食べると鳴き声がよく真似できるかな。*写真はバードリサーチ図鑑から