verse, prose, and translation
Delfini Workshop
ドイツ語の散文家たち:Marx「経済学哲学草稿」(6)
(写真)無題
朝、O君に久しぶりに会う。O・HenryのThe last leafについて、話し合う。彼はO・Henryのファンでかなり詳しい。なかなか面白かった。下旬には帰国するので、記念に、富士山に登って日の出を見て来たという。
パリのマエストロからメールがあって、小説を2篇を送ってくれた。英語がメインだが、フランス語も一部、混じっている。これを読めば、マエストロの散文の仕事の一端がわかるだろう。翻訳可能かどうか、しばらく検討してみるつもりでいる。
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デイヴィッド・G・ラヌーによる一茶の英訳
old wall--
from whichever hole
autumn moon
furu kabe ya dono ana kara mo aki no tsuki
古壁やどの穴からも秋の月
by Issa, 1826
Shinji Ogawa translates dono ana as "whichever hole."
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労賃は資本家と労働者の敵対的な闘争によって決まる。勝利するのはきまって資本家のほうである。 『経済学・哲学草稿』(マルクスコレクションⅠp.241 筑摩書房 2005年)
Arbeitslohn wird bestimmt durch den feindlichen Kampf zwischen Kapitalist und Arbeiter. Die Notwendigkeit des Siegs für den Kapitalisten.
Marx, Karl Ökonomisch-philosophische Manuskripte aus dem Jahre 1844
■第一草稿「労賃」の有名な最初の一行。ここで言う「労働者」Arbeiterの方は、常に可視的にイメージできるのに対して、「資本家」Kapitalistは不可視的である。会社と言ってもいいし、株主と言ってもいいが、いずれにしても、労働者をそのエージェントとする一種のネットワークのようなものとイメージできる。たとえば、入社したてのサラリーマンが、ボーナスカットを「会社がつぶれてはどうしょうもないですから」と理解する。このとき、彼は、労働者であるが、同時に、資本家のエージェントでもある。労賃は、敵対的な闘争durch den feindlichen Kampfで決まるとマルクスは述べているが、闘争するまでもなく、気がついたときには、すでに決まっている。勝利するのはきまって資本家のほうである。Die Notwendigkeit des Siegs für den Kapitalisten.と表現されると、善悪の二元論のように響く。そしてdie Kapitalistenは悪とイメージされるが、事態はそんなに単純ではない。勝利するのは、常に二元論の向こうにあるネットワークあるいはシステムの方であるとすると、現実に近いのではなかろうか。マルクスを読むことは、常に、自分が問われるような気がする。
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Sound and Vision
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