西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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朝吹亮二評論集『アンドレ・ブルトンの詩的世界』(前編)

2016年09月11日 | 新刊書(国内)
シュルレアリスムの正統後継者
朝吹亮二評論集『アンドレ・ブルトンの詩的世界』(前編)

発行:慶應義塾大学法学研究会
発売:慶應義塾大学出版会株式会社
初版発行:2015年10月30日
定価:4,900円(税別)

 もちろん〝シュルレアリスムが終わった〟というのは言葉の綾のようなものだ。それが当初持っていた衝撃的な思想(パラダイム転換)が、今ではポピュラリティを得て一般化してしまったのである。ごく素朴な言い方をすれば、シュルレアリスムは人間の無意識(前意識)を解放した文学運動だった。サルバドール・ダリなどの絵に典型なように、人間の夢を芸術の世界に解き放ったのである。

 現実世界ではモノとコトバが一対一対応で結びついている。しかし無意識界にはモノ以前の存在が蠢いている。それが時に現実界に現れてモノ=コトバとなり、あるいは新たな発想や発明の源になる。無意識界の解放を前提としなければ、前衛絵画やアニメなどは成り立たない。このシュルレアリスムの無意識界の解放を、広い意味での言語実験としていち早く取り入れたのが日本の自由詩だった。絵画では印象派が現代絵画のベースになったが、シュルレアリスムは現代では自由詩の基本技法の一つである。


 ダダイズムは徹底した虚無主義である。圧倒的な現実世界の悲惨を目の前にして、倫理を含む前時代までの思想や芸術など信じられるものではない、ということだ。そのためダダは凄まじいまでの思想や芸術形式の破壊を始めた。その代表的作家はダダの創始者トリスタン・ツァラよりも、前衛美術家のマルセル・デュシャンだろう。

 デュシャンは社会的評価や金銭的見返りなども含め、あらゆる既存価値を拒否した。
ダダからシュルレアリスムへの移行は必然でもあった。デュシャンのような一握りの芸術家を除いて、なんびとも虚無的廃虚に留まり続けることはできないからである。なんらかの形での廃虚からの復興が必要になる。それを担ったのがシュルレアリスム運動だった。

 驚くべきことに朝吹は正統シュルレアリストである。アンドレ・ブルトンが生きていたら、シュルレアリスト名簿にその名が記載されても良いような正統シュルレアリストである。

http://gold-fish-press.com/archives/41434

鶴山裕司 on 8月 18, 2016
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