西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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フィリップ・フォレスト

2011年05月27日 | 文学一般 海外
サルトリアンでもおられる澤田直先生が三年ほど前にフィリップ・フォレストの『さりながら』を翻訳されています。白水社の特集欄からの抜粋です。

http://www.hakusuisha.co.jp/topics/forest3.html

●『さりながら』―エキゾチスムと私小説を軽やかに潜り抜けて

澤田直

 フォレストは娘の死を契機に小説を書き始めた作家だが、日本の私小説に着想しつつ、自己に関する新たなエクリチュールの境地を開いたことで注目を浴びた。日本ではあまり評判の芳しくない、日本生まれの「私小説」というジャンルを意識的に捉え直し、強固な「自我」(という神話)が確立された西洋文化の文脈でその可能性を探ったのだ。自らの物語を自己陶酔とも自虐趣味とも暴露主義とも一線を画した恬淡とした筆致で描き、逆説的に、ほとんど非人称的とも言える空間を紡ぎ出すこと。それが、最新作『新しい恋』(Le Nouvel Amour)にいたるまでのフォレストの作風の根幹と言えよう。『さりながら』では、そこに他者の評伝や批評的な要素も挿入し、全体を日本旅行という異国趣味に見えかねないオブラートに包んでまとめあげた。これまで執拗に行なってきた私小説の脱構築を続けながらも、ここではエキゾチスムという手垢にまみれたジャンルをも脱臼させた点が新鮮だ。

 前二作で、娘の死をつぶさに語った著者は、ここでは、喪の儀式を別の形で続ける。全体はプロローグと七章からなるが、各章は、パリ、京都、東京、神戸へと旅する語り手の物語と、それらに挟まれた小林一茶、夏目漱石、山端庸介の物語からなる。そこに通底するのは、愛する子どもの死を悼む風景だが、同時に死と狂気の狭間を生き延びる芸術家たちの生も浮かび上がってくる。

 日本の読者は最初、なぜ一茶と漱石、そして山端なのか、と訝しく思うことだろう。山端は前の二人に比べればかなり知名度も落ちるし、ひとりだけ写真家でもある。だが、読んでいけば、その取り合わせの妙に納得がいくに違いない。1945年8月9日、西部軍報道部員であった山端庸介は特命を受け、原子爆弾が投下された翌日の長崎に赴き、現地の惨状を前にひたすらシャッターを押し続けた。それを見る者は、再生ではないにしても、災厄を越えて生き延びる何か、個人のレベルを超えてつながれる記憶を、彼が捉えた映像のうちに見いだすだろう。

 観点を変えれば、各モチーフに共通するのは、死という言語化不可能な体験を前にして、ひとが言語という〈象徴界〉からイメージという〈想像界〉へと遡行し、一瞬〈現実界〉に触れるという啓示的な瞬間への過程だとも言えよう。本書で何度か地獄降りや、オルフェウス神話が想起されるのもそのためだろう。

 フォレストの小説は、ほとんど省察に近い簡潔な断章によってつながれる。それら生と芸術に関する凡庸ならざるパッセージは断片的であるのに、全体としては流れゆく不思議な時間性を湛えた小説となっているところに作者の並々ならぬ力量が感じられる。 「人間の記憶は年々環境や生活の変化で批判が甘くなったり、誤ったりしていく。しかし、キャメラが把握した当時の冷厳なる事実は、今日でも少しも粉飾されず八年前の出来事を冷静にそのまま皆様方の前に報告している」とは、原爆投下の8年後に刊行された『原爆の長崎』に収録された山端庸介の言葉だが、フォレストのテクストのうちにもそれと似た、揺らいでいく記憶に抗して、過去の出来事を描く、熱い冷静さがあるように思われる。

 世界は諸々の符丁・記号・合図に満ちている。世界そのものが、そのような謎めいた記号、あるいはナンシー=ハイデガーの言葉を借りれば、Wink(目配せ)に他ならない。フォレストは、その記号(シーニュ)の謎を解こうというわけではない。世界に満ちた記号に究極の意味があるわけではないのだ。そのことを、作者も、彼の分身たる語り手も、登場人物たちも、よく知っている。だが、だからといって、「なぜ」と問い続けることをやめはしない。「さりながら」とはそういうことだ。これらすべてが無意味であることはよく承知している、だが、それでも、子どものように、「なぜ」を繰り返し続けること。

(さわだ・なお : 立教大学教授。フランス思想・哲学。主要著書『〈呼びかけ〉の経験』『新サルトル講義』)
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