goo

芭蕉の俳諧:猿蓑(11)

■旧暦6月19日、日曜日、、長崎忌

(写真)花の窟(いわや)神社(熊野)大きな岩があるだけである。日本最古の神社という。祈りの対象の原型という意味で、非常に興味深い。

病人が二人出たが、どうにか、峠は越えた。しかし、どうにも元気が出ない。一方は、24時間の医療体制を組み、もう一方は、主要なストレス要因を排除した。バッハとベートーヴェンを聴きながら仕事。 



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

lining up
with newcomers' faces...
swallows

ima kita to kao wo naraberu tsubame kana

今来たと顔を並べる乙鳥哉

by Issa, 1812

■「今来たと」という措辞の臨場感が出ていないと思う。




いね〱と人にいはれつ年の暮
   路通

■猿蓑巻之一冬の最後に近い句。笑いの入り混じったペーソスを感じた。pathosはパトスでもある。現代で、こういう句を作る人はまずいないだろう。あっち行け行けと人に言われるような嫌われ者が俳句をやることはないだろうから。これは、裏を返せば、俳句はアウトサイダーの手からエスタブリッシュメントの手に渡ってしまった、ということかもしれない。このことの意味は、よく考えてみる必要があるのではなかろうか。芸術の原点は、社会的には、この句の作者のようなところにあったということを忘れないためにも。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )