崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

無牧の教会

2016年06月06日 05時10分34秒 | 旅行
 昨日は朝人を迎えに港へ、午後はコーヒーショップへ、夜は晩さん会など交際の一日であった。教会の礼拝にも出席した。前任の牧師の辞任送別礼拝の後最初の無牧時代の礼拝であった。それでも活気があり88年の歴史を持っている教会の強さと感じた。以前3年間韓国からの派遣教師であった呉信媛氏が3年ぶりに出席して独唱し(写真)、単発説教者として壇に立った崔正剛牧師は若い時のこの下関の教会は憧れの素晴らしい教会であったこと、牧師が辞任したことに残念さと牧師のない「無牧」の教会になったことを悲しく懐かしく語ってくれた。韓国語から日本語へ、韓国から日本への、そして在日へ、ここで育った在日の人々の安心感のようなものがあった。
 牧師のいない「無牧」の教会と心配することはさておき活気あるムードはなんだろう。独裁者からの解放、旧から新への期待感であろうか。人は服従と解放を繰りかえしながら生きる。民衆は君臨する人を立てて服従し、倒して解放される。日本では法律を作り、緩和が常に行われる。私は多くのことを考えた。礼拝後和気あいあいと挨拶と食事会が続いた。私は説教牧師へ感謝の言葉を述べながら無牧の教会とは日本の教会史において内村鑑三の無教会などにも触れ、珍しくないこと、開拓教会のように「信者が開拓の心をもって立ち直そう」と呼びかけた。石本弘之会長の主催呉氏歓迎晩さん会に参加、満腹し、公私の日韓親善を図った一日だった。