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芭蕉の俳諧:猿蓑(18)

■旧暦7月5日、月曜日、、栄西忌

(写真)百日紅

『芭蕉と生きる十二の章』(大野順一著 論創社 2009年)読了。この本は、芭蕉の思想を俳論や書簡、俳諧から浮き彫りにしている。ぼくにとって、新鮮だったのは、中世、愚、造化に関する論考だった。芭蕉の精神の源泉が、近世という同時代ではなく、中世にあった、ということがこの本の一つのポイントになっている。ここが、蕪村とは異なる点だろう。上田秋成は、芭蕉の漂泊の人生を批判するが、その批判の社会的基盤は、社会が安定し、定住が普通になり、富が蓄積されてきた近世社会にあると著者は述べる。芭蕉の造化に関する論考も、物と自我が分裂して物が対象になったままの近代的な疎外意識を良しとせず、物と自我の合一をめざしたものだった、という理解は、ストンと腑に落ちるものがあった。愚に関する論考も、興味深く、良寛や漱石と比較しながら、賢愚二元論を越えた地点で芭蕉の愚をとらえようとする。愚の思想は、禅に由来し笑いとも関連してくるが、自己充足だけで終わる危険性がある。ある面から見れば、これは、アナーキーな社会批判でもあるわけだが、それは社会構造の深部まで届かない。言いかえれば、なんらかの社会変革プログラムとの媒介が欠如している。この媒介の努力を放棄しない愚があってもいいように思う。

『無用の達人 山崎方代』(田澤拓也著 角川ソフィア文庫 2009年)読了。面白かった。これだけ厚かましく、大ウソつきで、名利に異常に執着する人が、人に嫌われなかったのは、根が純心だからだろう。

しののめの下界に降りて来たる時石の笑を耳にはさみぬ  方代




無き人の小袖も今や土用干
   芭蕉

じだらくにねれば涼しき夕べかな
   宗次

■芭蕉の句、いい追悼句だと思う。宗次の句、共感。



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

scowling
at the sickle moon...
a dragonfly

mikazuki wo nirame tsumetaru tombo kana

三ケ月をにらめつめたるとんぼ哉

by Issa, 1820

There seems to be a typo for the ending of this haiku in Issa zenshu^ 1.542. In volume 4 the ending word is kana (Nagano: Shinano Mainichi Shimbunsha, 1976-79) 4.132. In two other versions of this haiku, Issa has a frog and a cicada husk as the scowlers. The moon is a "three-day moon"...just a sliver.



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