崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

嫁いだ娘のような弟子に会い

2009年01月05日 05時51分58秒 | エッセイ
 20キロ離れた所に昔の弟子が牧師夫人をしいている在日韓国教会の新年礼拝に出席するために充分時間的に余裕をもって家内の運転で家を出発した。地図を見ながら以外に早く近くまで着いた。近くまで来ても、以前の記憶では探せない。電話をかけて聞いたが、それでもわからず、かなり迷った揚句、結局タクシーの運転手に聞いて着いた時は礼拝がかなり進行していた。8百坪の森の中にガラス張りの教会、温室のような講壇などには花が多く、教会の周りも季節の花が植えられており、楽園のような教会である。在日の教会では敷地が一番広いと言う。それより綺麗である。彼女の夫である牧師が説教中立っている背景には森が広がっており調和している。彼は説教の中で迷った私たちに電話で道を教えることの難しさを、牧師としての信仰を導くことの難しさに比喩して語った。夫人である弟子に会ったが、嫁いだ娘に会う気分であった。私は山茶花の花を切って上着のポケットにさして彼女と写真を撮った。彼女は私と腕を組んでいて、家内がシャッターを押した。車が見えなくなるまで彼女は手を振っていた。娘を嫁ぎ先に置いていく父親の心を想像した。 

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