崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

遺稿

2010年02月11日 06時02分04秒 | エッセイ
 恩師の原稿を預かって出版を準備している時先生から催促の電話が来て「遺稿にするつもりか」といわれて急いで進行させたことがある。博物館などにはペンや鉛筆などで書かれた遺稿が展示されている。しかしこれからはどうなるだろうか。コンピュターに保存された原稿は遺稿になっても肉筆のような味がない。プリントされたものは印刷されたもののようであるからである。
 しかしコンピュターを残すのは肉筆の遺稿より多くの情報を残すことになるかもしれない。メールとブログのやり取りや検索歴など、高等な捜査によっては多くの資料を残すことになる。私は多くの写真資料や録音テープを韓国国楽院に寄贈して、いま自分で撮った映像資料を編集している。以前東京のビジュアルフォークロアの北村氏、KRYの権藤氏につづいて前田君が手伝ってくれる。
 出版の可能性の可否にかかわらず遺稿、遺書を書く気持ちで書いている。それは死後を考える私の死生観かもしれない。
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