崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

鶴いこい村の八代

2009年03月21日 04時56分41秒 | エッセイ
 「鶴憩いの村」として有名な周南の八代を訪ねた。一行は家内と同僚であり理事長である櫛田先生の二人の小学生の子供など5人であった。櫛田先生が運転して村に着いて、5羽の鶴がいることを肉眼と望遠鏡で鑑賞した。濃い灰色の胴体に真っ白の長い首が印象的である。社内では「鶴でも雀でも構わない」と言ったが関心深く観察していた。鶴ワッチングとともにもう一つの目的は長い間、鶴鑑賞員である弘中数実氏(90歳)に会うことである。前回は連絡なしでおたずねして、留守だったので今度は電話で約束をしたが留守である。隣家にノックしても反応がない。畑仕事をしている人を探して歩く。立ち話を楽しんだ。弘中氏宅の玄関に置いてある封筒に家内が気がついた。貸して下さるというという暗黙の発信のものであると思い、隣家の人たちが見守ってくださる中、開いてみた。シベリア流刑8年間の肉筆記録の4冊のノートである。御家族の中に弘中氏以外にも入院している方がおられ、出かける時に貸してくださるという伝言をきいた方がおられ、確認できた。隣家の畑から取ってくれた、たかなと花ブロッコリーなどをいただき、出発しようとしたが畑の広がる小高い村を眺めているのは小学校一年生の櫛田先生の息子。声をかけても動かない姿がまるで「孤独な哲学者」そのもの。尋ねると景色を鑑賞するという。さすが東京芸大出身の櫛田先生の息子だなと、皆が感動した。良いピクニックのような現地調査であった。