崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

近江絹屋の質素

2016年06月04日 06時12分41秒 | 旅行
 私の講義は概論式のものではない。問題を提議して議論し、コメントを書かせ私の質問などによって行われている。したがって問題解決式で毎週の講義は問題と答えの続き、いわばプロジェクト型講義といえる。日本文化論の今のテーマは日本近代化に関するもの、マックスヴェーバーの倫理と経済(資本主義)を検証している。人の発展への動機、心、目標、金銭欲、倫理が経済発展にプラスになるという意見(白、柳、安、キム、ホン、柴田、ドー、バクドン)、冨自体は悪ではない(呉、王、スワン)という意見など、倫理が社会へ、そして経済(バクチュン)、それらに対して倫理と企業の関係は白黒で判断すべきではないグレー、難しい(金、金ハン)と折衷の意見、否、経済発展に倫理が機能しても発展を成し遂げたら倫理が弱化するのではないか()という意見を出した。倫理は経済活動に役に立たない(ビョン)、経済は経済のメカニズムによって発展するものではないかという。私は労働の質に注目し、政策特に経済政策の重要性を考えているが、話すことは控えた。それ以上は学生自ら考えるように残した。スマートフォンなどを検索しても勉強になっていくのではないか。
 マックスヴェーバーはインドや中国の近代化に否定的であったが、今そのような国々が経済的に急成長している。もし彼の説によって考えるとそれらの国が西洋や日本から資本主義精神や倫理などを導入しているからであろう。しかし中国人の金銭欲にはヴェーバーの言う禁欲が欠如しているのではないか。爆買い、食べ残しを贅沢、シャレと思うのではないか。京都の近江絹屋の質素な生活を子孫に言い残す家訓は禁欲思想であろう。今舛添氏の話題も禁欲の問題である。今まさに先進国での倫理が堕落しているのではないか。王朝の滅亡を性的紊乱、贅沢などで解釈した古説を想起する。