崔吉城との対話

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「オバマ大統領の広島訪問」(東洋経済日報2016.6.10)

2016年06月12日 05時17分55秒 | 旅行
アメリカが広島に原子爆弾を投下して以来の出来事。行くだけでも辛いのに「謝罪せよ」という人もいる。二重に辛いことである。アメリカのオバマ大統領が広島の平和公園を訪れ、献花し、クリスチャン式の祈りを捧げ、スピーチ、「閃光(せんこう)と炎の壁によって、町が破壊されました」「私たちは戦争自体に対する考え方を変えなければいけません」と述べた。戦争への反省も含めて演説を聞くべきである。韓国ではオバマ大統領が原爆で「数多くの韓国人」の犠牲者を追悼したが、平和公園内の韓国人犠牲者慰霊碑には足を運ばなかったと報じられた。
厳しい警護の行列の見世物、歓迎ムードが溢れていた。その一連の行事にはさまざまな思いや感想がある。世界的に報じられても日本版ナショナリズムとも感じられる。原爆投下については戦争終結論的なアメリカ。被爆国としての日本との対立的な立場がある。日本は無辜な市民が核によって殺されたことをもって人類問題、戦争を超えた平和主義として訴えている。
一方韓国や中国は冷淡で原爆を落としたアメリカは謝罪と賠償をせよとの声があった。日韓の温度差や見方の差がある。在日被爆者たちは日韓の挟間で戸惑ったのではないだろうか。彼らは日本の戦争による被害、アメリカの原爆による被爆という二重的な被害を受けたといえる。二重苦の「原爆被害者」を声高に唱えたくなるかもしれない。
日本は原爆による被害国を強調している。日本が被爆国であることは間違いない。しかし日本は被爆をもって大東亜戦争の責任を飛ばせてはいけない。「被害国」として強調し、イメージアップしていていることに私はやや抵抗を感じている。韓国などの被害国意識を先取りするかのようにさえも感ずる。日本は戦争を起こした加害国であることを払拭してはいけない。被爆で責任を埋没させてはいけない。原爆投下は「戦争中」に起きたことである。日本は加害国でありながら被害国であることを痛感すべきであろう。韓国・朝鮮人は二重苦の「原爆被害者」である。
墓や葬式の観光、戦争地、虐殺記念館など悲惨な遺跡を扱っているようなダークツーリズムは世界的に多く盛んに行っている。私は南京虐殺記念館など数多く戦争記念館を観覧した。ミュンヘンのナチスのダッハウ収容所跡地の記念館はその一つである。2005年末の午後閉門時間前に入館した。元々ナチ党が1933年ユダヤ人ダッハウ強制収容所として設置した施設である。観覧者も少なく、骸骨や刑具などを見るのも怖く辛い時であったことを思い出す。広島は被爆をもって観光化などを図っているが、ある観光業者は原爆地として巡礼、苦行、見学、学習の場であり、強調すればするほど修学旅行以外の楽しむ観光客の誘致は難しいという。
日本は戦争責任から逃れることができない、加害国であり原爆の被爆国であることを忘れてはいけない。同時に勝戦、敗戦とも被害者であることを悟るべきであろう。