西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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第二回日本翻訳大賞:パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子、パトリック・オノレ訳・河出書房新社)

2016年10月17日 | サンド・ビオグラフィ
語り部ソリボが最後に残した言葉を何とか紙の上に残そうとする、「言葉を書き留める者」シャモワゾーの姿は、原文の声をどうにかして自分たちの言葉にまで連れてこようと格闘する翻訳者の作業そのものです。困難な、そして時には不可能な行為だと分かっていながら、それでも、語りを紙の上に写し取ろうとすること。作品の中にもあるように、息が続かなかったり、リズムに欠けていたり、「声に集中すると身体はおろそかに」なり、「身振りがやっと出てくると声は消えて」しまったりしながら、それでもわたしたち翻訳者が「言葉を書き留め」ようとするのは、その声の断片だけでも伝えられることがあると信じているからです。

語り部ソリボが最後に残した言葉を何とか紙の上に残そうとする、「言葉を書き留める者」シャモワゾーの姿は、原文の声をどうにかして自分たちの言葉にまで連れてこようと格闘する翻訳者の作業そのものです。困難な、そして時には不可能な行為だと分かっていながら、それでも、語りを紙の上に写し取ろうとすること。作品の中にもあるように、息が続かなかったり、リズムに欠けていたり、「声に集中すると身体はおろそかに」なり、「身振りがやっと出てくると声は消えて」しまったりしながら、それでもわたしたち翻訳者が「言葉を書き留め」ようとするのは、その声の断片だけでも伝えられることがあると信じているからです。

何重にも響き合い、変容し、打ち上げ花火のようにあちこちで物語が繰り広げられるこの作品を訳す

二人で、作品について語り合うことで、一人で考え込んでいるよりもずっと自由になることが出来、また、思い切った試みが可能になった部分もあったと思う

『素晴らしきソリボ』は、唐突に思われるかも知れないが、ビート文学とクレオール文学に手を繋がせるパワフルな言葉に溢れている

。私の方は、ソリボの口上を訳しながら、沖縄の漫談師、小那覇舞天のCDを聴いていました。雑多な言葉を、それこそ総動員することで、やっと紙の上に「写し取る」ことが出来たのではないか

翻訳者の仕事は孤独なものですが、今回は、二人で訳す、という作業があっただけではなく、訳すにつれて、作品の中に出て来る登場人物の声が部屋の中にこだまし出す、例外的に賑やかな翻訳体験をすることが出来ました。

https://besttranslationaward.wordpress.com
コメント
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