崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

政治と金

2010年02月26日 05時37分42秒 | エッセイ
 せっかく政権交代ができた途段、与党が政治と金の問題で困惑している。先日テレビアンカーマンの鳥越俊太郎氏が「毎日新聞」に寄稿したことに同感している。彼によると検察が法律を権力行使として使ったことを経験的に知っているところから検察を不信するという要旨である。私は韓国の大邱で家内の財政身元保証の件で入国管理局にクレームを言ったことがあった。その直後家内が主婦たちに日本語を教えたことが出入国管理局法違反だということで1980年代初めころ300万ウォンの罰金になったことを覚えている。当時家内と同じように日本語や英語を教えていた人がかなりいたが罰金を支払ったのは家内だけであった。
 その話を聞いたある人が言った。彼は警察に睨まれて自転車で配達するプロパンガス容器のサイズが数センチ大き過ぎたことで違反になったという。信号違反や道路線などを1センチも違反したことがない人はないだろう。睨まれたら捕まろうという社会は律法主義、原理主義、権威主義、独裁主義の悪い社会であろう。
 検察や警察の行為自体が法律に反することではなくともその動機が不純なのは悪い。不正を正すのは社会正義であるが、法律をどこに適応するかは彼らの本当の人間性、モラル、社会正義による判断であろう。法律を専門とする人に本当の人間教育が必要である。韓国の民主化と戦った弁護士たちに感謝するのはなぜであろうか。聖書には「罪のない人はこの姦婦に石を投げなさい」という。