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芭蕉の俳諧:猿蓑(10)

■旧暦6月12日、日曜日、、青森ねぷた祭

(写真)土砂降りの那智の滝

終日、仕事。司馬遼太郎の熊野紀行を読んでいる。司馬さんのスタンスは、人としてまっとうなものだが、それでいて、歴史のニュアンスや微妙さもけっして忘れない。なんだか、読むと癒される。

幕末、外圧によって革命化した機運は、革命思想を徳川儒学のなかに含まれている朱子学の史観にもとめた。…もし幕末において朱子学史観が存在しなければ、「尊王攘夷」だけで革命を起こすようなことにはならず、革命の思想をもっと普遍的な所に求めたに相違なく、もしそうなれば、明治以降の日本社会も人間精神の矮小さから多少とも救われ、もっと違った近代人像を作りえたかもしれないと思えるのである
  (『街道をゆく8 熊野・古座街道』司馬遼太郎 pp.77-pp.78 朝日文庫)



デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳

cicadas chirr--
viewed from the mountain
a big sitting room

semi naku ya yama kara miyuru o^zashiki

蝉鳴や山から見ゆる大座敷

by Issa, 1822




ひつかけて行や吹雪のてしまござ
   去来

から鮭も空也の痩も寒のうち
   芭蕉

■「てしまござ」は雨具。去来のイメージは、謹厳実直で背の高い文武両道の人。「ひつかけて」が面白かった。さすがの去来も寒かったのだろうか。芭蕉の句、もっとも好きな句の一つ。この質感と季語の響きあいは、何度読んでもいいと思う。空也は、あの空也像からのイメージだろうか。



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