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芭蕉の俳諧:猿蓑(13)

■旧暦6月22日、水曜日、、阿波踊り

(写真)本宮神社石段(熊野)

元気出ず。午前中、10年前の日記を読み返す。ますます、元気出ず。午後、サイバー6章の校正終了。コールサックのSさんより電話。次号の原稿のことを心配していただく。心の状態が悪く、ドイツ語を読んだり、詩を書いたりする気になれない。それでも、二度も電話いただいたので、夕方、買い物がてら、喫茶店で、Celanの詩を検討してみる。不思議なことに、Celanを読むと、心が少し持ち直してきた。そのあまりにも悲惨な体験が、微妙な詩的言語を通じて、確かに、伝わってきて、なんらかの化学反応が起きたものらしい。今日は、一次稿を一気に作成する。



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

deep inside
a cricket is singing...
oven

ko^rogi no uketomete naku kamado kana

こおろぎのうけ泊て鳴竈かな

by Issa, 1820




洗濯やきぬにもみ込む柿の花
   薄芝


竹の子の力を誰にたとふべき
   凡兆


たけの子や畠隣に悪太郎
   去来

■薄芝の句、「もみ込む」という措辞が効いている。柿の花と洗濯の取り合わせも、いい味。凡兆の句、めでたさがあっていい。去来の句、実におかしい。徒然草を思い出した。山奥の風趣あふれる庵を訪ねると、いかにも、物寂しげな様子で、どうにか、人が住んでいる気配が、感じられる程度。しかし、庭を見ると、みかんの木があり、たわわに実が生っている。その周りは、なんと、柵でかこってあるではないか。なんだ、生臭い、セコイ。白けることよ。この木がなかったらなあ、といった話なのだが、この話は、ぼくには、笑い話のように響く。去来の句のような悪太郎と庵の風流爺さんの戦いは実に愉快ではないか。

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