崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

定年した人の話

2009年03月07日 05時54分36秒 | エッセイ
 ホテルで久しぶりに友人や知人に会うために4組の客を迎えて談話を交わした。定年して悠々と生活をしている人はより若帰り、元気な生活の話が多かった。他の人には話せないといいながらいろいろな人の話が続いた。昔同僚であった郭氏の話である。彼は人生観を変えたという。昔良い弟子と思った人から何の音信もないことに背信感を感じていると言う。私の恩師は「木も古木になると普段はよく飛んできた鳥も来なくなる」という民謡のエッセイを書いたことを思わせる話が多かった。それを返すように私の広島大学の女弟子で韓国の大学で日本語の教師をしている中村八重氏が遠くから来て、夕食を共にして夜遅く夜間高速バスで帰った。また遠くから夜遅く出発して今朝の食事をどもにする予定の弟子も来る。私は幸せな者と思う。
 郭氏は山登りから感じた話を登る時は腰を曲げながら歩くことの意味を解釈した。謙遜な人が頂上まで登れることも今になって悟ったと言う。私はその「謙遜」ということを自問してみる。単に出世の計略として謙遜ぶる人は神様から罰されるのではないだろうか。一行の一人の村岡氏が八〇歳の誕生日を向かえ、祝ってあげた。彼女は純粋な心から祝されたことに感動して祈った。先の背信感の話とは対照的な時間であった。