崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

死生観

2016年06月28日 05時05分43秒 | 旅行
 80歳を迎える友人の誕生日祝賀会を準備するために話し合ったが、88歳の祝いを公に大きくすることとなった。後から本人が来られてその旨をいうとまだ8年も生きなきゃと失望とも希望ともとれる表情をした。なぜそんな曖昧な表情なのだろうか。後8年生きる自信がないのだろうか。生きるのが辛い表情にも感ずる。いやそれよりも8年先まで生きられる保障を得たようように思われたのではないかと思われる。私は以前古希記念会を行った時米寿の話があったことを思い出す。それを長生きへの祝辞として受け取って理解している。長寿の日本社会で多くある話である。
 平均寿命が発表されるとそれまで長生きへの希望があって良かったが、ドンドン近づくと死を常に感ずるようになる。それ以上になるといつ死ぬか不安になるのではないだろうか。仏教では長寿は人生の苦海が長く、死んで解脱し極楽へと信ずる。キリスト教では永生、復活すると信ずる。シャーマニズムではあの世に行く。信仰によって、個人思想によって異なる。死生観をめぐる談話会を準備中である。*私が教会の大木の下に根分けして植えたのが大きくなったソテツ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿