崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

家内の登壇

2009年03月16日 05時38分40秒 | エッセイ
 家内が教会の司会をはじめて担当した。教会でも初登壇が斬新であった。家内は大学で教鞭も取ったし、社会活動をしているので心配することはなく、完璧であった。嬉しい反面私は家内に逆転された感がないわけでもない。今まで数多く私の講演や司会を家内から見られてコメントを聞いてきたのにそれが逆転されたのである。実は逆転はこれだけではない。収入の面でもそうであろう。
 「逆転感」には男性、夫、戸主などへの挑戦という感情も含まれているのではないだろうか。男女平等を心底から考えてきているし、男尊女卑的なことには非難していたのにその私が逆転感を持つのはなぜであろうか。私だけではない。多くの人が後輩に、弟子など様々なところで逆転される。それは競争感とは異なる交代と譲り合うことでもあり、社会変化の根本であると認識しなければならない。高齢化現象も普遍的であり、これを乗り越えていくのも成熟の段階であろう。