崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

貧困倫理対富者不倫

2016年06月10日 05時43分25秒 | 旅行
 昨日の読書会で中国の「高考(国家試験)」が話題になった。教育とは学校教育、高校生が大学入試を終えて教科書をさいて飛ばす映像を思い出した。以前韓国では学生帽を破ることがあったが今はどうであろう。中国や韓国の試験地獄(?)から逃げて海外への留学生が多く出る。留学生たちは私の話に救われたような表情をした。教育は幼児にゴミをゴミ箱に入れるように教えるのも教育であることを知らないことが問題であると言った時、ある中国の留学生が中国人のマナーの悪さをいった。その時日本人から「日本の母親たちの躾はゼロである」と失望の意見が出た。
 日本の躾や教育に赤信号が出ている。私には大きい疑問がある。経済発展するためには質素、倫理、マナーなどが必要であったが、先進国となった日本にとって放任、快楽、倫理の束縛から解放されることなのか。舛添氏にとって出世のための倫理道徳であり、成功した後は使い放題、人生を楽しむのが悪くないと思っていたようである。彼に限ることではない。富を積んで食べ放題、飲み放題、快楽放題を理想としている人も多いのではないか。古典で読む限り清廉な人とは富や権力を手にしても質素であったことは如何に素晴らしいことだろうか。今日本の貧困倫理対富者不倫は問題である。