崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

留守と愛犬ミミ

2009年03月05日 05時35分11秒 | エッセイ
 今日我が夫婦は二泊の予定でソウルへ向う。2人の教友の村岡、野口の両氏と同行、家内の姉夫婦は東京から出発し、ホテルで会うことになっている。仁川空港には出版社の社長や弟子などが迎えにくる。拙著出版祝賀晩餐会に参加するためのソウル行きである。愛犬ミミちゃんが留守をするようになるが、それが問題である。毎晩一緒に散歩をする隣家の友人の園田氏と教会の犬好きさんの堀氏からミミの面倒を見てもらうことにした。犬の食べ物、散歩の時はどうするか、昼と夜はどうするか昨夜遅くまでその打ち合わせが行われた。今月いっぱいで愛犬保険が切れると電話があった。ミミちゃんに関することがこんなに多く複雑であると気がついた。
 犬は好きでも旅行の時犬の留守が大変とか犬が死ぬ時を考えると犬を飼うのができないという人は多い。その話を聞く度に「だから飼うべきだ」と言葉を返す。愛するということは複合的である。愛は若い時とか健康な時とか、美しい一面だけではない。愛には悲しみや病弱、悩みと恥、闇の生活も含まれている。それが愛する者と生を共にする運命ともいえる。しかし愛の行動は圧倒的に幸せが多いであろう。