崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

昨日は旧正月

2010年02月15日 05時35分17秒 | エッセイ
 昨日は旧正月、広大時代の弟子たち、韓国から中村八重氏、名古屋から上田崇仁氏、広島から上水流久彦氏が下関まで来てくれた。私は旧正月とは意識していていなかったのに韓国語でセヘボクマニバダセヨ(새해 복 많이 받으세요)との新年挨拶は嬉しかった。この日がただの偶然と思ったが新年祝いの意味も兼ねていたのが分かった。
 彼らは私の古希記念論文集の編集委員でもあり、今年6月19日下関で献上式を行う予定で会場など、下調べのためにきた。我が夫婦も付いて歩いた。ある場所では下関の料理人たちから歓迎された。その中の一人が昨日運転中下手くそな日本語で語る私の生放送を聞いたという。朝鮮戦争で苦労したという「苦労した」が「殺した」と聞こえて驚いたという。初めて日本に来たのが40年前、住んで20年歴でまだ日本語が下手と言われたので言葉の才能がないとも思った。しかし焼き肉店のヤスモリの店長自身は在日でありながら韓国語が下手、全く日本語が母語になっていて私の下手な日本語が良かったとの寸評であった。日本語をマスターする前に言葉自体が乱れる年ころになっている。帰宅して家内に弟子たちが来てくれるなど「私は幸せな人でしょう」と自己自賛を誘う言葉に家内は大げさ反応する。それにも感謝する。
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5 コメント

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言葉のうまい、下手について (朴正人)
2010-02-15 14:39:16
>朝鮮戦争で苦労したという「苦労した」が
>「殺した」と聞こえて驚いたという。初めて日本に来たのが40年前、住んで20年歴でまだ日本語が下手と言われたので言葉の才能がないとも思った。

言葉のうまい、下手について、、、
ようするに聞く、書く、読む、ではなくしゃべることについてなのですが、留学経験者で、韓国語学習歴20年、韓国能力試験最上級の6級まで持っている私の場合でも、いまだに、しゃべることの流暢性に関しては、韓国語初心者
よりも下手ですねといわれるのです。初心者でも単語や文法は知らなくても、流暢性だけはある人はいくらでもいるのです。これはもう語学のセンスの問題になってしまうのかな、、
私の場合は語学のセンスがないとあきらめています。いまだに私は、自分の名前と出身大学の発音を正しく言えません。普段、韓国語をテレビで聞くことはあってもしゃべることがないのでそのせいもありますが、もともと日本語でも
どもったり、あせってしゃべる癖があるのです。どうして、ゆっくりと落ち着いてしゃべれないのか?悩む時もあります。不思議なのは
韓国語を全くわからなかった初期の若いころは
下手でも積極的に喋ろうという気持ちがあったのですが、逆に年をとり、韓国語を知ってしまうと下手だと思われたくないなという潜在意識が生じ、妙に委縮し、喋ることに対して消極的になってしまうのです。40代になってから無口になったというのもありますが、20代のころの積極性はもうでません。読み、聞く、書くことはある程度できても、外国語をしゃべるってことはやはり限界がありますね。

韓国語学習歴20年 (崔吉城)
2010-02-16 08:08:18
 在日からニューカマーに「日本語も下手な癖に」という悪口を聞いたことがあります。
 韓国能力試験最上級の6級の方からもそうであろうかと、謙遜の言葉であっても慰められます。
 母語であれば20年で自然であろうが、実は言葉はそうでもないかもしれません。上手、下手を超えてパーソナリティにした方が良いのではないでしょうか。
追記 (朴正人)
2010-02-16 14:59:30
>韓国能力試験最上級の6級の方からもそうであろうかと、謙遜の言葉であっても慰められます。

韓国語能力試験の最上級の6級にしてもそんな
にたいした資格ではなく、日本人でも在日でも
持っている人はたくさんいるし、能力試験6
級だからといって必ずしも流暢だということではありません。韓国の大学に進学するのに
有利だということぐらいしか長所がありません。6級受かって初めて基礎ができたなという
感じ、、
それよりもハングル検定の1級、準1級は
完璧に日本語でも韓国語でも訳せるように
しなくてはいけないので、通訳向きであり、
韓国人でも受かるかどうかわからないほど
難しいですよ。
Unknown (無し)
2010-02-17 04:16:51
国際化するなら、と年号を使う事に違和感を感じられるのに、お弟子さんが旧正月を祝う事には違和感を感じられないのですね。
Unknown (崔吉城)
2010-02-18 06:19:57
 私は韓国にいた時旧正や小正月へいわば韓国固有(?)民俗へ復帰することへ学会が声明書を送ることに反対をしたことがあります。しかし社会は理論的に、あるいは社会正義によって動くものでもないでしょう。ただ小さい希望でももって生きるのです。

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